辺境の診療所から アフガン難民との10年
コーナー

「辺境の診療所から アフガン難民との10年」

<1993年4~5月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載「辺境の診療所から アフガン難民との10年」(全17回)>

1993 5/14 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(17) 人間の分を知る謙虚さ おおらかに「神の御心なら」【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から17完

 現地では、未来のことを述べるときに、必ずと言えるほど「インシャッラー(神の御心ならば)」という言葉が登場する。「荷物は○月○日までに着くか」と尋ねると、「インシャッラー、着くでしょう」と答えられ、しばしば到着しない。

1993 5/13 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(16) チームワークに亀裂、JAMS内で民族対立【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から16

 一九九二年十一月下旬、カブールの北東山岳地帯からダラエ・ヌールに戻る途中のことである。幹線道路にはいくつもの党派の検問所があり、パシュトゥン部族を背景とするイスラム党が復讐に「ハザラ狩り」を行っていた(モンゴル系のハザラ族の軍民は当時イスラム党と対立、通行中のパシュトゥンを捕らえて耳や鼻をそぎ落とすという挑発的事件も重なり、カブールでは両者が市街戦を演じていた)。

1993 5/12 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(15) カブール、見捨てられた都市民衆 200万人が飢餓の恐怖に【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から15

 夜来の初雪でカブールは純白に覆われた。すがすがしい大気と雪の白装束が、全ての愚劣な人間の行為と悲惨をくるんでいるように思えた。

1993 5/11 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(14) カブールの崩壊 明暗…都市民と旧難民 広がる平和な農村風景【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から14

 一九九三年一月、カブールの政情は更に混迷の度を深めた。日常化した市街戦はついに二月三日、「ジャミアテ」と「ヘズビ」との、主要二大勢力の激突に発展、市中にロケット砲の雨を降らせた。

1993 5/8 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(13) 良心に国境なし、主義・主張と無縁に活動【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から13

 高い天井でけだるそうに舞う扇風機の下で横たわっているところ、安宿には似つかわしくもない黒塗りの公用車が突然訪れた。日本大使館の車で、顔見知りの武官が降りてきて「幕の内弁当」の差し入れをしてくれた。

1993 5/7 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(12) ソ連軍の徹底、劇的な冷戦構造崩壊 難民援助に戸惑う日本【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から12

 一九八八年四月十五日、ソ連軍撤退条項をもりこむ「ジュネーブ和平協定」が締結された。しばらく忘れ去られていた「アフガニスタン」が再び世界の耳目を引きつけた。

1993 5/5 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(11) 一体感強い日本人、信頼得られぬ自己中心【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から11

 ペシャワールから見ていて、どうしても不可解なものが日本人の同族意識である。こう言えば、大方の人は「人によって違うのではないか」と首をひねるだろう。

1993 5/4 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(10) 現実知らぬ国連計画、日本政府も踊らされる【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から10

 我々JAMS(日本―アフガン医療サービス)自身は、財源は専ら「ペシャワール会」(福岡市)を主とする小規模な日本の募金に拠り、あらゆる動きとは無関係に、全く独自の計画を黙々と進めていた。しかし、同じJ(日本)を戴く以上は、良い仕事をしてもらわないと、混同されてJAMSの評判を落とし、将来に差し支える。

1993 5/1 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(9) 人的貢献 無経験…態勢整わぬ日本 ソ連撤兵で難民救援ふえる【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から9

 日本がおそらく戦後初の新しい国際的援助形態をさぐって困惑している時、現地でも新情勢が次々と展開していた。パキスタン政府内部に対立が生じ、一九八八年六月ジュネジョ内閣が解散した。

1993 4/30 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(8) イスラム戦士、村と血族守る戦い JAMS活動にも協力【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から8

 ダラエ・ヌールでは、JAMS(日本―アフガン医療サービス)の渓谷出身スタッフも地区ゲリラとして戦闘に従事していた。渓谷下流域からクナール河を挟んで標高五百メートル程の高地が正面にあり、その頂から発せられる政府軍の砲弾はゲリラ部隊の南下を寄せ付けなかった。

1993 4/29 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(7) 地雷の恐怖、全土に1000万発も 精神の病理を拡大再生産【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から7

 一九八九年二月、JAMS(日本―アフガン医療サービス)の「診療員養成コース」がスタートした直後、アフガニスタン国内診療所の有力候補地のクナールでは激戦が展開していた。ソ連軍の完全撤兵に呼応して、カイバル峠のアフガニスタン側ふもとにある要衝都市、ジャララバード攻略が始まった。

1993 4/28 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(6) 一方的価値観の押しつけ、難民援助でも不信拡大【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から6

 ある時私が宿泊していた難民キャンプで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)担当官の視察があった。普段は空っぽの施設が前日から掃き清められ、突然忙しそうに立ち働く人々が現れた。

1993 4/27 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(5) 困難極めたキャンプ診療 JAMS「ハンセン病根絶」が出発点【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から5

 JAMS(日本―アフガン医療サービス)の出発点は、パキスタン北西辺境州の「ハンセン病根絶計画」からである。私がペシャワールのミッション病院のハンセン病棟に正式に赴任した一九八四年五月、アフガン戦争の真っ只中で、越境する難民は北西辺境州だけで三百万人に迫りつつあり、ハンセン病コントロール計画はその影響をまともに被っていた。

1993 4/24 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(4) 「覚めた目を」と自覚 故郷と民族主義の間で【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から4

 JAMS(日本―アフガン医療サービス)の院長シャワリ医師は、自分たちの活動は欧米人とは違うのだ、アフガン人によるアフガン人の国のための活動だ、と盛んに強調した。しかし、「国」という観念が主のイッサ・カーン氏とは明らかに異なっていた。

1993 4/22 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(3) 地域の合意決定機関「長老会議」 自覚と名誉にかけ順守【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から3

 渓谷の日没は早い。車道の途絶える目的地点に着いた頃には陽が既に山陰に隠れ、闇が降りてきた。

1993 4/21 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(2) タラエビーチへ 第二の診療所計画、ハンセン病根絶拠点に【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から2

 ペシャワールからクナールの州都チャガサライ(アサダバード)まで約八時間、ここからクナール河は二つの支流に別れ、北西山岳地帯をはう長大な渓谷がダラエ・ピーチである。私たちはアフガニスタンで、ダラエ・ヌールに続き、ダラエ・ピーチの診療所建設を計画していた。

1993 4/20 6:00
九州ニュース

辺境の診療所から(1) 諸団体撤退と患者急増、青息吐息…支援母体の財政難も【中村哲医師寄稿】

辺境の診療所から1

 一九九二年度は日本側の支援母体ペシャワール会(福岡市)と現地JAMS(日本―アフガン・医療サービス)にとって、大きな試練の年となった。突然の大量の難民帰還に合わせて現地活動も急速に活発化した。

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