
「朝刊連載小説「本心」」 (2ページ目)
死んだ母親のVF(バーチャル・フィギュア)と、仮想空間で会話を重ねていく29歳の青年。 あのとき、「安楽死」を口にした母親の本心は―。
平野啓一郎 「本心」 連載第297回 第九章 本心
第一、読んでもらって、どうなるのか? 僕は今まで、そんなことを微塵(みじん)も企図(きと)しなかったからこそ、一切を憚(はばか)りなく、正直に書くことが出来たのだった。 僕は今、母の死後の危機を、どうにか乗り越えつつあるが、それも大いに書くことのお陰(かげ)であるに違いない。
平野啓一郎 「本心」 連載第296回 第九章 本心
正直なところ、藤原との面会がなければ、彼女の決断から僕の被った打撃は、もっと直接的に大きかっただろう。しかし、昨日来、僕の心を占めている混乱は、倍加されるというより、却(かえ)って幾分、相殺されたような気がした。
平野啓一郎 「本心」 連載第293回 第九章 本心
その一方で、僕はやはりどうしても、母の「もう十分」という言葉の前で、今も首を縦に振れないままの自分でいた。 藤原は、相槌(あいづち)を打つと、僕の言葉が続かないのを見てから口を開いた。
平野啓一郎 「本心」 連載第292回 第九章 本心
「その是非は、……本当に当人が自由に考えられるんでしょうか? こんなに格差が開いて、貧しい人や病気の人は、もう人生の結論が出てしまっているかのように、いつまでも国の財政を圧迫する厄介者扱いにされていて、……僕は、母がなぜそう思ったのか、わからないんです。それがずっと苦しみでした。
平野啓一郎 「本心」 連載第289回 第九章 本心
動揺が大きすぎて、僕は却(かえ)って、その事実に留(とど)まり続ける力を失っていた。深く考えようとしても、麻痺(まひ)したように手応えがなく、自分の中に渦巻いているものを、どう言葉に置き換えたらいいのかわからなかった。
平野啓一郎 「本心」 連載第288回 第九章 本心
実際、僕と三好との共同生活も、性別こそ違え、同じ可能性があったのではないかと、僕は考えた。母が生きていたなら、彼女との「シェア」について何と言っただろうか? <母>は、母のそんな過去など、知る由もなかったが。
平野啓一郎 「本心」 連載第287回 第九章 本心
僕は、膝に置いた掌(てのひら)に汗を感じながら尋ねた。藤原は、微(かす)かに音を立てる補聴器の具合を気にしながら――僕はそれに、この時、初めて気がついた――首を横に振った。
平野啓一郎 「本心」 連載第284回 第九章 本心
簡単なキッチンを抜けると、ベッドと三人掛けの丸テーブル、それに焦げ茶色のソファが置かれていて、それでいっぱいになる程度の広さだった。壁には、『マレーヴィチ展』のポスターが貼ってあった。
平野啓一郎 「本心」 連載第283回 第九章 本心
酒も一応、避けた。迷った挙(あ)げ句に時間がなくなり、最後に焦って決めたものの、考えるほどに、子供じゃあるまいし、ゼリーなど食べないだろうと、酷(ひど)い間違いをした気がした。
平野啓一郎 「本心」 連載第281回 第九章 本心
この不気味なロールプレイング・ゲームは、「一人一殺」を掲げ、政財界の要人暗殺を企てた1932年のテロ事件をそのままなぞる内容で、実際に暗殺された井上準之助(いのうえじゅんのすけ)や團琢磨(だんたくま)だけでなく、ターゲットとしてリストアップされていた西園寺公望(さいおんじきんもち)や幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)、牧野伸顕(まきののぶあき)らすべてを暗殺して、歴史を変えることがミッションだった。 岸谷は、僕に語っていた通り、元々は、もっと最近の、今も生きているような政治家や財界人を暗殺するゲームに夢中になっていた。
平野啓一郎 「本心」 連載第278回 第九章 本心
このところ、<母>との会話の頻度も減っていたが、三好との共同生活が、遠からず終わりを迎えることを意識し出してから、僕は却(かえ)って、<母>の存在に慰めを求める気持ちに抵抗を覚えるようになった。 母の死による喪失感を満たすために、僕にはともかく、<母>が必要だった。
平野氏のメッセージ
私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!
平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール
1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。