亡き恩師にささげるB1初昇格 あえてB3福岡選んだ福岡大大濠出身コンビ、胸に息づく教えの数々

昨年5月のイベントで福岡大大濠高の田中総監督(右から2人目)と記念撮影した同校OBで福岡に所属する(左から)小林副主将、堤選手、1人置いて山下主将
昨年5月のイベントで福岡大大濠高の田中総監督(右から2人目)と記念撮影した同校OBで福岡に所属する(左から)小林副主将、堤選手、1人置いて山下主将
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 バスケットボール男子、Bリーグ2部(B2)のライジングゼファー福岡がB2プレーオフ準決勝でFE名古屋に連勝し、B1初昇格を決めた。

 Bリーグ1季目の昨季経営難で3部からスタートした福岡を引っ張ったのが、全国高校総体優勝4度を誇る福岡大大濠高出身の山下泰弘主将(31)と小林大祐副主将(30)だ。「バスケ王国」福岡の功労者で、3月に75歳で急逝した同校の田中国明総監督に昇格をささげた。

 13日の第2戦の試合終盤、山下と小林、同じ福岡大大濠高OBの堤啓士朗(31)が同時に交代出場すると、ホームのブースターが沸き返った。「今日(13日)が田中先生の四十九日。縁があったのかな」。歓喜の瞬間をコート上で味わえた山下は、約2カ月前に突然世を去った恩師に思いをはせた。

 西地区のライバル熊本との2連戦を控え、敵地に乗り込んでいた3月23日。2人は高校の後輩から田中総監督の訃報を聞いた。2日後の試合直後に通夜へ直行。山下は「普段通りの顔で寝ていて、今にも起きそうで…。今でも大濠の体育館に行ったら会えるような気がしている」と現実を受け入れられなかった。

 1965年から福岡大大濠高を指揮し、全国タイトルを何度も獲得した師の教えが心身に刻まれている。田中総監督は選手の個性を尊重しながらも結果を重んじる指導法。選手は伸びしろを残して卒業するため大学やプロ入り後も進化し続けるOBが多く、橋本竜馬(B1三河)や金丸晃輔(同)ら日本代表を次々と輩出してきた。

 小林もその一人。「うちに来い。ただ特待生では取らない」という変わった勧誘を受け、一般入試で入学した。「何でだろうとは思ったけど、おかげで反骨心が出た。型にはめられなかったので、何でもできる選手を目指せた」。誰よりも遅くまで残って自主練習し、内からも外からでもシュートを決められる選手に成長。日立(現B1渋谷)や栃木でプレーし、2011年には日本代表候補に名を連ねた。

 「点を取らないとスコアブックを開いて『何しようと?』と怒られた。でも伸び伸びとプレーさせてくれるので、ダイナミックなプレーを追究できた」と語る山下も、実業団の強豪だった東芝(現B1川崎)で相手の隙を突くアシストを量産した。

 Bリーグ発足を控え、前身のNBL(ナショナルバスケットボールリーグ)が最後のシーズンを迎えていた16年春。山下の東芝と小林の栃木はプレーオフ準決勝を戦い、東芝が勝利した。試合後、小林は山下を食事に誘い、話を切り出した。「福岡からオファーが来ている。一緒に帰りませんか」。当時福岡は資金不足の影響でB3からのスタートが決定。安定した生活を捨て、東芝のように自前の練習場もない福岡への移籍はリスクが高かった。それでも山下は「はい上がる方が面白い」と移籍を決断した。

 田中総監督は当初2人をいさめたが、移籍が決まると自主的に地元の知り合いや企業を回ってクラブへの支援を求めて頭を下げたという。

 「『おまえら(ライジングゼファー)が弱いから選手が県外に流出する。頼むぞ』と言われてきた。先生は今も僕らの中で生きている。昇格できて少しは先生の気持ちも安らいだかな。強いプロが福岡にあり続けるという願いを成就させたい」と小林は誓った。恩師も夢見たB1制覇の目標へ突き進むため、まずは19、20日のB2プレーオフ決勝で秋田を破り、B2年間優勝を成し遂げる。

=2018/05/15 西日本スポーツ=

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