ソフトバンク、看板の「育成のホークス」の裏側 3軍制発足から11年、知られざる足取りとは

西日本スポーツ 喜瀬 雅則

 ソフトバンクの3軍制が発足したのは2011年。その“1期生”が千賀、甲斐、牧原大という、いまやチームを代表する主力選手となった。その後も石川、周東らタイトルホルダーも生み出し、他球団もうらやむ“育成のホークス”の源泉となった。初代の3軍指揮官を務め、今季“復帰”した小川史3軍監督(62)に、山口-関西と続いた6月10~16日の遠征中、発足当時のことや3軍の現状を聞いた。(喜瀬雅則)

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 小川3軍監督は3軍制発足当時の監督だ。秋山監督時代に1軍ヘッドコーチも務め、他球団選手の現状や動向を調査するプロスカウトなどフロント業務にも携わり、今季から3度目の3軍監督を務める。

 「今は環境として整い過ぎているかもしれないね」という見解には、かなりの“重み”がある。発足直後の3軍には、筑後のような一大拠点はなかった。福岡県内の大学のグラウンドを借りたり、2軍の活動前に練習したり、さらには福岡市・西戸崎の旧寮前のスペースを使ったりと、練習時間と場所を確保するだけでも一苦労だった。

 「今、みんなが育成選手じゃない? (発足当時は)支配下の選手が“すぐ横にいた”からね」。当時は育成選手だけで3軍を編成できず、支配下と育成が半々。目の前にいる2桁の背番号の選手たちを抜かないといけないというモチベーションをかき立てられやすい状況にもあった。

 「そこ(環境の変化)はしょうがないところはあるよね。だから、こっちから、いろいろな刺激を与えないと」。かつての先輩たちの苦労話を引き合いに、おまえたちも頑張れ、と精神論を押し立てるのではない。ゲームを通して「気づかせないとアカンよね」というのが、ソフトバンクの若手育成の“肝”ともいえる方針でもある。

 15日の阪神2軍戦(鳴尾浜)。7回表まで4-2でリードしていた。だが3番手の高橋純が2四死球に2暴投と乱れると、悪い流れはバックにも波及。エラーも絡んで追いつかれると、1点を勝ち越した直後の8回裏に不運な当たりの内野安打などで一気に6失点。こうした“空気感”の時、どうやって食い止め、反撃態勢をつくるのか。

 「そういうことをやりながら気づいてもらわないといけないし、こっちはそういう経験をさせてあげないといけない。失敗はなぜなのか、それを取り返す経験をしていってくれたらいい」と小川監督は強調する。

 選手が自らの特徴を押し出すことも重要という。「(甲斐)拓也なら打撃は全然だったけど、肩とスローイングはすごかった。牧原大も守備はボロボロ。でも足は速かった」と“原石時代”を語る。「今は平均的。ここがすごいというのがなかなかなくて、平均的に30点くらいの選手が多い。でも昔はどこか10点でも、ここは60点、というパターンが多かった。創設の頃は『あ、これいいな』というのが、結構ばらけていたんだよね」

 キラリと光るのは、やはりストロングポイントを持つ選手だ。15日に初回無死一塁から俊足を生かしてバントを内野安打にした育成3年目の20歳・舟越は2安打1盗塁をマーク。14日の阪神2軍戦(鳴尾浜)でバックスクリーン直撃弾を放った育成ドラフト2位ルーキー川村は、続く15日も2本の二塁打を含む3安打2打点。川村は2月の宮崎キャンプで強打をアピールし、一時A組にも参加した。持ち味を試合で発揮して初めて、選手自身にも“セールスポイント”が分かる。

 「だから、こっちも我慢強くないと」と小川監督。見守る優しさと突き放す厳しさ。難しいバランスを取りながら、次代の千賀、甲斐、牧原大を生み出すための奮闘が続く。

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 今回鳴尾浜球場に福岡ナンバーのバスが2台止まっていた。3軍の遠征は基本的にバス移動。6月10日の山口・周南市での社会人・日鉄ステンレス山口シーガルズ戦を皮切りに、由宇での広島2軍戦、鳴尾浜での阪神2軍戦、さらに堺市での関西独立リーグ選抜戦と遠征は1週間続いた。由宇から神戸の宿舎までは4時間超。首脳陣も育成の外国人4選手も例外ではない。

 3軍発足当初は経費節減もあって1台だった。試合後あまりのしんどさに、牧原大は「通路で寝たことがあります」。甲斐は「補助席が詰め詰めでした」。大竹耕は「一度だけ」四国へ移動直後の試合で先発したことがあるという。育成を経験した選手たちは“待遇面の苦労”も乗り越え、支配下、1軍レギュラーに成長した。

 「今の選手に『ハングリーさ』とか言っても無理かもしれない。でも、こちらからいろいろな刺激を与えて、やるんだという気持ちにさせるのも一つ」と小川3軍監督。長距離バス移動の苦労話をエピソードに変えることができるのも“一流の証し”かもしれない。

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