博多ロックの軌跡(九州近代歌謡遺聞より)
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「博多ロックの軌跡(九州近代歌謡遺聞より)」 (2ページ目)

「博多ロックの軌跡(九州近代歌謡遺聞より)」の連載記事を掲載しています。

2014 8/4 16:30
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博多ロック編<213>長いライブハウス巡礼

溝上が発行していた「Tessy」

 80年代の博多ロックを支えることになる伊藤エミが福岡市・大名の居酒屋「会者常離」の店長になるのは1970年の半ばころだ。「会者常離」はミニコミタウン誌「Tessy」を刊行していた大学生、溝上徹思が72年に開店した「花じゃむ」に続く居酒屋だった。

2014 7/28 16:36
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博多ロック編<212>寮から抜け出して

「80’sファクトリー」のライブチケット

 福岡県・朝倉の伊藤エミは高校3年生のとき大学に進学するか、就職するか、迷っていた。「勉強は嫌い」。

2014 7/14 16:16
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博多ロック編<211>新しい不夜城

深夜まで若者たちでにぎわう親不孝通り=1983年、福岡市中央区

 福岡市の昭和通りから北に伸びる市道の一つを通称「親富孝通り」と呼ぶ。その通りに面した居酒屋「振子」の前には「親不孝通り発祥の地」と刻まれた記念碑がある。

2014 7/7 18:00
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博多ロック編<210>ロッククラッシュ

「ロッククラッシュ」のポスター(版下)と「BGM」の冊子

 松本康は1977年、福岡市・天神に輸入レコード店「ジュークレコード」を開店した。翌年の「サンハウス」の解散を受けて「ぽっかりと空いた」福岡の音楽シーンを埋めるために、店を拠点にして二つの運動を展開する。

2014 6/30 16:01
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博多ロック編<209>レコードの図書館

「ジュークレコード」の松本(左)と鮎川(2006年)

 福岡市・須崎のロック喫茶「ぱわぁはうす」を拠点にしたバンド「サンハウス」は1978年に解散した。 ボーカルの柴山俊之は作詞家として、ギターの鮎川誠は「シーナ&ロケッツ」を結成してそれぞれ上京する。

2014 6/23 15:47
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博多ロック編<208>「G」から始まった

「ヒートウェイブ」の山口(右)=1986年

 福岡市・香椎の山口洋が「天の啓示」を受けるのは1977年12月26日、中学2年生の誕生日の出来事だった。 美術家志望の山口は音楽家志望の友人の家に遊びに行った。

2014 6/17 8:42
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博多ロック編<207>「ブルージャグ」の挑戦

福岡の音楽専門誌「ブルージャグ」の創刊号

 1978年、ロック喫茶「ぱわぁはうす」とフォーク喫茶「照和」が閉店した。福岡の音楽シーンは二大拠点を喪失したが、来たるべく80年代に向けて橋を懸ける者たちの試みは続いた。

2014 6/9 18:31
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博多ロック編<206>若者の街、福岡

「シティ情報ふくおか」の創刊号

 タウン誌「シティ情報ふくおか」の2代目編集長だった佐々木喜美代は福岡の都市構造の変化について「1976年大転換説」を唱える。 「この年に福岡、特に天神が集客力のある街に変わった」 76年、天神にファッションビル「天神コア」がオープン、天神地下街も開業した。

2014 6/2 16:28
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博多ロック編<205>70年代を駆け抜ける

博多ロックの基盤をつくったサンハウス=1974年、「ぱわぁはうす」で

 1978年は福岡の音楽史にとって節目の年である。博多ロックの拠点になった福岡市・須崎のロック喫茶「ぱわぁはうす」が店を閉じた。

2014 5/26 15:27
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博多ロック編<204>「サンハウス」の伴走者

「サンハウス」とファンとのバスハイク(1976年、一番手前が大神)

 福岡市の大神洋(63)が『菊の花道』(書肆侃侃房刊)を出版したのは2005年である。「サンハウス」の菊こと柴山俊之に捧げたオマージュだ。

2014 5/19 15:59
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博多ロック編<203>閉ざされた発祥の地

「ぱわぁはうす」のマッチ(デザイン・毛利一枝)

 TNCが制作したドキュメンタリー「還暦ロック」が放送されたのは2007年7月である。還暦を迎えた「サンハウス」の柴山俊之に焦点を当てた作品だ。

2014 5/12 16:58
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博多ロック編<202>自主制作盤

EPレコード「地獄へドライブ」

 博多のブルース・ロックバンド「サンハウス」の中心活動はいうまでもなく、ライブだ。中心というよりライブがすべてだった。

2014 4/28 16:00
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博多ロック編<201>ロック喫茶の住人

東京で演奏する「シネマ」(右が松尾)

 「サンハウス」のボーカルだった柴山俊之のニューアルバム「ギラギラ」に収録されている12曲にはそれぞれ絵がついている。その1枚を描いているのが「愛しのロージー」などの曲で知られる松尾清憲(62)だ。

2014 4/21 16:13
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博多ロック編<200>同じ教室の二人

「キース」時代の笠原(右端)と柴山(右から2人目)=KBCテレビで

 今回は少し前にもどる話だ。  福岡市の那珂川に架かる春吉橋を天神方から渡ってすぐに、スナック「呑喜訪亭(どんきほうて)」がある。

2014 4/7 16:29
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博多ロック編<199>ブルースと絵画

ライブの模様を描いた山善の絵

 ブルースシンガーの山善こと山部善次郎は福岡市・千代の紙卸問屋「紙ヤマベ」の長男だ。家業とはかけ離れたロックの世界に明け暮れていた。

2014 3/31 16:58
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博多ロック編<198>サンハウスと山善

山善のソロライブ=14日、TSUTAYA天神店で

 高校生バンド「田舎者」のボーカル、山部善次郎(通称・山善)が「サンハウス」の柴山俊之と初めて会話をしたのは福岡市・天神の日本楽器福岡店だった。この店に行くと柴山がいた。

2014 3/24 17:18
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博多ロック編<197>那珂川を渡って

ステージで歌う山善=1974年、福岡市の明治生命ホールで

 福岡市・須崎のロック喫茶「ぱわぁはうす」のマスター、田原裕介は自分の店をロックのレコード鑑賞だけの空間と考えていたわけではない。1971年にオープンして以来、いつもライブのことが頭にあった。

2014 3/17 16:24
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博多ロック編<196>二つのライブハウス

フォーク喫茶「照和」=昭和45年12月

 「博多はロックで、福岡はフォークだ」  1970年の福岡市の音楽シーンはこのように表現される。「博多ロック」と「福岡フォーク」。

2014 3/10 16:39
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博多ロック編<195>ギターの道一直線に

「ぱわぁはうす」で歌う津和野

 ロックバンド「ブロークダウン・エンジン」のギター、ボーカルの津和野勝好は博多湾内の能古島の渡船上から輸入盤のシングルレコードを一枚一枚、円盤のように海へ投げた。200枚が1972年の夏の海に沈んだ。

2014 3/3 15:23
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博多ロック編<194>黒いレスポールの伝説

黒いレスポールを見る津和野(左)と鮎川=ハニー・ビーで

 福岡市の天神交差点に面した福岡ビルが開業したのは1961年のことだ。その1階に日本楽器(ヤマハ)直営の福岡店がオープンしたのは64年だ。

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