岡部平太
コーナー

「岡部平太」

大正時代に米国から科学トレーニングを導入し、「スポーツの神様」と呼ばれた岡部平太(1891~1966)=福岡県糸島市出身。旧来型の組織と闘い、敗戦で全てを失いながらも、福岡市に平和台陸上競技場を創設し、ボストンマラソンで日本人を初優勝に導いた岡部の人生を追う。

2021 10/6 7:00
福岡

「人を信じ切る力」を演劇で コロナ禍にも屈しない劇団座長

20周年を迎えた甘棠館Show劇場と仲谷一志さん

 うだるような暑さが続いた今年8月下旬のことだ。福岡市を拠点に活動する「劇団ショーマンシップ」の座長、仲谷一志(56)は妻と2人、自宅で「真夏の寝正月」を決め込んでいた。

2021 9/11 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編7】水戸の地 校長と対立し新天地へ

岡部平太のアルバムにあった写真。撮影地は不明だが、競技場建設を研究していたことがうかがえる

 師匠の嘉納治五郎に別れを告げた岡部平太は1921(大正10)年4月、茨城県の官立水戸高校で体育講師になった。水戸高校は、岡部の米国留学を支援した実業家の内田信也が多額の寄付をして、この前年に新設。

2021 9/4 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編6】切れた絆 夜を徹した議論実らず

アド・サンテルの一件で意見が対立した岡部平太(右奥)と嘉納治五郎(左)=取材協力 公益財団法人講道館

 嘉納治五郎の書斎を訪れた岡部平太は、講道館と米国のプロレスラー、アド・サンテルとの試合の真意を尋ねた。 すると、嘉納の口からは意外な答えが返ってきた。

2021 8/28 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編5】異種試合 レスラーからの挑戦状

講道館に挑戦状をたたきつけた米国のプロレスラー、アド・サンテル

 帰国した岡部平太は、コーチのほかに嘉納治五郎が会長を務める「大日本体育協会」の規約作りにも携わっていた。米国での経験を生かし、アマチュアスポーツの振興を図るには、協会がどうあるべきかを考えろという嘉納の指示だった。

2021 8/21 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編4】帰国の途 念願の「コーチ」に就任

岡部平太が東京高等師範学校時代に住んでいた寄宿舎(第七寮)

 米国留学を終えた岡部平太は1920(大正9)年1月上旬、約2年半ぶりに日本の地を踏んだ。横浜港から直接、東京高等師範学校の寄宿舎に向かったが、部屋はもぬけの殻だった。

2021 8/14 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編3】挑戦者魂 鼻が折れ気絶しても…

岡部のボクシングを紹介するシカゴトリビューンの記事

 岡部平太が渡米して半年が過ぎたある日、日本の師、嘉納治五郎から手紙が届いた。「ボクシングとレスリングの研究をせよ」。

2021 8/10 6:00
福岡社会文化

「平和」希求し信条貫いた岡部平太、糸島の小中高生が舞台

全身を使って表現する出演者たち

 広島原爆の日(6日)に合わせ、子どもたちが主体の舞台を長年続けている福岡県糸島市の市民団体「いとしまハローピースアクト」が今夏、スポーツを通じて平和を希求した同市出身の岡部平太(1891~1966)に向き合った演劇を披露した。新型コロナウイルスの感染拡大で急きょ無観客となったが、公募で参加した小中高校生11人は、舞台を通じて平和の尊さを心に刻んだ。

2021 8/10 5:57
福岡

岡部平太ノンフィクション著者、糸島市長に出版を報告

糸島市の月形祐二市長(中央)に、岡部平太の生涯に迫ったノンフィクションの出版を報告した橘京平氏(2人による共著)

 岡部平太=福岡県糸島市出身=の波瀾(はらん)万丈な生涯に迫るノンフィクション「直向(ひたむ)きに勝つ 近代コーチの祖・岡部平太」(忘羊社)が7月に出版された。著者の橘京平氏はこのほど糸島市役所を訪問し、月形祐二市長に「指導者としての岡部は、選手の能力を引き出すことを大切にした。

2021 8/7 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編2】生涯の師 出会いが人生を変えた

岡部平太がアメリカンフットボールで活躍した会場のスタッグ・フィールド。当時は5万人収容のスタジアムだった

 スタッグと話しているうちに、岡部平太はその人柄に引き付けられていった。この時、スタッグは55歳。

2021 7/31 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編1】単身渡米 「ジャップ」に怒り心頭

アメリカンフットボールで活躍した岡部平太のプレー姿

 人生の伴侶を残し、単身渡米した岡部平太は1917(大正6)年夏、26歳でイリノイ州のシカゴ大に入学した。真っ先に向かったのは、キャンパス内のスポーツ施設「スタッグ・フィールド」。

2021 7/28 6:00
スポーツ社説・コラム

岡部平太が夢見た五輪 加茂川雅仁

「純粋なスポーツ」を追い求めた岡部平太

 東京オリンピックの陸上強化コーチを2度委嘱されながら、2度ともその舞台に立てなかった男がいる。 その名を岡部平太(1891~1966)という。

2021 7/24 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編7】単身渡米 伴侶を残し探究の旅へ

スタア下東京高等師範研究科時代に岡部平太(左)は東ステ(右)と結婚し、人生の伴侶を得る敷き

 師匠の嘉納治五郎に連れられ、岡部平太が向かったのは神戸市だった。そこには、地区の名を取って「須磨御殿」と呼ばれる豪邸があった。

2021 7/17 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編6】禅への道 「負けない柔道」に苦悩

負けない柔道に悩んだ岡部平太が参禅した平林寺(埼玉県新座市野火止)

 学生では敵なしの柔道家に成長した岡部平太。だが、その前に大きな壁が立ちふさがる。

2021 7/10 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編5】才能開花 相撲、テニスで大活躍

東京高等師範学校時代にテニスでも大活躍した岡部平太(上段左から4人目)

 上京して半年が過ぎた1913(大正2)年の秋。岡部平太の元に、突如として学生相撲大会への出場を要請する通知が届いた。

2021 7/3 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編4】いざ上京 嘉納治五郎の愛弟子に

岡部平太は上京し、講道館に入門すると、いきなり2段に昇進する。写真は講道館前の嘉納治五郎像

 福岡師範学校は福岡市中央区西公園にあった。跡地には現在、福岡教育大付属小中学校がある。

2021 6/26 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編3】母親の涙 大活躍で謹慎取り消し

岡部平太が通った柔道場「隻流館」では今でも生徒が汗を流す

 退学処分を受け、芥屋村(現糸島市)の実家に戻った岡部平太。誰が言ったか、村には「福岡師範が始まって以来、最悪の生徒」という風評が伝わっていた。

2021 6/19 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編2】福岡師範 押しつけ教育に大暴れ

福岡教育大付属小中学校にある福岡師範学校跡。岡部平太はここで大暴れをする

 岡部平太は1908(明治41)年、17歳で福岡師範学校に進学する。小学校を卒業すると働くのが普通だった時代。

2021 6/12 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編1】河童騒動 海と山で鍛えた自然児

岡部平太は自宅近くの引津湾でよく泳いでいた。「それは見事な泳ぎだった」と話す岡部剛一

 マラソンをはじめ数々の日本スポーツに科学トレーニングを取り入れ、生涯をコーチとして選手育成に尽くした岡部平太。自身も柔道、剣道、相撲、アメリカンフットボール、水泳、テニスなどの名選手として鳴らし、「天狗(てんぐ)」と呼ばれた。

2021 6/4 6:30
福岡

【平和台を創った男7】満州の雄 不屈の精神で新天地へ

国士舘大でサッカーボールを手にする理事長の大澤英雄

 嘉納治五郎と決別した岡部平太は、茨城県の水戸高の教員となるが、スポーツへの考え方で校長と対立し、辞職する。 「スポーツは勝たねばならない」というのが岡部の信念だった。

2021 6/2 6:30
福岡

【平和台を創った男6】米国の師 フェアプレーで勝つ!

米国留学時代にシカゴ大教授のスタッグ(右)から薫陶を受けた岡部平太(左)

 岡部平太が嘉納治五郎と対立することになった背景には、留学先の米国で学んだ理論があった。 嘉納が校長を務める東京高等師範(現筑波大)を卒業した岡部は、1917(大正6)年、26歳でシカゴ大に留学した。

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