『走れ!歌謡曲』、リスナーとの“距離の近さ”が反響 パーソナリティ・佐藤千晶が明かす番組終了への想い

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 「椎名林檎は『新宿の女王』かもしれないが、我が娘は『忘れ物の女王』である」──。深夜に放送されているラジオ番組『走れ!歌謡曲』(文化放送)のパーソナリティ・佐藤千晶が自身のTwitterに投稿した「父がPTA会報にのせた記事」がバズっている。3.8万の「いいね」が寄せられたほか、リプライも「さすが(新聞記者の)父上、読ませる文章すごいですね!」「お父さんの愛を感じる」などあたたかいものばかり。昨年も数々の話題がSNSから上がったが、ラジオのエピソードを起点としたバズりは非常に珍しいケース。この反響に佐藤はどんな感想を抱いたのか。当時、思春期だった少女時代の思い出、家族愛や同番組への想いについて聞いた。

【画像】『歌舞伎町の女王』ならぬ”忘れ物の女王”…「父がPTA会報にのせた」佐藤アナ幼少期の逸話

■リスナーのSNS投稿がきっかけ 投稿が話題になり当のご尊父は大喜び

「想像以上の反響に驚きました。私の故郷である宮城県気仙沼市では驚いた時に“ばばば“といいます。夜に投稿して翌朝、桁違いのいいねの数を見て心の中で“ばばば”って叫んだことを覚えています(笑)」(佐藤千晶/以下同)

 投稿のきっかけは佐藤がラジオで話した自身のエピソード。普段から忘れ物の多い彼女は、昨年、その年の目標として「忘れ物をしない」を挙げた。だが、その目標すら「忘れていた」と笑い話に。そして新宿の歌舞伎町でお団子を食べた話も披露し、新宿といえば…ということで椎名林檎の『歌舞伎町の女王』を流した。これにリスナーが反応した。Twitterで「椎名林檎さん『歌舞伎町の女王』 佐藤千晶さん『忘れ物の女王』」と投稿したのだ。佐藤がこれに気づき、「そういえば高校生の時のPTA会報に書かれたことあったような」とリツイートし、その後、該当記事をアップ。

内容は高校生時代の佐藤についてのことで「先日は財布、携帯電話、教科書など八個も忘れて登校した。命の次に大事な弁当だけはがっちり持っていくあたりは侮れないが」のほか「佐藤家には『人さまに迷惑を掛けてはいけない』という家訓があり(中略)修学旅行でも遵守した。(中略)オプションツアーとして急きょ組み込まれた『救急車ドライブ&大坂船員保険病院一泊朝がゆ付き』もしとやかにこなした。あっぱれである。かっぽれである」などといったもの。新聞記者であるご尊父のユーモラスな文章や、そこから感じられる娘への愛に多くのユーザーが笑顔したのだ。

「父も驚いていました。15年以上も前に書いた記事が話題になったわけですから。また母がランドセルを忘れて登校したことがあるというエピソードについては、『私も忘れたことがあります』のコメントが。これを見て母は『仲間がいて嬉しい』と喜んでました」。記事の元々はご尊父がひっそりしたためていたブログ。当時ブログ記事が話題になり、父を問い詰めたところ、ブログの存在が発覚したそうだ。

■「走れ!歌謡曲は私の心のふるさと」 筆跡からラジオネームがわかるほどの深いつながり

 「書かれてあることは周知で、事実ばかりなのですが、思春期でしたから恥ずかしかったですね。特に嫌だったのは二つ。足にでき物ができて調べたらカビが原因だったんです。あと私がバレンタインに父に送った手紙も写真に撮ってそのまま掲載。当時は『なんで書くの!載せるの!』って怒りました(笑)」

 とはいえ元々会話が多い仲良し家族だった。「父は私がドジや忘れ物をしてもいつも笑っているような人でした。忘れものがあると母にはものすごく怒られたんですが、父が『千晶、お母さんは子供の頃、ランドセル忘れて登校したんだぞ』とツッコミを入れ、母が「あ・・」と、何も言えなくなり結果みんなで笑うという…(笑)。今もすごく仲が良いですよ」。今回のバズりで改めて、親子の思い出話に花が咲いたという。

 今回のケースはいわば、『走れ!歌謡曲』とリスナーのつながりの“深さ”から発生したバズりだ。同番組がスタートしたのは1968年。実に52年の歴史があり、主に深夜に働く長距離運行トラックや夜行高速バスのドライバー、またなかなか寝付けない深夜族たちに愛され続けてきた。歴史があるからだろうか、今はSNS主流のデジタル時代だが、アナログであるハガキやお便りの数は、文化放送のなかでもトップクラスに多い。

 「『走れ~』はリスナーさんとのつながりが非常に深く、距離の近さを感じます。リスナーさんがよく身の回りの近況報告をしてくれますし、私自身も近況報告を。また、私に非常に率直なツッコミを入れてくれます(笑)。たとえ私の会話のボールが暴投しても、拾ってくれる度量の大きい優しい方ばかり。私のなかでリスナーさんは、家族…というとおこがましいかもしれませんが、『ただいま』と『おかえり』をいい合える関係といいますか、『走れ~』という“心のふるさと”を共有しているような存在。リスナーさんがラジオネームを書き忘れていても、筆跡から、それが誰か分かるほどです」

 だがSNS時代に入っての変化もある。「SNSを活用してくださるリスナーさんも多いですね。番組を聞きながらハッシュタグ(『#走れ歌謡曲』)をつけて反応をくださったりするので、『先ほど、Twitterでこういうコメントが来ましたけど』と生放送ならではの盛り上がりが見られます。これはインターネットが発達している今ならではスピード感ではないでしょうか」

■大切にしているのは”なにげない日常” 東日本大震災で感じた“日常”の大切さ

 リスナーとのつながりが深いゆえに、佐藤の同番組への思い入れも深い。彼女がパーソナリティを務めた4年のうち、迎えた人生の節目を『走れ!歌謡曲』で話をした。一つは結婚の報告。一つは愛する弟の死。そしてもう一つは、同番組が今年3月で終了してしまうこと…。

 「52年も提供してくださった日野自動車さんに感謝するとともに、ホームがなくなってしまう寂しい想いでいっぱい。でも歴史や想いは消えないと思います。私にとっても心のふるさと。この灯りはともしたまま、自分の人生も含めてこれからも走っていきたい」。これまでパーソナリティを務めてきたのは80人以上。スペシャルパーソナリティとして故・美空ひばりさんが出演したこともあった。まさに歌謡曲の歴史そのものだ。

 残り3ヵ月を切っているが、佐藤は「今までと変わらず放送したい」と話す。それは彼女が気仙沼出身で、東日本大震災で大きな被害をこうむった地域だったこともある。「震災を経験し、なにげない日常こそが、かけがえのない大切なものだという想いを改めて抱きました。今もコロナ禍ではありますが、“なにげない日常”を送り続けていきたいと思っています。」

「これからも皆さんとキャッチボールができるぐらいの距離で、明るくほっとするような言葉を紡いでいきたい」と佐藤。実際、当インタビューでも彼女の笑顔が絶えることはなかった。そして最後にご尊父が、スマホに娘の名前をなんと登録しているかも教えてくれた。――答えは「すっとこどっこい」だ。この父にしてこの娘あり、まさに“かっぽれ”である。我々も”かっぽれ”な一年を送れるよう、“なにげない日常”を大切にしつつ、新年を一歩ずつ歩んでいきたいと思う。

(取材・文/衣輪晋一)

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