まさか…高校日本代表経験の恩師も驚く伸びしろで日本代表初キャップ 地方大出身プロップ竹内が抱く使命感

西日本スポーツ

 待望の瞬間は前半33分に訪れた。18日に東京・秩父宮ラグビー場で行われたラグビー日本代表とウルグアイ代表のテストマッチ。日本代表の背番号18、プロップ竹内柊平(24)=浦安=は浅岡の出血による一時交替の形で前半終了までプレー。さらに後半20分からは入れ替えで出場。宮崎工高、そして九州共立大出身選手として初の日本代表キャップをつかんだ。

 3年前。射抜くような力強い「目力」が印象に残っている。竹内は九州共立大が1966年の創部以来の悲願だった全国大学選手権に初出場を果たした際の主将だった。180センチを超える選手は一握りの小柄なチームながら豊富な運動量と堅守が強み。竹内は「4年間で一番の練習量」と胸を張った。さらに「高校時代に全国で名をはせた選手はいない。自分もそうだが入学後に大きく伸びた選手ばかり」。竹内はそのまま伸び続け、桜のジャージーにたどり着いた。

 「まさかでしたよ…。ここまで竹内が成長してくれるなんて…」。恩師の九州共立大の松本健志監督(39)は目を細めた。松本監督はロック、第三列として佐賀工高時代に花園で準優勝時の主将。高校日本代表を経験し、黄金期の関東学院大出身だ。昨年廃部になったコカ・コーラでもプレー。そんなトップレベルを経験した目から見て、こんなに早く竹内が日本代表まで上り詰めるとは思っていなかったという。

 2人の出会いは竹内が宮崎工高3年時。松本監督は「実はFBの選手が目当てで学校を訪れたら、元気のいい選手がいるなと。それが竹内だった」と振り返る。当時、竹内のポジションは第三列。花園にも縁もなかった無名のラガーマンにとって将来の希望は教職だった。

 九州共立大大学では1年から試合に出場。トップレベルでラグビーを続けたい思いは強まっていった。3年の進路面談で思い切ってその希望を打ち明けた竹内に対し、松本監督ら指導陣の答えは「ロックや第三列ではなく、プロップなら可能性があるのでは」。ただゼロからのスタート。しかも卒業まで時間的猶予もない。松本監督は「現実的には厳しいと思っていた。だが竹内には信じ抜く力がある。体を大きくしようと一日中、ウエート室にこもるのも日常茶飯事だった」と感心する。

 大学4年となる前の3月、当時トップリーグの発掘プロジェクトに参加。プロップとして、初心者同然だったが、将来性を買われて浦安から声がかかった。道が開けた瞬間だった。ただそこから順風満帆だったわけではない。ルーキーイヤーはいきなりのコロナ禍に見舞われた。プロップとして学ぶべきことが山ほどある上、無名だけにアピールする場が失われた。さらに練習で右脚の前十字靱帯(じんたい)断裂の大けがにも見舞われた。それでも心は折れなかった。「自分が活躍する事によって地方大学の選手が自信や夢を持ってくれたら」。そんな強い使命感も胸にあった。

 苦難を乗り越えて今季はリーグワンで15試合に出場。183センチ、115キロの24歳は存在感を示し、日本代表予備軍となるナショナル・デベロップメント・スコッド(NDS)に選ばれた。大分・別府での合宿中には松本監督も激励に訪れていた。

 11日に東京・秩父宮ラグビー場で開催されたチャリティーマッチの「トンガサムライ・フィフティーン」戦のメンバー入りは逃したが、今回のウルグアイ戦でチャンスをものにした竹内。「自分が出た時間は全部楽しかった。またキャップが取れるように頑張ります」。予備軍からのさらなる飛躍がこれから必要だが、一つの足がかりはつかんだ。

 どれだけ飛躍しても自らの原点は忘れていない。時間が取れれば母校の九州共立大に出向き、後輩への指導を欠かさない。パフォーマンスを見てもらいたくてもなかなか目が届かない地方からの挑戦。「地方大の星」の歩みは始まったばかりだが、自らの「立ち位置」は決して自分だけのものではないと肝に銘じている。(大窪正一)

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