「素人監督」から甲子園V 佐賀商率いた名将が語る「指導者はいかにそこに気づくか」

西日本スポーツ

 高校野球の九州の名将が自らの歩みを振り返るとともに、甲子園を目指す球児にエールを送る企画の最終回は、佐賀商を率いた1994年夏に県勢初の全国制覇を成し遂げた田中公士氏(81)。本格的な野球経験がないながら、教え子とともに指導者として成長。自主性を尊重する「気づき」を生かした采配で聖地に公立校旋風を巻き起こし、高校野球史に残る名勝負を生み出した。

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 青天のへきれきだった。夢だった教師となり、初めて着任した多久工(現多久)で待っていたのは、硬式野球部監督への就任だった。野球経験は、大学時代に軟式の同好会でプレーした程度。「まさか、でした」。思わぬ形で名将が誕生した瞬間だった。

 忘れられない苦い記憶の一つに試合前のシートノックがある。空振りは当たり前。最後に打ち上げるキャッチャーフライがうまくできず、何度も冷や汗をかいた。他校に出向き指導法を学び、試行錯誤の毎日だった。次第に勝利の喜びも知り、後に大洋(現DeNA)で「スーパーカートリオ」の一人として活躍した故加藤博一氏も育てた。

 1980年に佐賀商へ。佐賀を代表する伝統校だけにようやく「お役御免」だと思った。「教員として甲子園に行けそうだな」。ところが…。「私の野球の師匠」と尊敬する当時の監督の故板谷英隆氏に請われる形で部長に就任した。

 負けが許されず、甲子園を逃せば周囲から批判の嵐。そんな重圧と戦いながら指揮を執る板谷さんの背中を見ながら、指導メモは増えた。部長就任から7年後。OBでもない“素人指導者”が伝統校の監督に就いた。 

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