ホークス一筋・藤原満氏聞き書き「ぶれない」⑮「サッチー」に私も妻も叱られた

西日本スポーツ 野口 智弘

 ソフトバンクの前身である南海で一時代を築いたプレーヤーがいた。ガッツあふれるプレーでファンを魅了した藤原満さん(75)=西日本スポーツ評論家=だ。一昨年に亡くなった野村克也監督の下でチームプレーに徹し、低迷するホークスの中でいぶし銀の活躍を見せた。太いグリップが特徴の「ツチノコバット」を短く持って安打を量産したレジェンドの半生を聞き書き「ぶれない」でお届けする。

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 1977年のシーズンも、開幕から絶好調。20試合連続安打を記録するなど、1番打者としてチームをけん引していました。

 ところが、好事魔多し。5月21日のロッテ戦(仙台)でした。白仁天さんのサードゴロが目の前でイレギュラーして顎を直撃し、骨折です。顎をワイヤで固定する手術をした後、長期間の自宅療養。妻の月子は長女の出産間近でおなかが大きいのに、私のために優しく世話をしてくれる姿に感謝していた時です。電話がかかってきました。

 「うちの主人が頑張っているのに、何してるの? 早く出てきなさいよ」。後に野村克也監督が正式に再婚する相手、「サッチー」こと沙知代さんの声。しかも、「走るだけならできるでしょう」ときた。私はまだ流動食をチューブで吸っている状態ですよ。

 気持ちは分かります。この時、南海は前期優勝を目指して阪急と首位争いをしている真っ最中でした。沙知代さんは、野村監督が私の復帰を待ち望んでいることを知って電話をかけてきたのです。結局、復帰したのは1カ月半後。南海は前期優勝を逃しました。

 こんなこともありました。76年のシーズンオフ、ベストナインの表彰式の後に、妻の月子が泣いていました。訳を聞くと、沙知代さんから電話で「よくも主人に恥をかかせたわね!」と叱られたというのです。ノーネクタイでラフなブレザー姿で表彰式に出ていた私をテレビで見たのですね。「主人が監督をしている南海のスター選手が、なんとぶざまな格好で表彰式に出てるのよ!」

 私は服装に無頓着でした。でも、社会人として、プロ野球選手として、TPOに応じた装いをしないといけない。そういう常識を沙知代さんに教えてもらったと今でも感謝しています。

 毒舌風のあの語り口ですから、いろいろ言われた沙知代さんですが、私たち夫婦はかわいがってもらった。ただ、「パーティーには豪華な着物を作って来なさい」と指示された時には閉口しましたが…。

 沙知代さんの振る舞いは、どんどんエスカレートします。チームの運営や選手の起用法にまで口を出し、公私混同が目に余った。当時はまだ、野村監督の正式な夫人でもなかったのにです。77年9月28日、事態収拾のために川勝傳オーナーが野村監督に迫りました。「野球を取るか、女を取るか」。野村監督が選んだのは、沙知代さんでした。

 シーズンを2試合残しての監督の解任劇。南海24年間、野村さんの栄光の歴史は、あっけなく幕を閉じました。最後に「(恩師の)鶴岡(一人)元老にぶっ飛ばされた」という捨てぜりふを吐いて。(聞き手・野口智弘)

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