まとめ

「平和台を創った男~岡部平太伝~」

「平和台を創った男~岡部平太伝~」に関するこれまで扱われたニュース一覧を最新順に掲載しています。

2019 12/1 6:00
福岡

純粋なスポーツのため 生涯現役

晩年の岡部平太(右)と妻ステ

 72歳になった岡部平太は1963(昭和38)年1月、スポーツ発展への功績が認められ、朝日新聞社から「朝日賞」を授与された。文化や科学への「傑出した業績」と「多大な貢献」を顕彰する内容だった。

2019 11/30 6:00
福岡

70歳で博士号、水泳界に一石

岡部平太がエチオピアで撮影した選手たち

 岡部平太は1956(昭和31)年、ブリヂストンの創業者、石橋正二郎に請われ、久留米市に開園した石橋文化センターのスポーツ部長に就任した。体育館、プール、テニスコート…石橋が市に寄贈した広大な施設で、各種競技大会を精力的に開催した。

2019 11/29 6:00
福岡

「争わず競え」と教える コーチ業

岡部平太の薫陶を受け、監督としてサッカー部を全国の頂点に導いた大澤英雄

 ボストンマラソンを制し、帰国した岡部平太は、県立修猷館高や福岡教育大のほか、東京の国士舘短大などで教壇に立ち、同時にコーチとしてグラウンドで若者たちに指導した。教え子の一人で、日本サッカー界を先導してきた国士舘大の理事長、大澤(おおさわ)英雄(83)は、きっぱり言う。

2019 11/28 6:00
福岡

金栗四三と二人三脚で 世界制覇

岡部平太を監督として挑んだボストンマラソン。田中茂樹が日本人で初めて優勝を果たす

 福岡国体を成功させ、福岡県体育協会の理事長に就任した岡部平太は、次の行動に出た。1950(昭和25)年になり、佐賀市で開催された20キロロードレースを視察した際、再会した金栗四三(かなくりしそう)に対して「日本人が陸上で世界に勝つにはマラソンしかない。

2019 11/27 6:00
福岡

戦後初めて日の丸掲揚 福岡国体

第3回福岡国体のポスター

 連合国軍総司令部(GHQ)から何とか土地を奪還した岡部平太。しかし、直後に再び難題が持ち上がった。

2019 11/26 6:00
福岡

スポーツの「平和台」に 土地奪還

GHQから土地を奪還し平和台を創設した岡部平太

 岡部平太を連れ去ったのは、福岡市の職員だった。市役所で出迎えた市長の三好弥六は「来年の国民体育大会を誘致したい」と明かした。

2019 11/25 10:34
春秋

福岡城跡の舞鶴公園には碑や像がいくつかある…

 福岡城跡の舞鶴公園には碑や像がいくつかある。▼イチョウが舞う平和台陸上競技場に胸像が立つ岡部平太は、平和台の名付け親だ。

2019 11/25 8:27
福岡

岡部平太、故郷糸島に向かう 敗戦で心身ともに疲弊

福岡大空襲で焼け野原になった福岡市街地

 神風特攻隊で長男平一を亡くした岡部平太は終戦前の1945(昭和20)年6月、妻ステと次女瑠璃子(るりこ)を連れて北京を離れた。厳しさを増す戦況から「北京にいては危険だ」と判断。

2019 11/22 6:00
福岡

岡部平太、小説や番組に 東京五輪控え功績に光

小説「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語」の上下巻

 近代日本スポーツの礎を築いた糸島市出身の岡部平太(1891~1966)を顕彰する動きが広がっている。波瀾(はらん)万丈の人生を描いた小説の出版、著者の講演会、小説を原作にしたドキュメンタリー番組の放送、岡部を題材にした小学校の道徳授業…。

2019 11/8 10:10
福岡

「岡部平太」道徳授業に 故郷糸島の東風小 スポーツ交流学ぶ

岡部平太を題材に東風小で行われた道徳授業

 スポーツの聖地・平和台(福岡市)を創設した岡部平太(1891~1966)を題材にした小学校の道徳授業が7日、岡部の故郷である糸島市の東風(はるかぜ)小学校であった。児童たちの関心も高く、今後は糸島市内の全小学校で実施されることになった。

2019 9/25 6:00
福岡

岡部平太の生涯 絵手紙に 「はまぼうの会」、西区で作品展

岡部平太の生涯を取り上げた絵手紙の作品展

 スポーツの聖地・平和台(福岡市)を創設した糸島市出身の岡部平太(1891~1966)の波瀾(はらん)万丈の生涯に思いを込めた絵手紙を中心に展示する作品展が、福岡市西区西都の西部地域交流センター「さいとぴあ」で開かれている。27日まで。

2019 8/17 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 番外編 平一の遺言 「理性的な社会」を希求 覚悟、苦悩、愛の告白も

平和劇で散りゆく桜に手を差し出す島田キヨ子を演じる女性(手前)

 特攻隊で亡くなった岡部平太の長男平一は、日記を残していた。学徒出陣して海軍航空隊に入隊し、鹿屋航空基地(鹿児島)から沖縄に出撃する直前の1945(昭和20)年4月2日までの2年間に及ぶ。

2019 8/16 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(10)沖縄特攻 母の思い出胸に大空へ

特攻出撃の直前に、鹿屋航空基地でおにぎりを手にほほ笑む岡部平一(左)(故大之木英雄さん提供)

 学徒出陣した岡部平太の長男平一は1944(昭和19)年9月、朝鮮半島の元山航空隊に配属された。その1カ月後、海軍の航空機による体当たり攻撃が、フィリピン沖で一大戦果を挙げる。

2019 8/15 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(9)長男平一 台北帝大から学徒出陣

中国北京で撮影された岡部平太(後方)の家族写真。右から長男平一、次女瑠璃子、妻ステ

 岡部平太は1939(昭和14)年冬、立ち寄った北京で学者の中江丑吉(うしきち)と出会う。日本にルソーを紹介した思想家、中江兆民の一人息子で、北京に滞在しながら二十数年、中国の古代史を研究。

2019 8/14 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(8)大陸放浪 スポーツの力を信じて

中国大連市にある旧関東軍総司令部

 1933(昭和8)年、国際社会に「満州国」の独立を承認されなかった日本は、国際連盟を脱退した。スポーツ界もこの問題に無縁ではなく、翌年にフィリピンのマニラで開催される第10回極東競技選手権大会(極東大会)に満州国を参加させるかどうかで揺れていた。

2019 8/12 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(7)満州事変 友の裏切りで絶体絶命

満州事変の発端となった柳条湖事件の現場近くにある九・一八歴史博物館

 順風満帆に見えた岡部平太の身に、人生を一変させる事件が起きる。40歳になったばかりだった。

2019 8/11 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(6)交流の礎 張学良に初対面で共鳴

岡部平太に日中のスポーツ交流を提案した張学良

 満州を統括する関東庁から、岡部平太にそんな相談が来たのは、1927(昭和2)年11月。南満州鉄道(満鉄)体育責任者として、5万人を収容する大連運動場の建設に取り掛かっていた時だった。

2019 8/10 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(5)審判不正 前代未聞のボイコット

マニラで開かれた極東大会で岡部平太は、審判のアンフェアぶりに前代未聞の大会ボイコットを実行する

 パリから戻った岡部平太は、第7回極東選手権競技大会(極東大会)の日本陸上チーム総監督に就任した。パリ五輪で噴出した13大学の学生たちの大日本体育協会(体協)への不信感は根強く、体協は学生に人望がある岡部を据えることで事態を収束させようとしたのだった。

2019 8/9 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(4)パリ五輪 内地の権力に徹底抗戦

パリを訪れて記念撮影に納まる岡部平太

 1924(大正13)年夏、パリ五輪が開幕した。岡部平太は日本の新聞社から依頼され、特派員として観戦。

2019 8/8 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(3)世界探訪 一流人から極意を習得

米国の水泳自由形選手のジョニー・ワイズミュラー(右)から岡部平太はクロールを習う

 満州をスポーツ王国にするには、選手の育成が急務だった。その方法を学ぶために、岡部平太は「一流人とぶつかってみないと、極意はつかめない」と満鉄幹部を説き伏せ、世界一周の旅に出る。

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