ソフトB内川、本気で「引退」考えたオフ 道具捨てる直前…翻意させたのは母だった

 2人の存在がなければ今の内川はない。一人は母の和美さん。内川いわく「引退」も辞さなかったという2007年オフ、現役に踏みとどまらせた恩人でもある。前年の06年にプロ入り最多の124試合に出場しながら、07年は開幕直後の不振で2軍落ち。結局92試合の出場にとどまった。

 「勝負の年と思っていたのに散々な結果に終わった。プロの世界で飯を食っていく自信も、資格もないと思った」

 シーズン終了直後、和美さんに「もう野球をやめる」と伝えた。当時25歳。本気だった。野球道具を処分すべく、一式まとめた。だが、母の「本当にやりきったの?」という一言でハッとさせられた。自暴自棄になっていたのは分かっていた。だから一年だけ“延長”した。「来年ダメなら本当にやめる」。心に誓った。

 覚悟を決めた08年。運命の出会いがあった。前年までヤクルトで指導していた杉村繁氏(現ヤクルト打撃コーチ)が横浜の打撃コーチに就任。そこで衝撃的な事実を知らされた。「スワローズはお前に自分の得意なバッティングスタイルをさせることでアウトにしようとしていたんだよ」。それまで長所と信じて疑わなかった、前で球をさばく打撃スタイル。それを否定され、ぎりぎりまで球を呼び込んで仕留める練習を徹底的に反復させられた。球種、コース問わずどんな球にも柔軟に対応できる球界屈指のバットコントロールは、そのときに身に付けた。

 「あそこで自分の形を築けたから、いまがある」。07年まで414安打だったが、その後1086安打を積み重ねた。生みの親と“育て”の親に支えられ、球界随一の打者へと上り詰めた。

 (ホークス担当・石田泰隆)

2014/07/12付 西日本スポーツ

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