まとめ

「長崎原爆」

「長崎原爆」に関するこれまで扱われたニュース一覧を最新順に掲載しています。

2020 9/18 11:02
社会

衰え、不安、遺言…めっきり減った講和 原爆を背負って(73)

講話の後は長崎原爆被災者協議会の奥の部屋で一服します

 年間300回を超えていた修学旅行生への講話は、めっきり減りました。2012年の初めに体調を崩し、急性肺炎で3カ月間入院したのが原因です。

2020 9/17 11:02
社会

仙ちゃんの死 お疲れさま、よく頑張った 原爆を背負って(72)

2013年に亡くなった山口仙二さんの葬儀。多くの人が別れを惜しんだ

 「もう一度だけ、ゆっくり話したかった」。線香を上げ、遺影に語り掛けました。

2020 9/16 11:02
社会

世界は変わったのか 安心して死ねる日はいつ 原爆を背負って(71)

「核廃絶に向けて頑張ってください」と国連事務総長の潘基文氏と握手を交わしました

 2010年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議。各国政府関係者を前に演説をした数日後、私たちは帰国しました。

2020 9/15 11:02
社会

NPTで訴え 2010年「人生最後の大舞台だ」 原爆を背負って(70)

国連本部で各国代表を前に核兵器廃絶を訴えました

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議を1カ月後に控えた2010年4月、日本被団協の代表として米ニューヨークの国連本部でスピーチすることが決まりました。NGO代表者が各国政府に直接訴えることができる大事な場です。

2020 9/14 11:02
社会

オバマ大統領登場 閉塞感が吹き飛ぶ思い 原爆を背負って(69)

プラハで「核なき世界の実現」への決意を語ったオバマ米大統領

 テレビにくぎ付けになりました。映っていたのは、黒人初の米大統領バラク・オバマ氏。

2020 9/13 11:02
社会

ノーベル賞候補に 世界に認められた瞬間 原爆を背負って(68)

ノーベル平和賞の候補に上がるたび、記者たちが詰め掛けます

 被爆者や非核を願う人々の期待を裏切った2005年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議。ですが、核兵器の使用が何をもたらすのか、米国市民や各国政府代表に広く訴えることはできた。

2020 9/12 11:02
社会

核廃絶の道遠く 「9.11」が変えた世界 原爆を背負って(67)

「核兵器廃絶」を掲げ、下平作江さんたちとニューヨークを行進しました

 2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の成果などを受け、世界は確実に核軍縮に向かっていくはずでした。しかし、翌年、状況は一変します。

2020 9/11 11:02
社会

ICJの意見 核兵器使用は「一般的に国際法違反」 原爆を背負って(66)

長崎原爆資料館を訪れたウィラマントリー氏(右端)を案内する私(左端)と山口仙二さん

 「この子どもたちに何の罪があるのか」。長崎市の伊藤一長市長(故人)が、黒こげになった少年の写真パネルを示しながら訴えました。

2020 9/10 11:02
社会

花輪踏みつけ事件 憎いのは核兵器 原爆を背負って(65)

山口仙二さんを中心に平和祈念像前に座り込みました。後列の右から2人目が私=撮影は黒崎晴生さん

 米国は「原爆投下は正しかった」という大統領発言だけでなく、被爆者の気持ちを踏みにじる行為をしたことがあります。1989年9月、核兵器搭載の疑いがあった軍艦「ロドニー・M・デイビス」を長崎市に寄港させたんです。

2020 9/10 6:00
長崎

被爆2世がオンラインで原爆展 長崎出身の安田さん、証言を動画配信

オンライン原爆展について語る安田香織さん

 「核兵器をなくすために皆さんの力を貸してください」。パソコンの画面を通して長崎原爆の被爆者、山脇佳朗さん(86)が英語で呼び掛ける。

2020 9/9 11:02
社会

民間交流で伝える もう一つの「原爆展」 原爆を背負って(64)

手紙のやりとりや交流を続けている米国人もいます

 1995年、戦後50年の節目に米国立スミソニアン航空宇宙博物館が企画した「原爆展」は、退役軍人や議会の反発で「エノラ・ゲイ展」に代わってしまいました。でも、同じ首都ワシントンにあるアメリカン大学で、もう一つの「原爆展」が開かれることになりました。

2020 9/8 11:02
社会

核大国米国の論理 あきれた正当化 原爆を背負って(63)

スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展は、原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」展に切り替えられました

 私が海外で被爆の実相を訴えた回数はこれまで23回に上ります。訪問先で一番多いのは米国で、9回を数えます。

2020 9/8 6:00
福岡社会政治

安倍首相 “口だけの核廃絶” 原爆資料館 一度も訪れず 

長崎原爆被災者協議会会長・田中重光さん

 昨年の長崎原爆の日(8月9日)。平和祈念式典後にあった安倍晋三首相と被爆者団体との面談で、長崎原爆被災者協議会(被災協)会長の田中重光さん(79)は語気を強めた。

2020 9/7 11:02
社会

集団訴訟の到達点 19連敗の国が基準を緩和 原爆を背負って(62)

結論がなかなか出ない検討会に業を煮やし、今春、日本被団協で国会に要請活動をしました

 勝訴、勝訴、勝訴、勝訴-。司法はことごとく被爆者の訴えを支持しました。

2020 9/6 11:02
社会

原爆症認定訴訟 認められた放射線の影響 原爆を背負って(61)

1993年5月、長崎地裁の勝訴判決に、松谷英子さんは母の遺影を手に喜びを語りました

 鳴りやまない拍手の中、報道陣に囲まれる女性。1993年5月、長崎地裁で、松谷英子さん(71)はカメラを前に喜びを爆発させました。

2020 9/5 11:02
社会

国家補償への思い 被爆の1万3179人を実態調査 原爆を背負って(60)

今年1月、「国の償い」を明記した被爆者援護法改正を求める署名をJR長崎駅前で集めました

 基本懇の意見書を乗り越えるため、日本被団協が取り組んだのが被爆者の実態調査でした。原爆で負った苦しみが本当に受忍できる被害なのか。

2020 9/4 11:02
社会

「受忍論」に怒り 裏切られた期待 原爆を背負って(59)

長崎市を訪れた基本懇のメンバーは、長崎国際文化会館や長崎原爆病院などを視察しました

 「戦争被害は国民が等しく受忍すべきだ」。1980年12月、国の原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が出した意見書の内容に、耳を疑いました。

2020 9/3 11:02
社会

国会に参考人招致 三つの「ほしょう」 原爆を背負って(58)

国家補償の被爆者援護法制定を求め、何度も東京に足を運びました

 1968年に成立した「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」は、求めていたものとは全く違った。国の責任も認めず、死没者や遺族への補償もなかったんです。

2020 9/2 11:02
社会

援護の拡大求めて 生かしきれなかった「好機」 原爆を背負って(57)

国への要求をまとめて作った「つるパンフ」。表紙に描かれた折り鶴から、その名前で呼ばれました

 定年を前に退職したころは、被爆者援護法制定に向けた運動が熱を帯びていた時期でした。核兵器廃絶とともに被爆者が求めてきたのが、国家補償による援護法の実現です。

2020 9/1 11:02
社会

同僚の遺骨捜して もっと早く取りかかっていたら… 原爆を背負って(56)

電報局時代は配達で町のあちこちを回りました

 1986年、定年退職を前に長年勤めた電報局を退職しました。電電公社が民営化し、NTTに移行した翌年のことです。

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