福岡ボート60年 数々の名勝負

1979年の第26回日本ダービーで、一斉にピットを飛び出すスタート練習のボート 拡大

1979年の第26回日本ダービーで、一斉にピットを飛び出すスタート練習のボート

1959年 1960年 1967年 1982年 1985年 1989年 2007年 2010年

 1953年に産声を上げたボートレース福岡(福岡市中央区那の津)が、9月に“還暦”を迎えた。九州一の繁華街・天神から徒歩10分という、他場には類を見ない立地の良さを生かし、全国トップクラスの売り上げを維持してきた。その一方、一般会計に莫大な金額を繰り出して、公営競技としての使命も果たしてきた。2007年にはボート界で最高峰のSGレース賞金王決定戦を開催するなど、数々の名勝負も生まれた。福岡のレジャーの中心として輝き続けた、歴史に刻まれた60年を、数々の写真とともに振り返る。 (森 大輔)

 福岡でのSG(スペシャルグレード)開催数は、住之江65回、平和島36回に次ぐ21回で、数々の名勝負を生んだ。

 まず思い出されるのは、1985年の第32回全日本選手権。当時の4大競走の全冠制覇(総理杯、笹川賞、MB記念、全日本選手権)を狙う“昭和の艇王”彦坂郁雄は、実に7年越しの挑戦。優勝戦の枠番抽選で引き当てたのは、何と「神様がくれた6号艇」。当時の優勝戦はオール抽選で、福岡は6号艇が最内(インコース)。彦坂は、この好機を逃さず快勝。ボート界史上初のグランドスラムを成し遂げた。

 新時代を象徴させる戦いは、96年の第43回全日本選手権。平成の艇王・植木通彦とエースのジョーこと上滝和則の九州2強対決。その決着は、上滝が執念の追い上げで植木を退け、悲願のSG初Vを達成した。

 意義深い大会では、ボート界最高峰のレースが初めて本州を渡った2007年の第22回賞金王決定戦。優勝したのは、これまで無冠だった吉川元浩。6コースまくりで得た優勝戦1号艇をしっかり生かしてV。8度目のSG優勝戦進出でつかんだタイトルに、男泣き。

 当日の有料入場者数は2万1310人、1日の売上額は72億4157万8100円で、これは福岡の新記録。超満員のファンから地鳴りがするほどの大声援。博多の地に、いかに福岡ボートが根付いているか証明された。

市財政に大きく貢献

 ボートレース福岡は、1953年9月26日に初開催を迎えた。開設前は、当時の規約「6大都府県(東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡)は2場まで」や、競輪(現・貝塚交通公園)との同時開催(福岡競輪は62年8月廃止)、漁業補償など問題が山積み。それでも、初日に909万5600円、53年度合計で7億3088万2400円を売り上げて、初年度から売上日本一(全国15場中)を達成。当時からボート界の中心だった。

 福岡市は72年、北九州市に次いで九州2番目の政令指定都市となると、75年には人口が100万人を突破。80年代に入ると都市高速、地下鉄が整備されて急発展。時を同じくして福岡も売り上げを伸ばし、バブル景気絶頂の90年には、131億円もの繰出金を創出した。

 近年は、景気の落ち込みで全国的に公営競技の売り上げが減少。福岡の繰出金もピーク時より大きく減ったとはいえ、昨年度も約11億円の繰出金を供出した。

2年連続 売上日本一

 ○…2011年4月15日、外向発売所「ペラボート福岡」がオープン。連日、盛況で多くのファンでにぎわっている。12年度は、この成功もあって敷地内売り上げ実績(本場と外向発売所での、本場開催分および他場開催分の売上額合計)で345億円を売り上げて、日本一を達成。13年度も340億円で1位となり、2年連続で売り上げトップの座に君臨している。

“博多ん大将”松田雅文さん

 ○…数々の名レーサーを生んだ福岡。その中でも忘れてはならない選手といえば、本紙評論家の松田雅文さんだろう。

 福岡で圧倒的な強さを誇り“博多ん大将”“博多天皇”などの愛称で呼ばれた。SGは2度の優勝があり、うち一つが当地で行われた1989年のモーターボート(MB)記念。しかし、G1の周年記念では勝てず、やっと栄冠を手にしたのは、43歳(41周年)の時だった。

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