平和台を創った男 近代スポーツの祖・岡部平太
連載

「平和台を創った男 近代スポーツの祖・岡部平太」

大正時代に科学トレーニングを導入し、「スポーツの神様」と呼ばれた岡部平太。敗戦で全てを失いながらも、福岡市に平和台陸上競技場を創設し、ボストンマラソンで日本人を初優勝に導いた、その人生を追う。

2021 10/16 7:00
福岡スポーツ

【平和台を創った男・大陸編5】審判不正 前代未聞のボイコット

マニラで開かれた極東大会で岡部平太は、審判のアンフェアぶりに前代未聞の大会ボイコットを実行する

 パリから戻った岡部平太は、第7回極東選手権競技大会(極東大会)の日本陸上チーム総監督に就任した。パリ五輪で噴出した13大学の学生たちの大日本体育協会(体協)への不信感は根強く、体協は学生に人望がある岡部を据えることで事態を収束させようとしたのだった。

2021 10/9 7:00
福岡スポーツ

【平和台を創った男・大陸編4】パリ五輪 内地の権力に徹底抗戦

パリを訪れて記念撮影に納まる岡部平太

 1924(大正13)年夏、パリ五輪が開幕した。岡部平太は日本の新聞社から依頼され、特派員として観戦。

2021 10/2 7:00
福岡スポーツ

【平和台を創った男・大陸編3】世界探訪 一流人から極意を習得

米国の水泳自由形選手のジョニー・ワイズミュラー(右)から岡部平太はクロールを習う

 満州をスポーツ王国にするには、選手の育成が急務だった。その方法を学ぶために、岡部平太は「一流人とぶつかってみないと、極意はつかめない」と満鉄幹部を説き伏せ、世界一周の旅に出る。

2021 9/25 7:00
福岡スポーツ

【平和台を創った男・大陸編2】極東大会 女子水泳で金銀メダル

岡部平太(左)は水泳界にも多大な功績を残した

 岡部平太は1923(大正12)年5月、大阪で開催される第6回極東選手権競技大会(極東大会)に向かった。大会は日本、中華民国、フィリピンの対抗戦。

2021 9/18 7:00
福岡スポーツ

【平和台を創った男・大陸編1】満州の地 実力見せつけ協会設立

大連に今も残る南満州鉄道(満鉄)本社の建物。岡部平太は満鉄に入社し、スポーツ改革に乗り出す

 1921(大正10)年秋、岡部平太は旧満州(中国東北部)に渡った。日露戦争に勝利した日本は満州を統治し、新天地として急速に発展を遂げていた。

2021 9/11 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編7】水戸の地 校長と対立し新天地へ

岡部平太のアルバムにあった写真。撮影地は不明だが、競技場建設を研究していたことがうかがえる

 師匠の嘉納治五郎に別れを告げた岡部平太は1921(大正10)年4月、茨城県の官立水戸高校で体育講師になった。水戸高校は、岡部の米国留学を支援した実業家の内田信也が多額の寄付をして、この前年に新設。

2021 9/4 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編6】切れた絆 夜を徹した議論実らず

アド・サンテルの一件で意見が対立した岡部平太(右奥)と嘉納治五郎(左)=取材協力 公益財団法人講道館

 嘉納治五郎の書斎を訪れた岡部平太は、講道館と米国のプロレスラー、アド・サンテルとの試合の真意を尋ねた。 すると、嘉納の口からは意外な答えが返ってきた。

2021 8/28 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編5】異種試合 レスラーからの挑戦状

講道館に挑戦状をたたきつけた米国のプロレスラー、アド・サンテル

 帰国した岡部平太は、コーチのほかに嘉納治五郎が会長を務める「大日本体育協会」の規約作りにも携わっていた。米国での経験を生かし、アマチュアスポーツの振興を図るには、協会がどうあるべきかを考えろという嘉納の指示だった。

2021 8/21 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編4】帰国の途 念願の「コーチ」に就任

岡部平太が東京高等師範学校時代に住んでいた寄宿舎(第七寮)

 米国留学を終えた岡部平太は1920(大正9)年1月上旬、約2年半ぶりに日本の地を踏んだ。横浜港から直接、東京高等師範学校の寄宿舎に向かったが、部屋はもぬけの殻だった。

2021 8/14 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編3】挑戦者魂 鼻が折れ気絶しても…

岡部のボクシングを紹介するシカゴトリビューンの記事

 岡部平太が渡米して半年が過ぎたある日、日本の師、嘉納治五郎から手紙が届いた。「ボクシングとレスリングの研究をせよ」。

2021 8/10 6:00
福岡社会文化

「平和」希求し信条貫いた岡部平太、糸島の小中高生が舞台

全身を使って表現する出演者たち

 広島原爆の日(6日)に合わせ、子どもたちが主体の舞台を長年続けている福岡県糸島市の市民団体「いとしまハローピースアクト」が今夏、スポーツを通じて平和を希求した同市出身の岡部平太(1891~1966)に向き合った演劇を披露した。新型コロナウイルスの感染拡大で急きょ無観客となったが、公募で参加した小中高校生11人は、舞台を通じて平和の尊さを心に刻んだ。

2021 8/10 5:57
福岡

岡部平太ノンフィクション著者、糸島市長に出版を報告

糸島市の月形祐二市長(中央)に、岡部平太の生涯に迫ったノンフィクションの出版を報告した橘京平氏(2人による共著)

 岡部平太=福岡県糸島市出身=の波瀾(はらん)万丈な生涯に迫るノンフィクション「直向(ひたむ)きに勝つ 近代コーチの祖・岡部平太」(忘羊社)が7月に出版された。著者の橘京平氏はこのほど糸島市役所を訪問し、月形祐二市長に「指導者としての岡部は、選手の能力を引き出すことを大切にした。

2021 8/7 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編2】生涯の師 出会いが人生を変えた

岡部平太がアメリカンフットボールで活躍した会場のスタッグ・フィールド。当時は5万人収容のスタジアムだった

 スタッグと話しているうちに、岡部平太はその人柄に引き付けられていった。この時、スタッグは55歳。

2021 7/31 7:00
福岡

【平和台を創った男 留学編1】単身渡米 「ジャップ」に怒り心頭

アメリカンフットボールで活躍した岡部平太のプレー姿

 人生の伴侶を残し、単身渡米した岡部平太は1917(大正6)年夏、26歳でイリノイ州のシカゴ大に入学した。真っ先に向かったのは、キャンパス内のスポーツ施設「スタッグ・フィールド」。

2021 7/24 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編7】単身渡米 伴侶を残し探究の旅へ

スタア下東京高等師範研究科時代に岡部平太(左)は東ステ(右)と結婚し、人生の伴侶を得る敷き

 師匠の嘉納治五郎に連れられ、岡部平太が向かったのは神戸市だった。そこには、地区の名を取って「須磨御殿」と呼ばれる豪邸があった。

2021 7/17 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編6】禅への道 「負けない柔道」に苦悩

負けない柔道に悩んだ岡部平太が参禅した平林寺(埼玉県新座市野火止)

 学生では敵なしの柔道家に成長した岡部平太。だが、その前に大きな壁が立ちふさがる。

2021 7/10 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編5】才能開花 相撲、テニスで大活躍

東京高等師範学校時代にテニスでも大活躍した岡部平太(上段左から4人目)

 上京して半年が過ぎた1913(大正2)年の秋。岡部平太の元に、突如として学生相撲大会への出場を要請する通知が届いた。

2021 7/3 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編4】いざ上京 嘉納治五郎の愛弟子に

岡部平太は上京し、講道館に入門すると、いきなり2段に昇進する。写真は講道館前の嘉納治五郎像

 福岡師範学校は福岡市中央区西公園にあった。跡地には現在、福岡教育大付属小中学校がある。

2021 6/26 7:00
福岡

【平和台を創った男・青春編3】母親の涙 大活躍で謹慎取り消し

岡部平太が通った柔道場「隻流館」では今でも生徒が汗を流す

 退学処分を受け、芥屋村(現糸島市)の実家に戻った岡部平太。誰が言ったか、村には「福岡師範が始まって以来、最悪の生徒」という風評が伝わっていた。

2021 6/23 7:00
福岡

負けん気“レジェンド級” バレエ留学で「極限」目指す17歳

柔らかくダイナミックに踊る岡部眞子さん

 福岡県立修猷館高校2年の岡部眞子(17)=福岡市=は今年9月からカナダ・カルガリーのバレエスクールに留学する。カナダの三大バレエ団の一つが運営する名門だ。

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