夢舞台へ 波佐見’11センバツ<下>期待 地域と共に歩き続けて―連載

2011年03月22日 10:46
 地元のファンの熱烈な応援で知られる波佐見高。県大会の決勝ともなると、平日でも地元波佐見町から応援のためのバスが約50台用意され、それでも予約がとれない。波佐見町野球協会の太田秀穂会長(67)は強調する。「波佐見高の甲子園出場は町民の夢。町を元気にしてくれる」。

 同高に野球部ができたのは1979年。その歩みは、地域の支え抜きには語れない。

 発足当時は部員は十数人。内野グラウンドに黒土はなく、走塁やノックで滑り込むとユニホームはすぐに裂けてしまった。生徒はけがをしないように下に柔道着を着込んで練習したという。

 見かねた太田さんら地元有志は、町内を回り約300万円の寄付を集め、バッティングマシンを寄贈、太田さん個人でも10年ほど毎年ローンで買ったボールを12ダース差し入れ、毎月少しずつ寄付も続けた。農家や後援会関係者は寮で暮らす生徒へ米や野菜の差し入れを今も続ける。

 地域の肩入れは「野球文化」が根付いていることが背景にある。70年代には、景気が良かった窯業界を中心に草野球チームが町内に16あったという。長崎、佐賀両県から約30チームが集まる中学軟式野球大会は数十年前から続く。トロフィーは波佐見焼だ。

 野球部も地域に溶け込んでいった。本格化したのは創部から3年後、「甲子園出場請負人」の故得永祥男さん(享年60)が赴任してからだ。得永さんは「良き野球人たる前に良き高校生たれ」の指導方針のもと、生徒を地域の清掃や、町の駅伝大会などスポーツ大会に積極的に参加させた。触れ合いは、地元に「波佐見高ファン」を着実に増やしていった。

 波佐見高が強豪校になるに連れ、野球熱はさらに高まった。波佐見中は3月の新人戦九州大会に出場するなど、県内でも屈指の実力を持つようになった。もちろん、波佐見高から甲子園を目指す中学生も少なくない。

 先月28日に第83回センバツ高校野球大会の出場が決まると、20以上の町内の窯業関係の企業や、商店で「祝甲子園出場」の看板が掲げられた。

 練習を毎日のように見つめてきた波佐見野球部ファンの矢次靖人さん(68)は「波佐見高の子どもたちは町の宝です」。夢舞台の春は刻々と近づいている。
(山口新太郎が担当しました)


=2011/02/08付 西日本新聞朝刊=

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