オート32期生 西日本勢紹介

飯塚オートの佐藤裕児 拡大

飯塚オートの佐藤裕児

飯塚オートの高宗良次 飯塚オートの町田龍駿 山陽オートの小栗勝太 山陽オートの高木健太郎 山陽オートの長田恭徳

※年齢は2013年7月4日現在。
 
5歳で始めた二輪人生 
▼佐藤裕児(さとう・ゆうじ、28歳)
 
 好きだった仮面ライダーになりたくておもちゃをねだったら、与えられたのがポケバイ。「それからハマった」。その時、わずか5歳。佐藤裕児の二輪人生の始まりだった。18歳からは全日本ロードレースに活躍の場を移し、多くのファンを魅了。ただ将来を考えた時「ロードで60歳まで走るのは厳しい。でもバイクは好きだし…」。葛藤していた時、同じロードレース仲間で親交のあった渡辺篤(浜松31期)がオートに転向。これが大きな刺激になり、自身も転身を決めた。

 養成所には特例枠での入所。しかし「ロードとの共通点は二輪という点だけ」と、まるで違う競技とも言えるオートに戸惑うばかり。フォームや走りのスタイルもロードの癖が抜けず、「苦労ばかりでした」。

 それでも、実地訓練に入ると一変。師匠の東小野正道の「ロードの感覚を大事にしろ」の一言が好作用で、「気が楽になって、さまざまなことにトライできた」。その結果、走りのフィーリングは「養成所の時よりいい」と手応えを得るまでになった。自ら整備し、マシンを仕上げていく作業にも「愛着が湧いて、オートバイのことがさらに好きになった」。まさにそれは、ロードレーサーではなく、オートレーサーの魂だ。

 「師匠と一緒に一番上のクラスで走れたら最高」と思い描く。モットーの「昨日よりも今日、今日よりも明日」の精神で前進すれば、師匠とSG優勝戦で対決する日も、そう遠くはないだろう。


勝負根性で困難を撃破
▼高宗良次(たかむね・りょうじ、25歳)

 ケガでつらい訓練生活だった。それでも高宗良次は、端正な顔つきをさらに引き締めて、まっすぐに前を向いた。「これまでも、いろんな壁にぶつかっては乗り越えてきた。だからきっと大丈夫です」

 オートレースの音とスピードに心を奪われ、2度目の挑戦で32期生に合格。強い意欲で養成所に入所したが、訓練中盤の2月、どん底に突き落とされた。落車で左膝の靱帯(じんたい)を断裂する大ケガ。入院、リハビリで2カ月ものブランクを強いられた。

 しかし、それでめげるような男ではない。名門校に特待生で進学したほど力を注いだ野球を通じて培った忍耐力や勝負根性で、同期との差は着実に埋めた。資格検定タイムは19人中17番目で男子最下位だが、持ち前の「超負けず嫌いな性格」があったからこそ、一緒の卒業に間に合った。

 不安は応用練習の不足だが、「努力は決して裏切らないし、試練は飛躍へのステップ」。その信念で、デビュー後も精進を重ねる。


挑戦9度でつかんだ夢
▼町田龍駿(まちだ・たつとし、23歳)

 “9度目”でたどり着いた夢のスタートラインだ。公営競技の選手を強く志望していた町田龍駿は、オートとボートの選手に応募し続け、不合格通知を手にすること実に8度。「正直つらかった。それでも夢は追い続けたかった」。そして受験9回目のオート32期生でついに、初めての合格通知。将来に迷い、父(警察官)と同じ公務員になろうかと専門学校に通い始めた直後に届いた吉報だった。

 選手養成所では、生活面の厳しさにこそ面食らったが、走行訓練は大きなケガもなく順調そのもの。指導に当たった教官も「何でも器用にこなすし、最初から車をうまく操っていた」とセンスを評価する。選手資格検定タイムも19人中3番目。明るい前途を予感させる好素質を持ち合わせる。

 「S級に居続けられるような選手に」というのが目標だが、「親の年収を超えたい」というのも選手を志望した動機の一つ。持ち前の粘り強さで1年でも早く実現させれば、それは最高の親孝行になるだろう。


デビュー目前に急変貌
▼小栗勝太(おぐり・しょうた、21歳)

 「カッコいい。これしかないと思った」。小栗勝太は、祖父に連れられて15歳で初めて見たオートレースに一目ぼれした。高校時代も、学校の進路相談のたびに「オートレーサーになりたい」の一点張り。在校中に受験した31期の試験では残念ながら涙をのんだが、卒業後に塗装工として働く間も、レーサーへの思いは消えなかった。そして2度目の挑戦の32期で見事、吉報を手にした。

 選手養成所では「自分には適当な面があって、怒られてばかりでした」。しかしデビューを目前に控え、配属先の山陽などであった実地訓練で、師匠の畑吉広らの指導を受けるうちに大きく変貌。養成所の教官も「目の色が変わってきた」と目を見張るほどに、強い自覚が備わってきた。

 夢を実現させた今、「全ての面でまだまだだが、やる気だけはすごくあります」と意欲はあふれんばかり。「デビュー戦は絶対に1着を取ります」。高ぶる思いをスピードに変え、真っ先にゴールへと飛び込む。

2倍の努力で遅れ挽回
▼高木健太郎(たかぎ・けんたろう、24歳)

 忘れたはずの夢が不意に呼び起こされた。高木健太郎は、陸上自衛隊に勤めていたが、拡大された受験資格を知り、少年時代に抱いたオートへの憧れが再燃。転身を決めた。

 ただ、デビューにこぎ着けるまでには険しい道のりを強いられた。養成期間終盤の最も大事な時期に、模擬レースで落車。左手人さし指の腱(けん)を切る大ケガを負い、1カ月近く競走車に乗れなかったのだ。

 「正直、焦った」が、復帰後は「人の2倍は努力をしないと」と持ち前の真面目さをフルに発揮し、訓練の遅れを挽回。同期とともに船出の時を迎えた。

 体が硬く、乗車姿勢が最大の課題。しかし所属する山陽には、同じく体が硬いのに「フォームがすごくきれい」と敬服する松尾啓史がいる。その松尾からの指導も受け、今は最良の腰周りを見いだそうと懸命だ。

 デビュー後は「速い遅いに関係なく、みんなに慕われる選手になりたい」。技術面はもちろん、人間性も磨いていくことを誓った。

勝負の世界を探し求め
▼長田恭徳(ながた・たかのり、18歳)

 長田恭徳は小中高とサッカー一筋。高校後の進路も「サラリーマンにはなりたくないし、勝負の世界で生きたい」と思い描いていた。ただ小柄な体格は、Jリーガーを目指すには不利。その時、「ふと思い出した」のがオートだった。

 オートレース場のない広島出身だが、「小さい頃からレースを見ていました」。実は、山陽オートのすぐそばに父方の親類、飯塚市には母方の親類が居住。気付けば身近に、求めていた勝負の世界があった。

 オートバイに乗った経験すらなかったが、32期に一発合格。養成所では「思いと動作が一致しないし、レベルは低かった」。それでも同期最年少で運動能力も高いなら、伸びしろは無限大。「あまりそう見られないが、実は負けず嫌い」という性格もプロ向きだ。

 周囲への気配りを忘れない。「今ある環境は当たり前じゃない。両親をはじめ、自分に関わった全ての人への感謝を忘れずに」。義理堅い好青年は、バンクでの好走で気持ちを示す。

 ****第32期の飯塚、山陽勢****
<飯塚>佐藤裕児(福岡)出身校=門司高
 資格検定タイム3.51 指導員・東小野正道
 デビュー戦=飯塚7月5~8日

<飯塚>高宗良次(福岡)出身校=熊本・城北高
 資格検定タイム3.62 指導員・宮地朗
 デビュー戦=飯塚7月5~8日

<飯塚>町田龍駿(福岡)出身校=八幡中央高
 資格検定タイム3.49 指導員・小里 健太
 デビュー戦=飯塚7月5~8日

<山陽>小栗勝太(山口)出身校=宇部鴻城高
 資格検定タイム3.52 指導員・畑吉広
 デビュー戦=山陽7月19~22日

<山陽>高木健太郎(山口)出身校=美祢工高
 資格検定タイム3.58 指導員・吉松憲治
 デビュー戦=山陽7月19~22日

<山陽>長田恭徳(広島)出身校=県立広島工中退
 資格検定タイム3.56 指導員・岡本信一
 デビュー戦=山陽7月19~22日

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