ホークス一筋・藤原満さん聞き書き「ぶれない」(19)パの隆盛うれしい限り

西日本スポーツ 野口 智弘

 ソフトバンクの前身である南海で一時代を築いたプレーヤーがいた。ガッツあふれるプレーでファンを魅了した藤原満さん(75)=西日本スポーツ評論家=だ。一昨年に亡くなった野村克也監督の下でチームプレーに徹し、低迷するホークスの中でいぶし銀の活躍を見せた。太いグリップが特徴の「ツチノコバット」を短く持って安打を量産したレジェンドの半生を聞き書き「ぶれない」でお届けする。

   ◇   ◇

 選手、コーチを通じてホークス一筋に27年。パ・リーグで野球に打ち込めたことに誇りを持っています。でも、一昔前のパは人気がなく、マイナーリーグのように観客が少なかった。

 入団した1969年、選手が八百長に関わった「黒い霧事件」が発覚します。端緒がパの球団だったため、大打撃を受けます。ただでさえ巨人人気でセ・リーグに観客数で差をつけられていたのに、この事件は致命的でした。

 75年のパの観客数(約320万人)はセの3分の1程度だったそうです。どの球場にも閑古鳥が鳴いていた。汚いやじが飛び、トイレも汚い。女性が球場に行きたくなるような環境じゃなかった。当時の私は、そのうちパが消滅して、私も解雇されるのではないかと、不安でいっぱいでした。

 ドラフトでもセの球団を希望する選手が多かった。パ球団に指名されて入団拒否する選手も毎年のようにいた。パの選手にも意地がある。鳴り物入りでセに入団した選手とオープン戦で対戦する時には真剣勝負でした。「スポーツ紙のトップを取られるから、あいつらには活躍させるな!」

 人気回復のために、パも努力した。前後期制(73~82年)、DH制(75年から)を導入してセとの違いを打ち出した。ユニホームも斬新なものが登場。太平洋クラブ(現西武)は大きな胸番号のアメフト風のユニホーム。日拓ホーム(現日本ハム)の日替わりの7色、7種類のユニホームには度肝を抜かされました。

 でも、DH制以外は抜本的な人気回復策にはならなかった。膨れ上がる赤字経営に耐えかねて球団を手放す会社が続出しました。南海、阪急、近鉄の関西の電鉄会社3球団がパに偏って所属していたことは経営的に無理がありましたね。

 流れが変わったのは、88年のダイエーによる南海買収、翌年の福岡移転からでしょう。続いて日本ハムが札幌に移転(2004年)、楽天が仙台に新球団を設立して05年から参戦し、プロ野球ファンの地域分散化が成功しました。プロ野球の人気が廃れたとよく耳にしますが、違いますよ。巨人戦のテレビ視聴率が落ちただけで、今ではどこの球場も大にぎわいじゃないですか(コロナ禍前のことですが)。

 パの人気が回復した今、ドラフトで「パの球団に行きたくない」という選手はほとんどいなくなりました。くじ運にも恵まれ、パに大物選手が次々と入団して戦力が充実。名実ともに「実力のパ」として躍進します。ここ20年間の日本シリーズで、パの球団が15勝5敗とセに圧勝。そのうちの8勝がホークスですよ。ホークスとともに生きてきた人間としては、うれしい限りです。(聞き手・野口智弘)

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