「伝える備える 熊本地震5年」
「伝える備える 熊本地震5年」に関するこれまで扱われたニュース一覧を最新順に掲載しています。
癒えぬ悲しみ、それでも… 熊本地震本震5年
熊本、大分両県で震災関連死を含め計276人が犠牲となった熊本地震は16日、「本震」から5年を迎えた。被害の大きかった熊本県南阿蘇村などで遺族や住民らが鎮魂の祈りをささげた。
IT集積し復興手助け 山都町の「MARUKU」、過疎地に雇用生む
ITベンチャーの「MARUKU」は、2016年4月の熊本地震の翌年に熊本県山都町で創業した。県内にIT企業を集積させる活動にも取り組む。
「健康や生活費不安」「地震思い出しつらい」…心の傷癒えぬまま
熊本地震で被災し、熊本市と熊本県益城町、南阿蘇村の災害公営住宅などに入居した100人を対象にした西日本新聞のアンケートで、「生活で困り事や不安はある」は67%を占めた。健康状態への不安が最も多く、生活費の負担が続いた。
どん底の被災者に元日の「奇跡」 元妻から届いた娘の写真
2016年4月の熊本地震で震度7の揺れに2度見舞われた熊本県益城町。長年暮らしてきたアパートが全壊した石井光広さん(62)は、別れた妻と暮らす娘2人とのつながりを転居で断たれ、一時は酒におぼれた。
折れた階段、壁全体に亀裂…校舎の傷に思う「あの日」 震災遺構の旧東海大阿蘇キャンパス
熊本地震の記憶と記録を後世に伝えようと、整備・保存されている南阿蘇村の旧東海大阿蘇キャンパス1号館。昨年8月のオープン以降、県内外から約1万5千人が足を運んだ。
「福祉避難所」確保進まず 九州、対象者数未把握の県も
災害時に特別な配慮が必要な高齢者や障害者などのために設置される福祉避難所。2016年の熊本地震では、開設予定だった福祉施設が被災したり一般避難者の殺到で混乱したりして、十分に機能しなかったとされる。
被災者の見守り岐路に 熊本地震の訪問支援所、11市町村で閉所
熊本地震から5年近くがたち、被災者の見守り支援が転換期を迎えている。訪問相談を担う自治体の「地域支え合いセンター」を2020年度に運営した熊本県内14市町村のうち、11市町村が3月末までに閉所。
ただいま南阿蘇 東海大卒業生、関東から移住し村職員に
熊本県南阿蘇村を「第二の故郷」とする若者が今春、村役場の職員になった。栃木県出身で同村にキャンパスがあった東海大農学部OBの粂川(くめかわ)雄樹さん(28)。
震災遺構「阿蘇大橋」保存へ 熊本県「地震のすさまじさ後世に」
5年前の熊本地震で崩落した阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)を震災遺構として保存するため、県は今年秋から、峡谷の中腹に残る橋桁の一部を岩盤に固定する工事を始める。本年度内に完了させ、村に管理を移管する方針。
「益城町の被害あまりに知らない」震災に向き合い始めた10代
新型コロナウイルス禍で熊本地震の語り部活動が停滞する中、地元の10代の若者が「古里で起きた地震のことを詳しく知りたい」と動き始めた。地震当時は多感な中学生で「友達と地震を話題にすることも避けてきた」若者3人だが、3月末に震源となった布田川断層帯の横ずれが露出する熊本県益城町の堂園地区で見学会を開催した。
九州ラーメン党活動30年、被災者になり気づいたこと
全国の被災地で炊き出し活動をしてきた熊本県益城町のNPO法人「ボランティア仲間九州ラーメン党」。浜田龍郎理事長(76)も5年前の熊本地震で被災した一人だ。
地震後もコロナ下も…移り住んだ阿蘇にパワーもらう
自然にほれ、人にほれた阿蘇に恩返しを―。熊本県南阿蘇村でペンションを経営する川崎久志さん(55)は、四半世紀にわたり家族で通い詰めたこの地に2年前、鹿児島市から移り住んだ。
城は勇壮、足元で消えゆく城下町 熊本地震5年
2016年4月の熊本地震で被災した熊本城が、天守閣の復旧を終えて勇壮な姿を取り戻しつつある一方で、お膝元の新町・古町地区(熊本市中央区)は急速に城下町らしさが失われている。伝統的な木造住宅「町屋」は被災して解体され、地震前からほぼ半減。
普賢岳復興の知恵、後世に「無人化施工」被災地で力
長崎県の雲仙・普賢岳の噴火災害(1990年11月~96年6月)で被災した地域の国による復興と防災事業が31日、区切りを迎える。大規模砂防施設などの整備を手掛けた国土交通省雲仙復興事務所(島原市)は同日付で閉所し、新たに置かれる国の現地事務所が施設の維持管理業務などを引き継ぐ。
記録が備え 熊本の保健師、災害現場の経験共有
26年前の阪神大震災を皮切りに、新潟中越地震や東日本大震災の被災地に派遣され、熊本地震発生直後、被災者の見守り活動を指揮した保健師が3月末、定年を迎える。熊本市健康づくり推進課副課長の永野智子さん(60)。
春待つ「晃桜」22本 熊本地震5年、心癒えぬ両親
熊本、大分両県で関連死を含め276人が犠牲となった2016年4月の熊本地震で、車ごと土砂にのまれ亡くなった熊本県阿蘇市の大学生大和晃(ひかる)さん=当時(22)=の両親は2年前の春、現場に近い南阿蘇村立野地区の高台に桜の苗木を植えた。晃さんが生きた年の数と同じ22本。