医学部進学のラグビー元日本代表の福岡堅樹さん「自分の可能性を信じよう」
2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会で日本代表として史上初の8強入りに貢献し、21年に現役を引退して現在は順天堂大医学部生の福岡堅樹さん(29)=福岡県古賀市出身=が西日本スポーツのインタビューで近況を語った。初の自著「自分を信じる力」(講談社)に込めた思い、日本ラグビー界の現状をどう見ていて、プレーをしたくならないのか-。(聞き手・構成=大窪正一)
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-昨年から医師を目指して勉学に励む。
「生活が一変した。意図的に時間をつくらないと運動する機会はないんだなと実感している」
-どんな医師になりたいか。
「まだいろんな可能性を探っている。治療だけでなく、患者の心にもどう寄り添うか。他の医師にはないこれまでの経験も生かせれば」
-現役時代に所属した埼玉パナソニックワイルドナイツのアンバサダーも務める。
「個人の人生をしっかり考えてくれた恩義を感じている。もう一回ラグビーをするならあのチームしかない」
-ラグビーが恋しくならないか。
「やりたいと思わないことはないが、そのためにどれだけの準備が必要なのか分かっているので、もうできない」
-1月末に初の著書を出した。
「新たな道に踏み出した転換点。これまでやってきたことを再確認、整理し、お伝えすることで何かしらの力になれたらなと思った」
-著書では自分と状況を客観視する力や割り切る力、自分を信じる力などがつづられている。そうした重要性を痛感したのが2015年のW杯イングランド大会を3カ月後に控えた宮崎合宿だった。
「厳しい練習が続き自分の人生で唯一、ラグビーをやめたい時期だった。(当時ヘッドコーチのエディー・ジョーンズに)気持ちの入っていないプレーを見抜かれて『もうおまえは必要ないから出て行け』と言われ、追い出されもした」

-小中学校時代に通っていた学習塾「英進館」の講師で、今回の医学部受験の支援も受けた神田岳彦氏に気づかされた言葉も大きかった。
「自分のキャパシティーを超えた瞬間だったんだろうと言われ、なるほどなとふに落ちた。自分が得意としてきた合理性や効率ではなく、目の前のことに全力で取り組む大切さを痛感した。振り返れば、あの宮崎合宿の経験があったからこそ今があるとエディーさんに本当に感謝している。選手として、人間としてもすごく成長できた」
-西スポ読者のためにプレゼントしてくれた直筆サイン色紙には「自分の可能性を信じよう!」と記した。
「人生は考え方一つで変わる。自分の可能性を信じられるかどうかでチャレンジの成功につながるとの思いからだ」
-現役引退後、日本のラグビー界は変わってきている。
「19年W杯での日本の躍進で新リーグのリーグワンには世界的なスター選手が多くやってきた。子どもたちにとっては、日本にいてスーパープレーを見ることができ、刺激を受ける機会が増えた。日本ラグビーのレベルアップにもつながる」
-一方でコロナ禍もあり、チームの廃部や縮小の動きもある。
「自分が(5歳から)ラグビーを始めた玄海ジュニアラグビークラブの練習場所は(今季限りの廃部が検討されている)宗像サニックスのグラウンド。駆け回った楽しさが今に通じている。改革の難しさ。バランスを模索しているのかなと思う」
-コロナ禍で我慢を強いられている子どもたちにエールを。
「自分がコントロールできるところで何ができるかを考えてみては。スポーツなら個人練習や映像、本などで知識を蓄えるとか。苦境もポジティブに自分にプラスに変えてもらえたら」
◆福岡堅樹(ふくおか・けんき)1992年9月7日生まれ。福岡高で全国大会出場。医師とラグビーの両立を目指し高校卒業時に筑波大医学群を受験したが失敗。1浪後も前期試験で不合格。後期試験で筑波大の情報学群に合格すると2012年、初の対抗戦優勝と大学選手権準優勝に貢献。15、19年W杯日本代表。16年からパナソニックに所属し21年に現役を引退。