田中和基を救った松井稼頭央の背中 パ初のスイッチ新人王はこうして生まれた

7月21日、西武ベンチの松井が見守る前で「人生初」という満塁弾を放った楽天・田中
7月21日、西武ベンチの松井が見守る前で「人生初」という満塁弾を放った楽天・田中
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刺しゅうで「冥々之志」との言葉を入れたグラブを手にする楽天・田中
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 「楽天の田中」といえばいまだに「マー君」ことヤンキースの田中将大投手(30)を思い出すプロ野球ファンもいるだろう。でも、今や「楽天の田中」といえば田中和基外野手(24)だ。今季最下位に低迷したチームにあって、大卒2年目で「1番・中堅」の定位置をつかみ取り、ファンネームの「カー君」も定着しつつある。偉大なレジェンドの背中を追いスイッチヒッターとしてはパ・リーグで初の新人王に輝いた新鋭に聞いた。(取材・構成=西口憲一)

-大切にしている言葉がある

 大学4年の時に知った「冥々之志(めいめいのこころざし)」という言葉ですね。人知れず努力する心、という意味なんです。頑張るのは当たり前のことで、人に見せるものではないですよね。試合に出させていただいて、打たなかったりミスしたりすると、確かにチームに迷惑を掛けてしまいます。でも、結果って最終的には自分自身にはね返ってきますよね。チームのことはもちろん大事ですが、今自分がやるべきことをきっちりとやり抜こうと。この文字をグラブに縫い付けているのも、その気持ちを忘れないためです。

-入団1年目の昨季はチームに松井稼頭央外野手(今季西武で現役を引退、西武2軍監督に就任)がいた。史上最高のスイッチヒッターと同じ時間を共有した

 稼頭央さんとの出会いがなかったら、僕は1年でスイッチをやめていたかもしれません。

-入団1年目は出場51試合で打率1割1分1厘

 はっきり言って、大学時代のスイッチはプロに入るため、スカウトの目に留まるためでした。希望がかなってプロ野球選手になったとき、スイッチをやる意義を見失いそうになったんです。どういうことかというと、左打席でも右打席でもまったく打てなかった。プロは結果の世界。その結果を出せないのだったら、もうスイッチをやる意味がないのかなと。

-左右どちらかの打席に専念する可能性もあった

 左に集中して、コンパクトなスイングで(打)率を稼ぐことに徹しようかなと。そうした方がプロで生き残れるかもしれないとかいろいろ考えました。でも、左右両方であれだけの実績を残された稼頭央さんが練習で一切妥協しない。そんな姿を間近で見させていただいて、自分の甘さというか、考えを改めさせられました。僕は試合後、あんまり外に出て行くタイプではないんですが、稼頭央さんからよく食事に誘っていただいて…。せっかく右で飛ばす力があるんだから、頑張ってみようと。

-チームは分かれたが、今年は自主トレで師事した

 僕からお願いしました。快く受け入れてもらえたんですが、稼頭央さんは多くを語らないんです。その時も『ちゃんとやるからな、準備はしとけよ』とだけ。実際、一つひとつのメニューに時間をかけて丁寧に…。さっきも言いましたが、本当に妥協しない。

-自身は小学3年で野球を始めたときから、ずっとスイッチヒッターだった

 野球の左以外は全部右です。字を書くのも箸を持つのも、利き目も右。スイッチは父親に勧められたんですが、高橋由伸さん(当時巨人で現役)の影響が大きいですね。僕だけじゃなく、みんな憧れていたんじゃないですか。打ち方をまねしていた子もいましたよ。

-福岡市早良区出身。まさにホークスのおひざで生まれ育った

 僕が野球を始めたころはダイエーが常勝チームになりかけていた時代。小久保(裕紀)さん、松中(信彦)さん、城島(健司)さん、井口(資仁)さん…そうそうたるメンバーですよね。僕は「FDH」のマークが入った小久保さんのTシャツを着ていました。父親に連れられて、よく福岡ドームにも行きました。

-出身高校の西南学院は私立の進学校として知られているが、いわゆる「野球強豪校」ではない

 七つ上の兄が通っていたので、本当は修猷館に行きたかったですが、落ちて西南に行きました。僕自身、何が何でもプロ野球選手に、という考えはありませんでした。小さいときはお医者さんになりたいな、と
か漠然とした夢は持っていましたが…。高校の同級生には有吉弘毅(福岡大-BC石川)という、左の好投手がいました。僕よりも向こうの方が注目されていました。3年の春に左足首の靱帯(じんたい)を痛めて、夏の大会は右でしか打てなかった。最後は3回戦で福岡大大濠に負けました。でも、自分がどうこうよりも、彼をもっと勝たせたかった。高校で悔いが残るとすればそこですね。

-高校通算本塁打は18本

 うちのグラウンドはライトが狭くて70メートルちょっとしかなく、練習試合でいくら越えても「エンタイトルツーベース」という特別ルールでした。左打席でホームランを打つにはレフトを狙うしかなかった。後で考えると、そのことも大きかったかもしれない。

-今季は春先に一度2軍落ちしたが、再昇格を果たした5月下旬のソフトバンク3連戦で2本塁打。いずれも左越えの一発だった

 1本目はバンデンハークからでした。前日の試合、1番で5タコだったんですが、次の試合もスタメン(9番)でチャンスをいただいたんです。その最初の打席、見送ればボール球だったけど、追い込まれていたこともあって、無意識に手を出しました。テラス席ではなくスタンドまで届きましたね。次の打席でもヒットを打ち、盗塁を決めました。自分の持ち味は何なんだと自分に問い掛け、思い切って走りました。今年、印象に残っている試合の一つです。

-1年目が59打席。新人王の資格(野手は通算60打席以内)を持って2年目の今季を迎えた

 あえて梨田(昌孝)監督が残してくださっていたと、後で知りました。そういうこともあって、タイトルのことはずっと頭にありました。ノーステップ打法は、今年2軍に落ちていた時期に、池山(隆寛)2軍監督から「大谷(翔平)打法で打ってみたらどうだ」と軽い感じで勧められたのがきっかけです。練習らしい練習をしないまま、ファームの試合に出て、たしかヒットを3本打ったんです。それからですね。今も左右で続けています。

-立大4年の秋には「東六のギータ」という見出しで西日本スポーツの紙面に掲載させてもらった

 恐れ多いな、と思ったのを覚えています。しかもでかでかとカラーだったのでびっくりしました。よくあるじゃないですか。ドラフト前に○○新聞に載ったら○○の球団に指名されるとか。でも、ホークスから話は来ませんでしたね(苦笑い)。自分では何となく西武とかロッテをイメージしていました。理由は特にありません(笑)。でも、どこにチャンスが転がっているか、誰も分かりませんよね。運は良い方だと思います。

-仙台のファンが呼ぶ「カー君」も定着。グッズの売り上げも上位を占めている

 ご年配の方に呼ばれると照れます(笑)。

=2018/11/28 西日本スポーツ=

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