18歳、浦和のGK鈴木彩艶

共同通信

 画面を通してその姿を見ながら、なにもそこまで落ち込まなくてもいいのではと思った。ただ、その意見はある程度の経験を積んだ者の考え方かもしれない。若さ。つまり経験が少ないということは、心に多くのものを受け入れるキャパシティーを残しているということだ。起こった一つの事象を、正面から受け入れる純粋さと素直さがあるからこその反応だったのだろう。

 6月20日のJ1第18節、浦和レッズ対湘南ベルマーレ。2―3で浦和が敗れた試合は、ともに攻撃的な姿勢を貫いた、見ていて楽しい試合だった。

 両チームのゴールを守ったのは、五輪代表候補として6月シリーズのU―24ガーナ戦とジャマイカ戦に招集された2人。浦和の18歳鈴木彩艶と、湘南の20歳谷晃生だった。22日の五輪代表発表では、谷はメンバー入りし、鈴木はバックアップメンバーに回った。GKは経験が重視されるポジションだ。それを考えると、ともに21歳のサンフレッチェ広島の大迫敬介、鹿島アントラーズの沖悠哉。彼らも含めて4人の代表候補GKすべてがJリーグのレギュラーとして活躍していること自体が記憶にないことだ。

 話を浦和対湘南に戻す。浦和が2―1とリードしながら逆転負けした試合で、最後の2失点に絡んだのが鈴木だった。後半25分、左サイドの畑大雅のクロスに飛び出す。パンチングではじき出せると思ったのだろうが、相手の高さが予想以上だった。差し出し、伸ばした手の上からウェリントンにヘディングでたたき込まれた。さらに後半42分、岡本拓也に右ポスト際を抜かれたシュート。ピンチの発端は鈴木のビルドアップのミスだった。ただ、これに関しては岡本がシュートを放つまでに浦和の3選手がボールに触れているわけで、鈴木のキックミスまで4プレーほどさかのぼらなければならない。

 試合後に敗戦の責任を一人で背負いこんだようにしゃがみ込んだ。そのショックの大きさは、リーグ戦で初の敗戦を喫したことも関係するのだろう。5月9日のJ1第13節、ベガルタ仙台戦からゴールマウスを任されると、前節まで3勝2分けと無敗だった。しかも、その間に許したゴールはわずか2。それが一転、自らのミスもあっての3失点での敗戦だ。

 素晴らしいと思ったのは試合後の対応だ。これは浦和というクラブの姿勢も関係しているのだろう。試合後のオンライン取材で2人の選手がインタビューを受ける。この試合で浦和は、1人は中大出のルーキー大久保智明を登場させた。そして、もう1人が鈴木だった。酷な要求とも言えるが、鈴木は敗戦にも正面から向き合った。

 「ミスしても終わったことなので。サポーターの皆さんに次のプレー、次に戦う姿勢を見せて責任あるプレーをこれからもしていきたいと思います」

 190センチ、91キロ。屈強な体でゴール前に立つ、落ち着いた姿を見ると忘れがちになる。考えてみると、まだ18歳だ。東京五輪候補となったが、本来は3年後のパリ五輪の年代。パリ五輪本番でも、まだ21歳の若さなのだ。

 ダブって見えるのは川口能活の前例だ。川口の場合も清水商高から横浜マリノスに加入したときに高い壁があった。一つしかないGKというポジションに、松永成立という日本代表のレギュラーが存在したのだ。しかし、2年目にポジションを手に入れると、GKとしては最多となるAキャップ116回の日本サッカー史に残る守護神となった。その川口より1年早い段階で鈴木は、日本代表GKの西川周作からポジションを奪い取った。高校出1年目からのレギュラーGKとなれば、もう一人のレジェンド楢崎正剛と同じだ。

 ドイツがまだ東西に分かれていた時代、西ドイツにゼップ・マイヤーという名キーパーがいた。代表チームで1974年W杯や1972年欧州選手権。バイエルン・ミュンヘンでもチャンピオンズリーグの前身であるチャンピオンズカップやインターコンチネンタルカップを制覇。タイトルを総なめにした伝説的選手だ。若い頃には凡ミスも目立った。その名手はこう言っている。自分は「経験を重ねるごとに年代物のワインのようになってきた」

 守備者。特にGKは経験を積み、犯したミスの一つ一つを埋めていくことで競技力を高めていく。その意味で鈴木には、まだまだ埋めるべきスペースが数多くある。確かにミスはその時点では精神的ダメージになる。それでも将来を考えれば、ミスはより大きく育つための貴重な教材で「いいワイン」を製造するためには不可欠なものなのだ。

 現在行われているEURO。それを見ていると、5年前に比べGKの進化が著しい。残念ながら日本の選手と比べると、別の種目の選手に思える。そのレベルに少しでも近づくために、日本も若い年代のGKに期待するしかない。試合の勝敗を最も左右するのがGKであること。それが、欧州に目を向ければ当たり前のように分かる。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材は2018年ロシア大会で7大会目。

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