ホークス一筋・藤原満さん聞き書き「ぶれない」⑫右打ちに徹し、年俸は〝大台〟に

西日本スポーツ 野口 智弘

 ソフトバンクの前身である南海で一時代を築いたプレーヤーがいた。ガッツあふれるプレーでファンを魅了した藤原満さん(75)=西日本スポーツ評論家=だ。一昨年に亡くなった野村克也監督の下でチームプレーに徹し、低迷するホークスの中でいぶし銀の活躍を見せた。太いグリップが特徴の「ツチノコバット」を短く持って安打を量産したレジェンドの半生を聞き書き「ぶれない」でお届けする。

   ◇   ◇

 「ツチノコバット」を手にした1975年。打率2割8分1厘の好成績をマークし、ついにレギュラーに定着しました。プロ7年目、29歳になってました。

 もう、「ツチノコ」は手放せません。そして、もっと成長させることにしました。バット工場に出向き、公認野球規則ぎりぎりまで太くするように改造し続けたのです。太くすることで、反発力が高い芯の表面積も広くなる。芯を外しても折れにくく、詰まってもヒットになる可能性が高くなると考えたのです。

 ただし、バットの重量はますます重くなる。1キロを超える素振り用のマスコットバットより重いから、まともには振れません。そこで、同時に打撃改造に取り組みました。高畠導宏打撃コーチの指導の下、バットを振るんじゃなく、ボールに最短距離でバットをぶつける感覚と、徹底した右打ちの技術を磨きました。

 それまでは、長打を狙って引っ張った打球が多かったけれど、「ツチノコ」以降は、センターから右方向の打球が6割以上に増えたかな。長打を捨てて右打ちに徹すると、ボールを最後まで見極められるので、選球眼もよくなった。高めのボール球に手を出さなくなり三振も減りました。

 こうして迎えた「ツチノコ2年目」の76年。1番打者に定着して大ブレークします。全130試合に出場し、リーグ最多の159安打を打ちました。最多安打は81年(154安打)にも記録しますが、この時代はタイトルではなかった。タイトルとして表彰されるようになったのは、イチロー(オリックス)が当時日本記録の210安打を放った94年から。残念です。

 打率3割2厘はリーグ2位。最後まで太平洋クラブ(現西武)の吉岡悟選手と競いましたが、7厘差で首位打者にはなれなかった。盗塁は50個で、福本豊選手(阪急)の62個についで2位。さらに、三塁手部門でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)とベストナインにも輝きました。この部門は近大でチームメートだった有藤通世(ロッテ)の独壇場でしたから、うれしかったですね。

 そしてオフの契約更改。年俸が当時の一流選手の証しだった1000万円を軽く突破して1200万円になりました。入団当初、野村克也さんが「つなぎ役に徹した野球をやれば、おまえみたいな選手でも1000万円プレーヤーになれるぞ」と言ってくれたことが、ついに実現したのです。

 前年に同じ松山市出身の月子と見合い結婚しました。結婚翌年は成績が落ちるというジンクスがありましたが、そうはならなかった。私は満。妻の名は月子。私たち夫婦の心の中には「満月」が輝いていました。(聞き手・野口智弘)

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