J3北九州「改革元年」 前指揮官の小林伸二SDが描く持続可能なクラブづくり
サッカーJ3は3月12日に開幕する。同13日の長野戦(ミクスタ)が今季初戦となるギラヴァンツ北九州の小林伸二スポーツダイレクター(SD)が、西日本スポーツのインタビューに応じ、2022年シーズンを「改革元年」と位置付けていることを明かした。昨季まで監督と兼任していたSDの職務に今季から専念。J2復帰を目指すトップチームを側面から支えるともに、下部組織の充実や組織の整備に本腰を入れ、持続可能なクラブづくりに取り組む意向を示した。(聞き手、構成=松田達也)
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-今季から取り組む新たな仕事とは。
今までは現場でいろんな方に支えてもらった。今度は外側からチームを支えたり、つなげたりしたい。組織を変え、より強固なものにする。部署同士をつなぐ。広い仕事になる。チームを持続可能な形にするために支えていく。
-ここまで取り組んでいることは。
まずはトップチームの練習を見る。アカデミー(下部組織)の練習も見ている。今まではやっていなかったが、キャンプにはアカデミーの選手を連れて行った。アカデミーには必要なものがまだまだある。例えば2年間でプリンスリーグに進もうと思えば、足りない環境や指導者の整備をフォローしないと。
-アカデミーの現状は。
うまい選手はU-18(18歳以下)にもU-15(15歳以下)にもいる。そういう選手をどうトップチームに上げるか。縦のラインをうまくつくりたい。その点は組織や指導者にかかっている。北九州市には何十年も前から子どもたちがサッカーに取り組む市場がある。地元で育った選手がU-15に来て力を伸ばし、U-18からトップに昇格する道筋をつくりたい。
-指導で心掛けていることは。
選手はどんな形で成長するか分からない。日本代表になる選手、クラブの中心になる選手、プロになる選手といる。また、親元を離れるのではなく、両親と暮らしながらサッカーをすることも大事。かつてスカウトを務めた経験があるが、県外の子をユースに招くとき、高校までは親元に置きたいという考えの両親もいた。そういう声の受け皿になりたい。
-地元の選手が加入しやすいように。
伸びる選手が出てくれば、時代は変わる。福岡県内の高校のレベルも変わっている。強いチームには人が集まる。
-生え抜きの選手は貴重な存在だ。
現在のユースの選手に聞くと「ミクスタでプレーするのが夢」と言う人もいる。ここで育ったんだ、というクラブへの帰属意識が出てくる。われわれはそういうベースを持っている。その選手を育てるための組織づくりが必要。
-U-12(12歳以下)の新設も検討している。
今年のうちに準備し、来年から立ち上げたい。少ない人数になるだろうが、クラブとしてこの年代の育成を勉強したい。選手を育てるには、指導者のレベルを上げないと。自分もサポートしたい。トレーニングに深みができると、選手が育つ。そういうことを経験すると、指導者も伸びる。長い年月をかけて、クラブが変化する第一歩になればいい。
-トップチームとの関わり方は。
練習と試合は必ず見る。その絵がないと、下(アカデミー)に落としこめない。トップを把握し、育成に関わる形にしないと、つながっていかない。昨年から攻撃的なサッカーで強くなってきた。その志向を統一することは大事。
-J3降格となった昨年は主力の移籍で苦しい戦いとなった。
いろんなチームで仕事をしたが、1年ぐらいやると色が出る。人が変わると、同じ色をつくり出すのは簡単ではない。では違うサッカーをすればいいが、それも簡単ではない。即戦力を取るにはお金がかかるし、失敗ができない。これからは四つのラインが必要。即戦力、大卒、高卒、アカデミー。ここをうまくできれば持続可能なクラブになる。そういうスタートの年にしたい。
-今季のクラブに期待することは。
天野(賢一)監督は若いが、いろんな経験がある。この3年間でつくったサッカーを高いレベルで表現してくれる。情熱もある。側面から彼をサポートし、いいチームをつくりたい。
◆小林伸二(こばやし・しんじ)1960年8月24日生まれの61歳。長崎県雲仙市出身。島原商高から大商大を経て、日本サッカーリーグ(JSL)のマツダ(現広島)でFWとして活躍。監督として大分、山形、徳島、清水でクラブをJ1昇格に導いた実績から「昇格請負人」と呼ばれる。2019年にJ3だった北九州の監督就任。同年に優勝し、J2昇格に導いた。
小嶺さんの教えを胸に
小林SDは1月7日に死去した小嶺忠敏さん(享年76)への思いを明かした。長崎・島原商高時代に指導を受けた恩師の葬儀にも足を運び、感謝の思いを伝えたという。「現場主義で、自分が動いて学ぶ方。指導者である限り、学ぶことを忘れないという姿勢は本当に大切。先生の教えを受けた者として、自分の経験を伝えたい」と言葉に力を込めた。