長~い先ではないJ1V争い 手倉森氏がJ2降格長崎の監督就任会見

1年での“ゼイワン”復帰を誓い、左手でJ1のポーズを取る長崎の(左から)高田明社長、手倉森誠次期監督、高田旭人取締役
1年での“ゼイワン”復帰を誓い、左手でJ1のポーズを取る長崎の(左から)高田明社長、手倉森誠次期監督、高田旭人取締役
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 長~い先までテグ政権!! 来季J2に降格するV・ファーレン長崎の監督に就任するリオデジャネイロ五輪男子日本代表監督の手倉森誠氏(51)が7日、長崎県佐世保市内で会見し、得意のおやじギャグをちりばめながら1年でのJ1復帰を公約した。クラブは複数年契約を結んだもようで、今季まで6年指揮した高木琢也氏(51)のように長期間チームを託す方針だ。J1制覇から“世界進出”へ夢を広げる手倉森氏。長~い先まで長崎を躍進させる。

 手倉森節がさく裂した。「雰囲気が“硬い”けど、自分の“固い”決意を話させていただきます」と軽くジャブを放つと、強気のストレートを打ち込んだ。

 「日本一のクラブにするという長崎の“長~い先”のビジョンを聞き、壮大なプロジェクトだと。実現するには、すかさずJ1に上がらないといけない。俺の出番だなと。“長~い先”の話ではなく、数年でJ1優勝争いするチームにしたい」

 テレビショッピングで人気を博したジャパネットたかた創業者の高田明社長も顔負けの冗舌。長崎の強化担当取締役でジャパネットホールディングス最高経営責任者(CEO)の高田旭人氏も「選手の気持ちに寄り添うモチベーター。周りが一緒に頑張ろうという気持ちになる」と絶賛する。クラブは2023年、長崎市内に新スタジアムを建設する計画を立てている。旭人氏は「長いスパンで地元に愛されるチームづくりを目標に(監督を選び)共感していただいた」と長期政権を示唆した。

 新監督の長所は話術だけではない。仙台でJ1昇格やアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を経験。五輪で指揮し、ワールドカップ(W杯)ロシア大会でも日本代表コーチを務め「全てのカテゴリーを経験した」と自負。J2を勝ち抜く厳しさも承知している。

 「長崎は粘り強い戦いが染み渡っている。メンタルの強さを継ぎながら、自分が経験した世界基準の戦術や戦略を求める。日本代表のように敏しょう性や持久力を生かし、全員がボールに絡んで動く連動性のあるサッカーをしたい」のが理想。一方で「やりたいサッカーばかり追求しても駄目なのがJ2。タフでたくましいサッカーと使い分けたい」と柔軟にスタイルを変える方針だ。

 世界に目を向けるクラブのビジョンに共感し「いずれはアジア、世界にも長崎の名を知らしめないといけない。県民にも共闘してほしい」と本拠地トランスコスモススタジアム長崎での応援を呼び掛けた。「間違っても相手に勝ち点3を“トラスタ”(取らせた)とならないようにね」とニヤリ。勝利と笑顔を県民にもたらす。 (末継智章)

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 「高田社長の人柄にほれた」 手倉森氏一問一答

 -今の心境は。

 「ワクワクしている。思う存分、長崎に自分の経験を(ジャパネットたかたの利益還元祭にかけて)“還元祭”したい」

 -長崎を選んだ理由は。

 「W杯後最初の活動が(9月に長崎・五島列島の)小値賀島でのサッカー教室で、高田明社長から熱い思いを聞いて人柄にほれた。後日オファーを頂き、縁を感じた」

 -長崎の印象は。

 「坂が多い。人生、上り坂もあれば下り坂も、ま“さか”もある。まさかの勝ち方をどんどんしていけたら。原爆の話になると広島の方が先に出る。スポーツ新聞でもサンフレッチェとプロ野球のカープが広島の名をとどろかせている。(まずは)日本一。いずれはアジアや世界に長崎の名を知らしめたい」

 -理想のサッカーは。

 「まずは全員攻撃、全員守備。近代サッカーはスピーディーでインテンシティ(プレーの激しさなどの強度)が高い。柔軟性、連動性を示せるサッカーをしたい」

 -仙台を率いた2011年に東日本大震災で被災したが、J1で4位に導いた。

 「被災地を背負って戦ったとき、人は変われるんだというスポーツの大きさを感じた。被爆という過去に苦しい出来事があった長崎を、サッカーを通してもっと幸せで豊かな地域にしたい」

 ◆手倉森誠(てぐらもり・まこと)1967年11月14日生まれ。青森県出身。現役時代はMF。青森・五戸高から86年に当時日本リーグ2部の住友金属(現J1鹿島)入りし、95年にNEC山形(現J2山形)で引退。大分などのコーチを経て、2008年に仙台監督に。14年からリオ五輪日本代表監督を務め、同年8月からフル代表コーチも兼任した。

=2018/12/08付 西日本スポーツ=

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