元バレー代表・迫田さおり「一番わがままで自己中心的だった」自分への戒めとした得点王のトロフィー

西日本スポーツ

   好きな言葉は「心(こころ)」だという。バレーボール女子元日本代表のアタッカー、迫田さおりさんは華麗なバックアタックを武器に2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得に貢献した。現役引退後は解説者などで活躍の場を広げる一方、コロナ禍が続く中、スポーツの魅力を発信しようと自身の思いつづっている。

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 誤解を恐れずに書きます。現役時代を過ごした東レでのことです。初めてリーグ得点王になった2013~14年シーズンは、私の中で最悪なプレーをしてしまった年でした。一番わがままで自己中心的な「迫田さおり」だったからです。誰もが憧れるタイトルなのに、と首をひねられるかもしれません。

 東レの先輩で、日本代表でも主力の木村沙織さんや荒木絵里香さんが抜け、危機感を覚えていました。下部リーグのチームとの入れ替え戦に出たことすらない東レを降格させるわけにはいかない。「皆に嫌われてもいい。どう思われても構わない。私が一人で決める」と意地になり「全部持ってきて!」とトスを呼び続けました。

 チームを勝たせるためなんだから、と自分に言い聞かせる一方で、どこか引っ掛かる気持ちもありました。「あなたは仲間を信頼しなかったから、得点王を取れたんじゃないの?」-。鹿児島の実家にあるトロフィーの“ささやき”に反論できませんでした。

 実はあの年、私の知らなかったことがありました。得点王を取らせて自信を植え付けようとしてくれた方がいたのです。2学年上の「ミチさん」こと、セッターの中道瞳さん(現東レコーチ)でした。自分が批判されることも覚悟の上でトスを集めてくれました。

 高校で全国大会の出場経験がなかったこともあり、東レに入団した頃の私は自信を持てませんでした。コートを大きく外すようなスパイクを繰り返す姿を見かねたのか、自主練に誘ってくれました。「リオ(迫田さんの愛称)、ちょっと打ってみようよ」。このひと言が後に武器となったバックアタックに取り組むきっかけになりました。「あっ、打てるね。じゃあ、こんな感じはどう?」「打ちたかったら、いつでも付き合うよ。遠慮なく言ってね」。上方向でなく、前方へ跳ぶ特長を見抜いた自然な口調に乗せられ、私は助走して跳んでいるだけでした。自主練はミチさんが現役を引退する2015年まで続きました。

 わずかな変化にも目が届き、調子が悪いときは原因を指摘してもらいました。感謝しかありません。打つのは私でも「ミチさんのバックアタック」だったのです。だからこそ、東レじゃないと私は駄目でした。

 2013~14年シーズンの東レには外国人選手を含め、素晴らしいアタッカーもいました。私がおとりになり、他の選手の力を引き出す方法もあったはずなのに自分本位になっていました。人の心に寄り添い、人を生かすミチさんの「バレー愛」を一身に受けながら、最も大切なことを分かっていなかったのです。両アキレス腱(けん)を痛めた159センチの小さな体で自分を犠牲にしてくれたミチさん…。トスは決して強要するものではありません。ボールだけでなく心が通い合って、アタッカーは初めて輝けます。あの得点王のトロフィーは自分への戒めというか、バレーボールをやる上で絶対に忘れてはいけないためにいただいたもの…時間がたった今、そんな気がします。

 目を閉じると、体育館で2人きりになるまでボールを打ち続けた日がよみがえります。ミチさんも私も、疲れて動けない…とか懐かしい思い出です。「リオ、頑張ったんだね」-。もし、いつの日かあの優しい声で言ってくれるのなら、私はきっと涙するでしょう。(バレーボール女子元日本代表)

YouTube「迫田さおりのりおちゃんねる」バックアタックを披露する迫田さおりさん↑ 

◆迫田(さこだ)さおり 1987年12月18日生まれ。鹿児島市出身。小学3年で競技を始め、鹿児島西高(現明桜館高)から2006年に東レアローズ入団。10年日本代表入り。バックアタックを武器に12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪出場。17年現役引退。身長176センチ。スポーツビズ所属。

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