折尾愛真が初甲子園 奥野監督が育てた「怪物打線」/北福岡

甲子園初出場を決め、笑顔で記念写真に納まる折尾愛真ナイン
甲子園初出場を決め、笑顔で記念写真に納まる折尾愛真ナイン
写真を見る
北福岡大会を制し大喜びする折尾愛真ナイン
北福岡大会を制し大喜びする折尾愛真ナイン
写真を見る
折尾愛真を初優勝に導き、インタビューを受ける奥野博之監督
折尾愛真を初優勝に導き、インタビューを受ける奥野博之監督
写真を見る

 北福岡大会の決勝は折尾愛真が飯塚との壮絶な打ち合いを12-9で制し、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。2004年の創部から率いる奥野博之監督(48)はホークスの大道典良2軍打撃コーチ(48)とともに高校時代(三重・明野)に甲子園でも活躍。打ち勝つチームを目指し「怪物打線」をつくりあげた。プロ注目のスラッガー3番松井義弥主将(3年)だけではなく、この日は1番長野匠馬(同)が満塁本塁打を含む2発、5番野元涼(同)も今大会6本目の本塁打を放った。今夏10本のチーム本塁打を記録した豪打で夢の舞台でも旋風を吹かせる。

 青空にこの夏6度目の校歌が流れる。有力校が次々と敗れ去った「北福岡」を制したのは折尾愛真だった。創部15年目で初めて手にした甲子園切符。最後は望み通りの打ち合いに持ち込み、3発を含む13安打で飯塚に打ち勝った。今夏6試合で67安打の55得点、10本塁打…。「子どもたちが本当に楽しんでやってくれた。彼らのバッティングを信頼していたから」。眼鏡姿の奥野監督は豪打のナインを頼もしそうに見つめた。

 野球部の歴史は北九州市八幡西区にある小さなグラウンド、中須公園から始まった。女子校から男女共学になった翌年の2004年に創部。1年目は男子4人、女子1人の計5人だった。夏の福岡大会に初参戦した05年は初戦で戸畑工に1-13の大敗。練習試合では投手が点を取られ続けるあまり、なかなかゲームセットにならなかったほどだ。

 奥野監督は明野時代に春夏合わせて3度甲子園に出場した。2年生4番で出場した1986年夏。春夏連覇を狙った池田(徳島)との初戦で本塁打を放ち、脚光を浴びた。「当時の明野も打力が売り。私は『とにかく打って勝つ』しか知らない」。今、選手に教えるのは「打つ楽しさ」だ。

 約5年前に福岡県遠賀町に専用グラウンドが完成したが、今年のチームは原点の地を2度訪れた。1度目は今春の福岡大会5回戦で東筑紫学園に8-9で打ち負けた後だった。「とにかく野球を一生懸命しよう」と選手を諭した。そして、2度目は決勝を迎えたこの日の朝。「こういう場をつくってくれてありがとう」-。奥野監督と部員48人は初心に帰ろうと、公園に感謝の思いを伝えた。「人数が足りない時代にボール一つからやってこられた先輩方がいて、今の自分たちがいる」。主将の松井は仲間たちと15年の積み重ねを再確認し、決戦に臨んだ。

 「打ち勝つ」ために冬場から「食トレ」とも呼べる食育に励んだ。栄養アドバイザーを招き、1時間に1回、茶わん2杯半の白米を詰め込む。炊飯ジャー8台が湯気をふき続け、休日の練習では3食と別に7、8回食べることを繰り返した。20キロ以上体重が増えた部員も多い。これで「怪物打線」の土台が固まった。

 絶対的エースはいない。決勝は延べ7人を登板させる小刻み継投だった。「15年かかってここまで試合ができたのは子どもたちの頑張りのおかげ。北福岡の代表として、はつらつとした野球をしたい」。奥野監督がうなずいた。32年前に自らアーチをかけた甲子園に指導者として戻る。豪打で記憶に残るメモリアル大会にする。 (広田亜貴子)

=2018/07/24付 西日本スポーツ=

西日本新聞のイチオシ [PR]

ソフトバンクホークス選手の写真販売中!

西日本新聞のイチオシ [PR]