コーナー
「東日本大震災10年 記憶を刻む」
発生時にどこで何をしていたか。被災地から離れた場所でどんな支援活動をしたか。価値観、生き方の変化は―。西日本新聞と全国の地方紙14紙に寄せられた声を掲載します。
2021
3/20
6:00
2021
3/19
6:00
社会
拙い折り鶴に「ありがとう」 大震災【記憶を刻む】
なんとかお役に立ちたいと思い、2011年5月にボランティアで宮城県石巻市を訪れました。受付の女性に「うちのおばあちゃんと同じ年です、何しに来たのですか?」と言われ一緒に大笑いしました。
2021
3/18
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2021
3/17
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2021
3/16
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2021
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2021
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社会福岡熊本
東北、熊本、朝倉…「どの被災地も誰かの古里」
東日本大震災にまつわる体験を伝える西日本新聞と全国の地方紙14紙との企画「記憶を刻む」に便りを寄せた一人、福岡県朝倉市の感王寺(かんのうじ)美智子さん(60)。震災翌年に夫、修さん(65)が宮城県の「復興支援職員」となり、東京から被害が大きかった気仙沼へ移り住んだ。
2021
3/11
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2021
3/10
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2021
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2021
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2021
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2021
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2021
3/2
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社会
キャンドルともつ鍋 大震災【記憶を刻む】
あの日、地震直後に私たち家族の住む地域は停電し、携帯電話も充電できず、ラジオもいつ電池が切れるか分からない状況で震災の情報を聞いていました。 夜、停電した暗闇でダルマストーブの温かい明かりと、結婚式で妻とともしたキャンドルに火を付け、カセットこんろで温めて食べたもつ鍋の味は、家族皆が今でも忘れることがない温かい味でした。
2021
2/27
6:00
社会
漁師になった二十歳の息子 大震災【記憶を刻む】
震災当時、母は祖母の看護のため、岩手県陸前高田市の病院にいました。私は大船渡の家にいましたので、目の前で荒れ狂う海を見て、母を思いながら何もすることができず…。
2021
2/26
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2021
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2021
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2021
2/19
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