福岡堅樹さんも駆け回った原点 ラグビー日本代表の躍進と28年の歴史に幕下ろす宗像サニックスの深いつながり【記者コラム】

西日本スポーツ

 今季限りで28年の歴史に幕を下ろすラグビー・リーグワン3部の宗像サニックスブルース(福岡県宗像市)は、8日午後4時開始の豊田自動織機シャトルズ愛知との順位決定戦(愛知・パロマ瑞穂ラグビー場)が「ラストゲーム」となる。リーグ戦期間中にコロナ禍に見舞われ、今季の豊田自動織機との対戦は2度とも中止となっており、この最終戦が今季初顔合わせになる。

 発表された8日の試合メンバーは2015年ワールドカップ(W杯)イングランド大会の南アフリカ戦で逆転トライを決めたカーン・ヘスケスがWTBで先発出場。また昨年限りで55年の歴史に終止符を打ったコカ・コーラレッドスパークスから移籍してきたナンバー8ジョセフ・トゥペ、WTB石垣航平、FB八文字雅和の3人が先発に名を連ね、リザーブにもプロップ猿渡康雄、SH三股久典が入った。わずか2シーズンで2度も“廃部”を経験することになった元コカ選手5人が「コカコーラ魂」も胸に最終戦に臨むことになる。

 1994年に創部したサニックスのチーム強化は、2017年に逝去した母体企業のサニックス(福岡市)創業者、故宗政伸一前社長(享年67)の存在が大きかった。以前、日本代表のジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)に取材した記憶がよみがえる。

 ジョセフHCが、故宗政氏と出会ったのは当時25歳でニュージーランド(NZ)代表の一員だった1995年のW杯前だという。故宗政氏から誘われ、創部2年目のサニックスの大分・湯布院合宿に参加した。そして準優勝した95年のW杯後、サニックスから正式に“ラブコール”を送られた。「ラグビーがプロ化され、NZでも混乱していた。直感で決めた」。西日本社会人リーグ時代のサニックスでのプレーを決断した。

 当時、世界のトップ選手がそろったNZ代表の選手が日本でプレーすること自体が異例。母国NZでは「なぜ出ていくのか」と批判もあったという。しかもまだトップリーグ(TL)誕生前の時代、サニックスは国内の最高峰ではない地域リーグに属していた。それでも「日本ラグビー発展のために尽くしたいという、あの熱量に心を動かされた」。ジョセフHCは現役を引退する2002年度までサニックスに所属した。

 当時のエピソードで興味深かった話がある。現在の宗像サニックス本拠地で、また「高校生のW杯」といえるほど国際色豊かな大会に成長した「サニックスワールドユース交流大会」の会場でもある福岡県宗像市の総合スポーツ施設「グローバルアリーナ」についてだ。サニックス社内で建設の是非が検討されていた当時、ジョセフHCは社員でもない選手の立場でありながら会議に呼ばれたという。そこで目にしたのは故宗政氏のラグビーを通じた地域貢献への情熱だった。ジョセフHCは「(社業と直接関係のない施設の建設に対し)役員の大半は反対したが、私は賛成した。宗政さんの熱意で計画が動きだした。いいと思ったら挑戦して行動に移す。その姿勢をリスペクトした」と語っていた。

 故宗政さんが「スポーツ、文化を通じて世界中の子どもたちが集う場を」との思いで創設した「サニックスワールドユース交流大会」は、2000年に産声を上げ、23年目の歴史を紡ぐ。コロナ禍で20年と21年は中止を余儀なくされたが、今年は日本ラグビー協会、一般財団法人サニックススポーツ振興財団、株式会社グローバルアリーナの共催で、国内チームのみだったが3年ぶりに開催された。2019年大会までにNZやイングランドなど20の国・地域から参加し、大会経験後、国内外各チームの代表になった選手は計145人に上る。例えば、アイルランド代表のSOセクストンもセントマリーズ・カレッジの一員として2002年大会に参加している。

 ジョセフHCは現役を引退後、NZに戻って指導者となり、スーパーラグビーのハイランダーズを率いた。2015年に優勝に導くと、日本からHC就任の打診が届いた。恩返しの好機だと受け止めた。「宗政さんには日本ラグビーの発展のために何でもできることはやろうという気持ちにさせていただいた。日本代表を強くすることで、きっと喜んでくれる」。日本代表に“サニックスイズム”は息づいている。

  2019年W杯日本大会でスピードスターとして日本代表の8強入りの原動力になった福岡堅樹さん(29)=福岡県古賀市出身=は、宗像サニックスのグラウンドが練習場所だった「玄海ジュニアラグビークラブ」で5歳からラグビーを始めた。先日、インタビューに応じてくれた際に「あのグラウンドで駆け回ったラグビーの楽しさが、間違いなく今に通じている」と語った言葉が耳に残っている。ラグビーの裾野を広げる面では、日本各地に身近にトップレベルのチームがある意義は大きい。宗像サニックスは2014年シーズンからリーグワンの理念を先取るようにチーム名に「宗像」を入れて地域に根ざした活動を続けてもいた。

 2005年からチームの歴史の半分の14シーズンで指揮を執り、独自のランニングスタイルで隆盛期を築きあげた藤井雄一郎元監督は現在、日本代表ナショナルチームディレクター。ジョセフHCと二人三脚で来年に迫ったW杯フランス大会に向けて、日本代表の強化に力を注いでいる。宗像サニックス時代はいかに限られた戦力で格上を倒すかに腐心。TL時代の最高順位は2009年度の7位ながら、走りまくり、つなぎまくる見る者を魅了。時に格上を倒す存在感を示した。日本代表で活躍した小野晃征やヘスケスらを見いだした眼力やその経験は選手層の薄い日本代表が世界でどう戦うかの強化ビジョンに生かされている。

 さまざま形で日本代表の躍進、日本ラグビーの発展にサニックスが果たした役割は大きい。そんなチームがまもなく消えようとしている。(大窪正一)

PR

ラグビー アクセスランキング

PR

注目のテーマ

福岡ソフトバンクホークス アクセスランキング