まとめ

「平和台を創った男~岡部平太伝~」 (2ページ目)

「平和台を創った男~岡部平太伝~」に関するこれまで扱われたニュース一覧を最新順に掲載しています。

2019 8/8 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(3)世界探訪 一流人から極意を習得

米国の水泳自由形選手のジョニー・ワイズミュラー(右)から岡部平太はクロールを習う

 満州をスポーツ王国にするには、選手の育成が急務だった。その方法を学ぶために、岡部平太は「一流人とぶつかってみないと、極意はつかめない」と満鉄幹部を説き伏せ、世界一周の旅に出る。

2019 8/7 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(2)極東大会 女子水泳で金銀メダル

岡部平太(左)は水泳界にも多大な功績を残した

 岡部平太は1923(大正12)年5月、大阪で開催される第6回極東選手権競技大会(極東大会)に向かった。大会は日本、中華民国、フィリピンの対抗戦。

2019 8/6 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(1)満州の地 実力見せつけ協会設立

大連に今も残る南満州鉄道(満鉄)本社の建物。岡部平太は満鉄に入社し、スポーツ改革に乗り出す

 1921(大正10)年秋、岡部平太は旧満州(中国東北部)に渡った。日露戦争に勝利した日本は満州を統治し、新天地として急速に発展を遂げていた。

2019 5/19 6:19
福岡

日章旗、71年ぶり里帰り 平和台でイベント見守る

71年ぶりに里帰りし、平和台陸上競技場に掲げられた日章旗(右奥)

 日本で戦後初めて公式に掲揚された日章旗が18日、71年ぶりに福岡市中央区の平和台陸上競技場に“里帰り”を果たした。1948(昭和23)年に福岡県で開かれた第3回国体で、主会場の同競技場に掲げたもので、スポーツイベントに合わせて展示した。

2019 5/13 11:00
福岡

戦後初めて掲揚された日章旗 71年ぶり平和台に里帰り 18日の「スポーツフェスタ」 福岡青年会議所企画 尽力した岡部平太を顕彰

戦後初めて公式に掲揚された日章旗。糸島市の伊都文化会館に保存されている

 日本で戦後初めて公式に掲揚された日章旗が、71年ぶりに里帰りする。福岡市で1948(昭和23)年に開催された第3回国体で、主会場となった平和台陸上競技場に掲げられた日章旗。

2019 4/30 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(7)水戸の地 校長と対立し新天地へ

岡部平太のアルバムにあった写真。撮影地は不明だが、競技場建設を研究していたことがうかがえる

 師匠の嘉納治五郎に別れを告げた岡部平太は1921(大正10)年4月、茨城県の官立水戸高校で体育講師になった。水戸高校は、岡部の米国留学を支援した実業家の内田信也が多額の寄付をして、この前年に新設。

2019 4/29 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(6)切れた絆 夜を徹した議論実らず

アド・サンテルの一件で意見が対立した岡部平太(右奥)と嘉納治五郎(左)=取材協力 公益財団法人講道館

 嘉納治五郎の書斎を訪れた岡部平太は、講道館と米国のプロレスラー、アド・サンテルとの試合の真意を尋ねた。 すると、嘉納の口からは意外な答えが返ってきた。

2019 4/28 8:58
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(5)異種試合 レスラーからの挑戦状

講道館に挑戦状をたたきつけた米国のプロレスラー、アド・サンテル

 帰国した岡部平太は、コーチのほかに嘉納治五郎が会長を務める「大日本体育協会」の規約作りにも携わっていた。米国での経験を生かし、アマチュアスポーツの振興を図るには、協会がどうあるべきかを考えろという嘉納の指示だった。

2019 4/27 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(4)帰国の途 念願の「コーチ」に就任

岡部平太が東京高等師範学校時代に住んでいた寄宿舎(第七寮)

 米国留学を終えた岡部平太は1920(大正9)年1月上旬、約2年半ぶりに日本の地を踏んだ。横浜港から直接、東京高等師範学校の寄宿舎に向かったが、部屋はもぬけの殻だった。

2019 4/26 6:45
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(3)挑戦者魂 鼻が折れ気絶しても…

岡部平太がシカゴ大に留学した時のアパート。左側の棟の2階に住んでいた

 岡部平太が渡米して半年が過ぎたある日、日本の師、嘉納治五郎から手紙が届いた。「ボクシングとレスリングの研究をせよ」。

2019 4/26 6:00
福岡

岡部平太の実像を描く 証言基にFBSが番組制作

岡部平太と嘉納治五郎が対立する再現シーンを撮影するFBSの伊崎健太郎ディレクター(右)

 日本近代スポーツの礎を築いた糸島市出身の岡部平太(1891~1966)の実像を描くドキュメンタリー特集の制作が進んでいる。福岡放送(FBS)の年間企画で、再現シーンの撮影が25日、福岡市内で行われた。

2019 4/25 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(2)生涯の師 出会いが人生を変えた

岡部平太がアメリカンフットボールで活躍した会場のスタッグ・フィールド。当時は5万人収容のスタジアムだった

 スタッグと話しているうちに、岡部平太はその人柄に引き付けられていった。この時、スタッグは55歳。

2019 4/24 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(1)米国留学 「ジャップ」に怒り心頭

アメリカンフットボールで活躍した岡部平太のプレー姿

 人生の伴侶を残し、単身渡米した岡部平太は1917(大正6)年夏、26歳でイリノイ州のシカゴ大に入学した。真っ先に向かったのは、キャンパス内のスポーツ施設「スタッグ・フィールド」。

2019 4/11 6:00
福岡

「いとしま今昔物語」刊行 県文連、糸島市に200部贈る

「いとしま今昔物語」を贈った古賀透副委員長(右)ら。隣が月形祐二市長

 県文化団体連合会は8日、糸島地方の歴史文化情報をまとめた「いとしま今昔物語」200部を糸島市に贈呈した。編纂(へんさん)委員会の古賀透副委員長(77)が市役所を訪れ、月形祐二市長に手渡した。

2019 4/1 13:31
福岡

岡部平太の偉業語る 小説著者がトークショー

岡部平太の等身大パネルが飾られた会場で開かれたトークショー

 近代日本スポーツの礎を築いた糸島市出身の岡部平太(1891~1966)の波瀾(はらん)万丈の人生と、スポーツ界に残した偉業を語るトークショーが31日、同市前原中央の古民家レストラン「古材の森」であった。市民約80人が集い、これまであまり知られることがなかった岡部の業績に聞き入った。

2019 3/8 9:39
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 番外編 反響300通超 「剛直な人生」に感銘

岡部平太を特集した糸島市の広報誌

 「剛直な人生」に感銘を受けた-。連載「平和台を創(つく)った男 岡部平太伝」の第1部、第2部には300通を超す反響のメールが寄せられた。

2019 3/3 6:00
福岡

小説の著者「岡部像」語る 31日、糸島市でトークショー

岡部平太を主人公にした橘京平氏の著書

 日本近代スポーツの礎を築いた糸島市出身の岡部平太(1891~1966)の実像に迫るトークショーが31日、同市前原中央の古民家カフェ「古材の森」で開催される。小説「Peace Hill 天狗(てんぐ)と呼ばれた男 岡部平太物語(上)」の著者、橘京平氏が取材に基づいた「岡部像」を語る。

2019 3/3 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第2部(7)単身渡米 伴侶を残し探究の旅へ

東京高等師範研究科時代に岡部平太(左)は東ステ(右)と結婚し、人生の伴侶を得る

 師匠の嘉納治五郎に連れられ、岡部平太が向かったのは神戸市だった。そこには、地区の名を取って「須磨御殿」と呼ばれる豪邸があった。

2019 3/2 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第2部(6)禅への道 「負けない柔道」に苦悩

負けない柔道に悩んだ岡部平太が参禅した平林寺(埼玉県新座市野火止)

 学生では敵なしの柔道家に成長した岡部平太。だが、その前に大きな壁が立ちふさがる。

2019 3/1 6:00
福岡

平和台を創った男 岡部平太伝 第2部(5)才能開花 相撲、テニスで大活躍

東京高等師範学校時代にテニスでも大活躍した岡部平太(上段左から4人目)

 上京して半年が過ぎた1913(大正2)年の秋。岡部平太の元に、突如として学生相撲大会への出場を要請する通知が届いた。

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