長崎発・戦後75年「忘れぬ感覚」
連載

「長崎発・戦後75年「忘れぬ感覚」」

75年前の戦禍は、負傷による激痛や食糧不足に伴う飢え、生き残った者が犠牲者を焼く-などの悲惨な経験をもたらした。原爆や戦争体験者が二度と繰り返さないと誓う、戦禍の忘れられない「感覚」について証言をたどり、伝える。

2020 9/1 8:00
長崎

地べたに並んだ重症者…原爆投下、線路づたいに見た惨状

井石哲哉さん

 長崎市の医師、井石哲哉さん(88)の戦争や原爆の記憶として、鉄道施設に関する光景が際立って残っている。 当時、瓊浦中(現長崎西高)の生徒だったが毎日、疎開先の長与町から列車で長崎駅に通い、学徒報国隊として魚雷などを貨物列車に積み込んだ。

2020 8/31 16:12
長崎

原爆で街は地獄絵図に 再建志し、クリスマスイブに響いた鐘

合唱団で使う楽譜を手にする田川さん

 カーン、カーン、カーン。一帯の住宅や商店に響く浦上天主堂(長崎市本尾町)の鐘の音。

2020 8/28 15:50
長崎

戦後の飢えしのぐため…味がない「電気パン」

記者が再現した「電気パン」。手にした森口さんは「こんなにおいしくなかった」

 空き紙パックを利用して記者が作った「パン」。白くて四角に出来上がり、頬張ると、もちっとした食感と甘みが口に広がる。

2020 8/27 15:59
長崎

原爆投下後、校庭で焼いた遺体 当時13歳「あのにおいは…」

救護所があった長崎市の伊良林小のそばで自身の体験を語る浦川さん

 長崎市矢の平の浦川勝さん(88)は原爆投下後、伊良林国民学校(伊良林小)に置かれた救護所に運ばれてそのまま亡くなった人たちを荼毘(だび)に付した経験を持つ。当時、遺体を焼いたにおいは、今も言葉が見つからない。

2020 8/27 15:48
長崎

熱線で変形した右足…4歳で被爆「足よりも心の痛みがつらかった」

かつての自らの右足の写真と、完治した現在もケロイドや手術痕が残る右足を見せる小峰秀孝さん

 「被爆者の生きざまを知ってほしい」。そう言って写真を見せたのは4歳の時に被爆した長崎市京泊の小峰秀孝さん(79)。

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