小鴨由水さんの聞き書き「人生走快」
コーナー

「小鴨由水さんの聞き書き「人生走快」」 (4ページ目)

1992年のバルセロナ五輪女子マラソン日本代表、小鴨由水さんによる聞き書き。山あり谷ありの人生を爽快に駆け抜ける小鴨さんの生き方お伝えします。

2018 4/13 14:30
連載

<10>金魚のふん 記録向上

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 18歳でダイハツ陸上部に入部した私は、先輩の吉田光代さんを目標にしていました。吉田さんは「身長は170センチ」と言っていましたが、実際は173センチあったと思います。

2018 4/12 14:30
連載

<9>「朝練」先導役に緊張

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 1990年4月、ダイハツ工業に入社した私は、陸上部の寮に入りました。朝から晩まで、陸上漬けの日々の始まりです。

2018 4/11 14:30
連載

<8>幸運のダイハツ入り

1990年の大阪国際女子マラソンで4位に入賞し、トロフィーを掲げる吉田光代さん

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 1990年春、兵庫県立明石南高を卒業した私は「ダイハツ工業」の陸上部に入り、実業団ランナーになりました。高校で結果を残せていたら、大学に進んで楽しく走ろうと考えたかもしれません。

2018 4/10 15:36
連載

<7>通学路を走り続けて

高1の体育祭で、リレーのアンカーとして走る小鴨さん

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 兵庫県明石市立大蔵中で充実した陸上生活を送った私は、市内の明石南高に進みました。自宅近くには父母の母校の明石高がありましたが、高校でも陸上をやると決めていた私は、市内で最もスポーツの盛んな高校を選んだのです。

2018 4/7 14:30
連載

<6>恩師がくれた「挑戦」

中1の時、800メートルのレースを走る小鴨さん(左)

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん サングラスでこわもての荻野卓(たかし)先生の下、兵庫県明石市立大蔵中の私たち陸上部員は練習に励みました。寡黙さの中に情熱を秘めた先生でしたが、指導法はとても変わっていました。

2018 4/6 14:30
連載

<5>パンチパーマの恩師

教え子の陸上部員たちと記念写真に納まる荻野卓さん(後列右)。後列左が小鴨さん

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 小学5年で兵庫県明石市立人丸(ひとまる)小に転校した私は、同級生の村松明彦君とその父で「おじちゃん」こと洒(きよむ)さんのおかげで、走る楽しさを知りました。夜間練習で力を付けて臨んだ校内持久走大会では、小5で2番、小6でついに1番になりました。

2018 4/5 14:30
連載

<4>隣家に俊足の同級生

1989年12月25日付の西日本新聞。村松明彦さんが報徳学園のアンカーとしてテープを切る写真を掲載している

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 私の人生の大きな転機となったのが、小学5年に進級する際の引っ越しです。父がマイホームを建てたのは、兵庫県明石市の中朝霧丘(なかあさぎりおか)。

2018 4/4 14:30
連載

<3>答案用紙 母から隠す

小学生時代の小鴨さんと、父の立郎さん、母の祐子さん

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 小学生の私は、ちょっと要領の悪い子でした。母の祐子(さちこ)は教育熱心で、私のテストの点数をチェックし、80点以上でないと怒るのです。

2018 4/3 10:44
連載

<2>2人の祖父に育まれ

生後間もなくの小鴨さん。出生時の体重は3150グラムだった

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 私のふるさとは兵庫県明石市。瀬戸内海東部の播磨灘に面し、日本一の生産量を誇るマダコの産地です。

2018 4/2 14:30
連載

<1>初挑戦 勝っちゃった

福岡市の大濠公園でジョギングする小鴨さん。今も走ることに関わり続けている

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん 何から何までうまくいく日って、誰の人生にも1度はあると思うのですが、私にとっては、まさにあの日がそうでした。今から26年も前、1992年1月26日のこと。

PR

PR