ホークス一筋・藤原満さん聞き書き「ぶれない」(16)球宴の活躍で手にした初のマイカー

西日本スポーツ 野口 智弘

 ソフトバンクの前身である南海で一時代を築いたプレーヤーがいた。ガッツあふれるプレーでファンを魅了した藤原満さん(75)=西日本スポーツ評論家=だ。一昨年に亡くなった野村克也監督の下でチームプレーに徹し、低迷するホークスの中でいぶし銀の活躍を見せた。太いグリップが特徴の「ツチノコバット」を短く持って安打を量産したレジェンドの半生を聞き書き「ぶれない」でお届けする。

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 オールスターゲームに初出場したのは、「ツチノコバット」で打撃開眼した1975年。以来、通算5度「夢の球宴」に出ました。

 この時期、プロ野球はV9を達成した巨人の人気に支えられたセ・リーグの黄金時代。パ・リーグは「実力のパ」と言われながらも観客数が少なく、日陰者のような存在でした。だから、球宴ではパの選手は気合が入った。パの監督は必ず「パの名誉のために、絶対にセに負けたらあかん。遊びじゃない。名前を売ってこい!」と選手にハッパを掛けたものです。

 私も燃えた。鮮明に記憶しているのは、78年の第3戦(後楽園)。小林繁(巨人)から放った一塁線への痛烈な打球は、一塁手の田淵幸一(阪神)が捕れず、さらに慣れない右翼に入っていた王貞治さん(巨人)も打球処理を誤ります。私は全力疾走でホームまで走り抜けましたよ。

 球宴史上3人目(現在4人達成)のランニング本塁打です。前夜、深酒していたからしんどかったなあ。この日は4打数3安打4打点。さらに、97年に松井稼頭央(西武)が5盗塁するまでの球宴記録だった4盗塁を決めるなど大暴れしました。ところが、MVPは3打席連続本塁打を放ってセの逆転勝利に貢献した掛布雅之(阪神)に奪い取られてしまった。

 でも、81年の第1戦(甲子園)では大洋の斉藤明雄(のちに明夫)から中前に勝ち越し打を放ってMVPに輝きました。賞品はいすゞの高級車。松山商で捕手をしていた同級生がいすゞに勤めていて、試合前に「わが社の車だから藤原が取れよ」と言っていたのが現実になって、びっくり。当時、大阪球場の近くに住んでいて、電車かタクシーで通っていましたから、この車が初めてのマイカーです。

 球宴はいい思い出ばかりです。通算打率4割(40打数16安打)は、40打席以上の打者に限れば、2位のイチロー(オリックス)の打率3割9分4厘を抑えてトップだそうです。76年に記録した1試合3二塁打、79年の最多二塁打4本(現在までほかに2人)、同年の3試合連続二塁打(同4人)は、いまだに球宴記録になっています。

 なぜ、こんなに活躍できたかですか? セのバッテリーがスキだらけだったからです。投手は球種が癖でばればれだし、捕手は一塁からサインが丸見えなので走り放題。敵チームを丸裸にする激しい情報戦を戦っていたパと違って、セの野球はレベルが低いと思いました。もっとも、向こうはお祭り気分、こっちは真剣勝負。その違いもあったのでしょうけれど。ただ、今では両リーグの選手ともお祭り気分に浸っていますね。(聞き手・野口智弘)

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