九州近代歌謡遺聞
連載

「九州近代歌謡遺聞」

現在でも愛唱されている唱歌・童謡はどのようにして生まれたのか。九州にゆかりの作詩家、作曲家の足跡を追う企画。

2020 11/16 17:00
文化

中村八大編<487>万博のテーマソング

 国際博覧会(万博)が2025年に大阪で開かれる。そのテーマソングを男性デュオの「コブクロ」が担当することになった。

2020 11/9 17:00
文化

中村八大編<486>ブラジル音楽祭

 バラエティー番組の元祖ともいえるNHKの「夢であいましょう」が終了するのは1966年である。約5年の間に作曲の中村八大と作詞の永六輔のコンビは「上を向いて歩こう」など多くの曲を世に送り出した。

2020 11/2 17:00
文化

中村八大編<485>遠くへ行きたい

「遠くへ行きたい」を歌ったジェリー藤尾

 テレビの紀行番組「遠くへ行きたい」がスタートしたのは1970年である。その主題歌の「遠くへ行きたい」が生まれたのは62年だ。

2020 10/26 17:00
文化

中村八大編<484>ママの歌への変更

「こんにちは赤ちゃん」のトリオ。左から永六輔、梓みちよ、中村=「ぼく達はこの星で出会った」より

 梓みちよの歌で大ヒットした「こんにちは赤ちゃん」のオリジナルの歌詞である。作詞家の永六輔が中村八大の長男、力丸の誕生を祝ってプレゼントした。

2020 10/19 17:00
文化

中村八大編<483>こんにちは赤ちゃん

 中村八大の長男、力丸が生まれたのは「上を向いて歩こう」が全米ヒットチャートで1位になった1963年である。中村はこの年の「八大家の八大ニュース」を記している。

2020 10/12 17:00
文化

中村八大編<482>全米ヒットチャート

中村八大と歌い手たち(左から水原弘、中村、ジェリー藤尾、坂本九)=「ぼく達はこの星で出会った」より。

 韓国の音楽グループ「BTS(防弾少年団)」の「Dynamite」が8月、米ビルボードのシングルチャートで1位になったことが話題になっている。 「上を向いて歩こう」が同チャートで1位になったのは57年前の1963年である。

2020 10/5 17:00
文化

中村八大編<481>ウヘホムフイテ

中村八大が抜てきした坂本九

 名曲「上を向いて歩こう」がテレビで初めて歌われたのは1961年だ。NHKの「夢であいましょう」の「今月のうた」のコーナーだった。

2020 9/28 17:00
文化

中村八大編<480>スタンダードな曲を

「上を向いて歩こう」のジャケット

 NHKのバラエティー番組「夢であいましょう」の「今月のうた」のコーナーから数々のヒット曲が生まれた。作詞、作曲を担当した放送作家、脚本家の永六輔と、ジャズピアニストの中村八大の黄金コンビがヒットメーカーとして戦後歌謡の新しい扉を開けた。

2020 9/14 17:00
文化

中村八大編<479>夢であいましょう

 テレビ放送が始まったのは1953年である。それまではラジオが電波メディアの王であった。

2020 9/7 17:00
文化

中村八大編<478>黒い花びら

 中村八大は花形バンド「ビッグ・フォー」などのピアニストとして一世を風靡(ふうび)する。「浮かれて」と自嘲的に書いているが、ジャズという外来文化を「和ジャズ」へと移す意欲的な実験は日本ジャズ史に刻まれている。

2020 8/31 17:00
文化

中村八大編<477>ビッグ・フォー

中村八大のブロマイド

 福岡県の久留米ジャズファンクラブ会長の江越秀明(73)の手元に、一枚のブロマイドがある。数年前、知人のジャズ評論家、岩浪洋三から「久留米出身のジャズピアニストだから」とプレゼントされた。

2020 8/24 17:00
文化

中村八大編<476>ジャズとの遭遇

 戦後まもなくして日本に空前のジャズブームが訪れる。進駐軍のキャンプやキャバレー、クラブでジャズが演奏され、ラジオからも流れた。

2020 8/17 17:00
文化

中村八大編<475>故郷への校歌

柴刈小学校にある校歌の記念碑故郷への校歌

 中村八大は約4年間、福岡県久留米市で暮らした。戦中、戦後の激動期と青少年時代が重なり、強い印象を残した町である。

2020 8/3 17:00
文化

中村八大編<474>僕自身の手で

中村八大と父との交流を語る本間敬二

 昨年末、福岡県久留米市の石橋文化センター共同ホールで、合唱団LLC(ロングライフ・コール)の20周年の記念コンサートが開かれた。「本間四郎卒寿メモリアル」との言葉も添えられている。

2020 7/27 17:11
文化

中村八大編<473>多彩な音楽に触れ

縁側でくつろぐ中村八大(1979年、本間家旧家屋で)=本間四郎家提供

 大ヒットした歌謡曲「星の流れに」は1947年に発売された。作曲は利根一郎である。

2020 7/20 17:00
文化

中村八大編<472>みんなで歌えば

1962年当時の明善高校(手前)と旧久留米高等女学校の校舎(右上)

 敗戦を告げる「玉音放送」の後、まもなくしてラジオから流れるのは戦後初のヒットソング「リンゴの唄」だった。 戦後復興はこの歌とともにスタートした。

2020 7/13 17:00
文化

中村八大編<471>壁越しの出会い

旧制中学2年の本間四郎(1945年3月)=本間四郎家提供

 中村八大が福岡県久留米市で生活したのは1945年1月から49年3月までの、約4年間である。その歳月について本紙に寄稿した「私の心の久留米」(72年)の中で次のように回顧している。

2020 7/6 17:00
文化

中村八大編<470>暗闇の世界で

13歳の中村八大(1944年)=本間四郎家提供

 中村は1986年11月28日、長崎県波佐見町でのコンサート「ピアノとギターとおしゃべりと」の中で自己紹介している。 「(コンサートは)その都市の人口の1パーセントがお客さんだと大盛況です。

2020 6/29 17:41
文化

中村八大編<469>「新しい時代が来る」

 福岡県久留米市が大空襲にさらされるのは終戦直前の1945年の8月11、12日である。「久留米市史(第三巻)」には次のように記されている。

2020 6/22 17:00
文化

中村八大編<468>ピアノと共に帰郷

現在の門司港。かつて国際航路でにぎわった。

 中村八大は1944年11月、家族とともに中国・青島から内地、日本に引き揚げてきた。旧制中学1年、13歳だった。

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