俳優の夢へ、東京で闘ってきます HKT48田島芽瑠ラストインタビュー

西日本新聞 古川 泰裕

 HKT48の2期生・田島芽瑠(22)が3月14日、福岡市の「西日本シティ銀行 HKT48劇場」で卒業公演に臨む。メンバーとしての最終活動日は4月3日のファンとの交流イベントだが、ステージでのパフォーマンスはこれが最後となる。デビュー前から「10年に一人の逸材」と注目を集め、1stシングルの単独センターに大抜てきされたが、その後は「選抜落ち」も経験。それでも飽くなき向上心で、テレビや映画、演劇などグループ外に活躍の場を広げ、自らの存在価値を高めてきた。春からは、住み慣れた故郷・福岡を離れ、新たな地で次の夢を追う。巣立ちの時を迎えた「博多の太陽」に思いを聞いた。(聞き手は古川泰裕) ※3月1日にリモート取材

 -HKT48のメンバーとしては最後のインタビューになります。

 田島「えっ⁉ まじですか⁉ うそ…」

 -そうなんですよ。

 「悲しい、寂しい…。そうなんだ。そんな、そんなそんな…だった」

 -3月1日に事務所移籍が発表されました。

 「『Mama&Son』さんへ移籍させていただくことになりました」

 -新たな事務所決定が卒業発表の決め手だった?

 「そうですね」

 -発表できてすっきりしました?

 「卒業発表してから(ファンの)皆さんは『どこに行くのか』『どうなっていくのか』を気にしていたと思うので、やっときちんと報告できて、すごくホッとしています」

「HKT48」っていう学校を卒業する気持ち

 -HKT加入前は西日本新聞の「こども記者」を経験しました。当時の紙面には取材している姿も載っていますが、卒業後はいよいよ福岡を離れることに。

 「そうなんですよ…。福岡を離れるっていうのは、やっぱり寂しい気持ちはあるんですけど、やっぱり俳優という新しい夢に向かって、東京という新たな場所で闘っていきたいという気持ち。同い年の子たちも大学を卒業して、上京して新社会人になっていく。それと全く一緒のタイミングなので、『HKT48』っていう学校を卒業して、上京するっていう気持ちになりますね」

 -個人的にも、(事務所移籍の発表は)卒業を実感しました。

 「今は全然、公演もできていなくて、ファンの皆さんにも会えていない状況なので…。皆さんにも寂しい思いをさせてしまっているかもしれないんですけど、もうあっという間に卒業公演。活動最終日は4月ですけど、その間はもう(出演する公演は)ないので…。あっという間だなって思いますね。10年がこんなふうに終わっていくっていうのが不思議な気持ちです。当たり前のようにメンバーと毎日会ったり仕事をしたりして、スタッフさんも長年一緒ですし…。本当に慣れ親しんだというか、ずっと一緒に活動してきた皆さんとお別れして、新たな場所で出会いがあり、いろんな人と活動していくっていうのは…ああ、卒業するんだなっていうのは最近、すごく実感しますね」

 -東京で新しい生活が始まります。

 「ずっと福岡の実家に住んでいたので、上京して1人暮らしとなると環境も変わりますし、できるのかな?みたいな不安もあります(笑)。東京の土地にも慣れないといけないし、お仕事も初めてなことばかりなので、一気にいろんなものが押し寄せてくる感があります」

 -自分が就職した時の気持ちを思い出しました。

 「こんな感じなんだろうなって思います。生活が変わるっていうか、就職するというか…」

 -HKT48としての歩みは、始まりも終わりもバタバタ。

 「確かに(笑)。始まりも急にガーンといったと思ったら、終わりもバタバタと(笑)」

 -オーディションに仮合格した時点で加入するか決めていなかったのに、スポーツ紙に大きく掲載され…。

 「本当ですよね(笑)。そこから始まって、終わりもまだ、皆さんびっくりすることがあるので。やっぱりすごいなって思います、人生って。面白いですよね。今、自分の身に起きていることが、すごく研究生の頃を思い出すというか。入った当初の自分を思い出していて。『はっ! また来た!』っていうか(笑)。あれ?この感じ経験したことあるぞ?みたいな」

 -あの頃はジェットコースターのような毎日でした。

 「チャンスって、巡ってくるんだなって思います」

事務所移籍が決まって卒業を相談

 -卒業して本格的に俳優を目指す考えに至るまでの心境の変化を教えてください。

 「18歳の時に映画『泣くな赤鬼』をきっかけに俳優さんになりたいと思い始めて、19歳、20歳と言葉にし続けてはいたんですけど、さしこちゃん(指原莉乃)の卒業もあり…。さしこちゃんの卒業を見届けるまでは、HKTにいようっていうことは決めていた。さしこちゃんを見送った後、自分の将来について考えた時、俳優さんという道に進んでいきたいと思って。そのタイミングで運営会社が変わって。その時、初めて社長さんと話して『この2年で道を決めて、ちゃんと卒業したいと思っています』っていうのは伝えて。10年目で辞めよう、と決めていた。本当にそうなるかどうかは分からなかったけど、2021年は頑張ってやってきて、そろそろ本格的に動かなきゃいけないなっていうタイミングで、ご縁があって『Mama&Son』さんへの所属が決まり…。所属が決まった段階で卒業を相談させてもらったんです。それが10月くらいなんですよ」

 -そこで具体的に卒業を話し合ったと。

 「卒業を考え始めたのは21年からだったんですけど、その前に事務所を決めたいという思いがあって。卒業後の次の日からちゃんと場所があるというか。ファンの皆さんにも安心して卒業を見届けてもらえる形で卒業したいと決めていたので、21年の夏頃から卒業を視野に移籍先を相談していました。10月に移籍が決まり、卒業に向けて動いていこうとなり、現在に至るという感じですね」

 -ちゃんと自分の中で段階が決まっていたんですね。

 「卒業したいからします、っていう卒業ももちろんいいと思うんですけど、私は10年やってきて、皆さんにもいつも道を示してきたというか。『こうなりたいから、こうしたい』というのを発信してきたタイプだったので。10年間支えてくれた皆さんに安心して見送ってもらって、卒業後もHKTとともに応援してもらえる形で…。皆さんには離れないでほしいというか、そばで支えてもらいたいなっていう思いから、自分の思いだけではなく、ちゃんとその先の道も固めてというか。しっかり見据えた上で卒業ということを決めていました」

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