「サッカーコラム」ピッチが「青く」なかったころ

共同通信

 一年で最も爽やかな新緑の季節だというのに、外出もままならない状況が続いている。スパイクシューズに踏み荒らされていないスタジアムの芝生は、さぞかし良い状態を保っているのだろう。当たり前と思っていたもののありがたみは失って初めて分かるという。Jリーグやスポーツがある生活は幸せなことだったのだと改めて感じている。今はただ、嵐が過ぎ去るのを身を潜めてやり過ごすしかない。

 「新緑」で思い出したが、中村俊輔がスコットランドの古豪・セルティックでプレーしていたころに、スコットランド・リーグカップの準決勝を取材に行ったことがある。春のことだった。その試合で俊輔は負傷し、試合後のミックスゾーンに姿を現さなかった。それでも「グラスゴーまで足を運んだのに…」という残念さはあまり感じなかった。スコットランドの国立競技場で1世紀を超える歴史を誇る「ハンプデンパーク」で取材できる喜びの方が大きかったのだ。

 この旅ではロンドンの友人宅に居候していた。夕方になると、よく友人とスパイクシューズを持って公園に行った。王立公園「リージェンツパーク」だったと思う。平日でも友人の仲間が集まってきて、仕事後に高校の部活動のようにサッカーをやった。同じようなグループが多くいたが、それを可能にしていたのが広大な芝生の存在だった。

 日本の公園では「芝生に入らないでください」という看板をよく見かける。わが国では芝生は観賞用の植物なのだ。しかし、イギリスではサッカーやラグビーをやる場所には必ず芝生があった。

 面白かったのは、そんなサッカーをしているグループの間をレジ袋を手にした人がうろうろと歩き回っていることだ。袋のなかに入っているのはサッカーシューズ。いわゆる「流し」の助っ人が、自分のレベルにあったチームを探しているのだ。そんな風景を見て、この国の人は本当にサッカーを楽しんでいるのだなと思ったものだ。

 今では当たり前のことと感じている方が多数派に違いない。しかし、かつて日本のサッカー場において芝生が青々としているのは限られた季節だけのことだった。冬のサッカー場の芝生は、枯れた茶色が当たり前だった。

 1990年ワールドカップ(W杯)イタリア大会のアジア予選ではこんなエピソードがある。89年6月11日に行われたインドネシア戦。試合会場は7千人しか入らない東京都北区の西が丘サッカー場だった。今では想像すらできないだろうが、こんな小さな会場でW杯予選をやっていたのだ。そのピッチには芝生が生えていなかった。「こんなひどいグラウンドはインドネシアにはない」と敵将が激怒していたのだが、30年前の日本の芝生事情とは、その程度のレベルだった。

 当時、国民総生産(GNP)で世界2位の経済大国だった日本で最高峰に位置していた旧国立競技場でも冬になると芝生は枯れてしまっていた。同競技場で81年から開かれたトヨタ・カップ(現クラブW杯)は世界中に放送されていた。12月開催なのでピッチは当然、茶色。主催者が恥ずかしく感じたのだろう。86年から88年までの3年間は何と緑色の塗料で枯れた芝生を着色したのだ。当然、試合の経過とともに白いボールが緑色に染まっていく。当時は疑わなかったが、いま考えると国としてとても恥ずかしいことだった。

 冬でも日本の競技場の芝生を緑に保つ。日本のスポーツ現場の芝生問題に大きな変化をもたらしたのが鈴木憲美氏だ。前回の東京五輪が行われた翌年の65年に国立競技場の職員になった鈴木氏。以前インタビューをさせてもらった際に、冬の芝生を緑に変えるきっかけは「悔しさだった」と語っていた。81年にトヨタカップで来日したリバプールのコーチが、前日練習を終えてこう言ったのだという。

 「ところで明日の試合会場はどこなの?」

 もちろんコーチが会場を知らない訳がない。芝生のひどさに対する皮肉だった。

 夏芝と冬芝の2種類を同じ土壌で季節をずらして育成させる。いわゆる「ウインターオーバーシーディング方式」の研究が80年代後半に始まった。担ったのは、鈴木氏を始めとする国立競技場のグラウンドキーパーたちだった。

 91年に世界陸上選手権開催することが決まったことも追い風となった。これにより、旧国立競技場は陸上トラックやフィールドを大改修。思い切った芝生の入れ替えを行うことができた。とはいうものの、プレッシャーもあったのは事実だ。

 「ここは『国立』。年間の使用スケジュールも決まっている。失敗は許されなかった」。鈴木氏はそう振り返った。

 89年12月17日。ACミランとナショナルが対戦したトヨタ・カップ。旧国立競技場の鮮やかな芝生は世界中に放送された。それはサッカーだけでなく、ラグビーなど芝生を舞台とする全ての種目に対する最高のプレゼントだったのではないだろうか。

 93年に始まったJリーグでは、各スタジアムのピッチは旧国立競技場の芝生が基準となった。鈴木氏たち国立競技場のスタッフも、生育に関するノウハウを惜しみなく提供した。それは日本にある多くのスタジアムの美しい芝生として結実した。そのピッチに早く歓声が戻ってくるのを、われわれはいま信じて待つしかない。そのためにも今は、Stay Homeを心がけよう。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で7大会目。

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