戦後75年
コーナー

「戦後75年」 (2ページ目)

今年は戦後75年。当時を知る人が少なくなる中で、戦争の現実と平和の尊さを後世に伝えようと模索が続いています。高齢を押して語り継ぐ戦争体験者。地域に残る戦の記憶をたどり重い事実を学ぶ現在の世代。私たちも共に、先人の歩みと、今の時代に向き合います。

2020 10/26 11:00
長崎

核兵器禁止条約発効へ 長崎市の被爆者ら「歓迎」平和祈念像前に200人

平和祈念像前で横断幕を掲げて発効を歓迎する被爆者ら

 核兵器禁止条約の批准数が発効に必要な50カ国・地域に達し、来年1月の発効が決まった。被爆地の長崎では25日、核廃絶を訴えてきた市民や被爆者らが喜び「核兵器なき世界」の実現を改めて誓った。

2020 10/26 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/26【箱崎・姪浜間は「東西大通り」へ 福博から消ゆ太閤以来の町名】西日本新聞の紙面から

1945年10月26日付紙面から

 記事はこれだけ、約170字。福岡市内に「一番街」や「五十七番街」という名称が付けられることが計画されていたのか。

2020 10/25 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/25【藷泥棒は夜警団で防げ 県警察部も近く一斉に手入れ】西日本新聞の紙面から

1945年10月25日付紙面から

 〈粒々辛苦してやっとつくりあげた藷(いも)が不届きな泥棒のため一夜にして掘り返されたという忌まわしい事件は最近頻々として発生し、農民の憎悪を買っている。 戦時中に輪を掛けて厳しくなった食料事情。

2020 10/25 6:00
長崎社会

「立派な戦死」と告げられ…戦没者遺族の悔しさ レイテ沖海戦76年

慰霊碑の前で手を合わせる田中暁さん=24日、長崎県佐世保市東山町の東山海軍墓地

 76年前の10月25日、旧日本海軍の重巡洋艦「鳥海(ちょうかい)」がフィリピン・レイテ沖に沈んだ。当時の艦長田中穣さん(享年47)の長男暁(さとる)さん(92)=長崎県佐世保市=は24日、同市の戦没者追悼式に参列し、鳥海の乗組員らの慰霊碑に手を合わせた。

2020 10/25 6:00
佐賀

どんな思いで戦火に散ったのか、友よ安らかに 「平和への誓い」全文

戦没者追悼会で平和への誓いを読み上げる川崎花笑さん=24日、佐賀県鹿島市

 朝夕は肌寒くなり、この旭ケ岡も日一日と色を濃くしていく季節となりました。本日はご多忙中にもかかわらず、佐賀県立鹿島高等女学校と鹿島立教実業学校の戦没者追悼会にご出席いただき、誠にありがとうございます。

2020 10/25 6:00
佐賀

「平和な世界を」高校生が誓いの言葉 学徒動員で犠牲の先輩追悼

慰霊碑に向かって平和への誓いを読み上げる川崎花笑さん(手前)=24日、佐賀県鹿島市

 太平洋戦争中の学徒動員先で米軍の空襲を受けて犠牲になった先輩たちを慰霊し、悲劇を後世に伝えるため、高校生が企画した戦没者追悼会が24日、慰霊碑がある佐賀県鹿島市の旭ケ岡公園で営まれた。発案した鹿島高2年の川崎花笑(はなえ)さん(16)=同県白石町=は、「皆さんの死を無駄にせず、平和な世界を築いていくことを誓います」と約束した。

2020 10/24 8:00
佐賀社会

「学びたかったろう」戦災死の先輩忘れない 後輩が27年ぶり追悼会

慰霊碑の前で平和への思いを強くする佐賀県立鹿島高2年の川崎花笑さん(右から2人目)と同級生たち=22日、佐賀県鹿島市

 太平洋戦争中の学徒動員先で犠牲になった先輩たちの無念さを次世代に伝えたい-。佐賀県鹿島市の県立鹿島高そばの公園で24日、戦災死した女学生10人の追悼会が27年ぶりに開かれる。

2020 10/24 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/24【比島引揚げ婦女子の第一陣 夏服に下駄履 海防艦で宇品港上陸】西日本新聞の紙面から

1945年10月24日付紙面から

 〈比島からの引揚げ第一陣消防艦第六十号、第八十一号、第百五十八号は二十一日夕、宇品港に入港した。引き揚げ者は一般婦女子三百五十名に千葉海軍医大尉以下四名の男子が付き添い総勢五百余名、港内には十月の風が静かに吹いて松の緑が対岸の山にくっきり浮いている。

2020 10/23 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/23【目指す政治の生活化 棄権防止へ部落ごとに投票場 参政権と婦人の心構え】西日本新聞の紙面から

1945年10月23日付紙面から

 〈政府は来るべき臨時議会に婦人参政権を上程することに決定した。これは異議なく通過するものと思われるので、いよいよ明春の総選挙から満二十歳以上の女子二千二百万人に選挙権が与えられ、女性の社会的立場に新しい黎明が満たされることになった。

2020 10/22 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/22【大学出に就職の「狭き門」 風当たりの強い工学士 舞い込む予約の断り状】西日本新聞の紙面から

1945年10月22日付紙面から

 終戦1カ月後の9月15日に九大を卒業したという学生たちが〈途方にくれている〉として、就職状況を取材している。見出しの「予約の断り状」は今で言う「内定取り消し」のことだろう。

2020 10/21 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/21【闇値・たちまちがた落ち 福岡市に公認の自由市場】西日本新聞の紙面から

1945年10月21日付紙面から

 終戦後、福岡市・天神にできた「公認の自由市場」。配給でも非合法でもない存在は大きな話題になったようだ。

2020 10/20 8:00
福岡社会

引き揚げの悲喜を一冊に 福岡の団体が23人の手記収録

「引き揚げのことを知ってほしい」と体験をつづった上村陽一郎さん

 終戦時、日本が植民地化していた旧満州(中国東北部)や朝鮮半島などに約660万人が取り残され、多くは命からがら帰国した-。そんな引き揚げ者ら23人が壮絶な体験をつづった「あれから七十五年」(図書出版のぶ工房)が今月、刊行された。

2020 10/20 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/20【三井農校生が盟休 配給品等の処分に疑念】西日本新聞の紙面から

1945年10月20日付紙面から

 学生のストライキを意味する「同盟休校」という言葉は現在、一般的ではないし、そもそも学生のストライキ自体がほとんど見られなくなった。三井農学校(現在の久留米筑水高校)の生徒たちは、何を訴えていたのか。

2020 10/19 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/19【人は必ず歩道通れ 二十五日から交通概念昂揚週間】西日本新聞の紙面から

1945年10月19日付紙面から

 〈日本国民の交通道徳に対する観念はまだまだ低くて公式生活のだらしなさを物語っているが、福岡進駐軍憲兵司令部はこのほど福岡県警察部に対して十カ条からなる「警察に対する指令」を提示し、特に「一般通行人に関する交通取り締まりを厳格に実施させること」を強調し、同司令部のハンソン大尉は十七日県庁に宮地整備課長を訪問して交通整理に対する進駐軍側の要望事項を説明。 「交通安全推進週間」という言葉がまだなかった時代の「交通概念昂揚週間」。

2020 10/19 6:00
長崎社会

「あの瞬間、伝え続ける」22歳の決意 間近に迫る被爆者なき時代

長崎原爆資料館で被爆者の体験を語る交流証言者の坂本薫さん=長崎市

 自らの体験を生々しい言葉で伝えてきた被爆者の平均年齢は83歳を超える。二つの被爆地は、体験証言を受け継いで修学旅行生や観光客に語る人たちを養成している。

2020 10/18 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/18【隣組 民主主義発生の基盤へ 県振興課長に質す「読者の声」】西日本新聞の紙面から

1945年10月18日付紙面から

 〈戦争遂行のために組織された国民の各種組織は終戦とともに存在意義を失った。次々に解消されつつあるが、その一つたる隣組、部落会などの末端組織はどうなるか。

2020 10/17 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/17【遭難は八百余名 珠丸の生存者 濡れ着に震えて博多入港】西日本新聞の紙面から

500人以上の犠牲者が見込まれることを伝えた、1945年10月15日付の西日本新聞記事

 今も長崎県の対馬と壱岐の両方に慰霊碑が残る珠丸沈没の一報は、事故翌日の15日の紙面に〈五百余名ほとんど絶望 五十余名救助 珠丸触雷して沈没〉の見出しで報じられている。 記事では「14日に比田勝を出港」とあるが、実際は比田勝を出たのは4日前の10月10日。

2020 10/16 11:00
大分

「こんなまけいくさで死ぬのはいやだ」特攻隊員の心情記した冊子寄贈

1945年4月5日、特攻のために宇佐空を飛び立つ直前の島さん。撮影した親友は、操縦席に乗り込んだ島さんがこの後「俺は、もうアカン」と涙ぐんだと証言している

 戦時中に現在の大分県宇佐市にあった宇佐海軍航空隊(宇佐空)に所属し、神風特攻隊員として戦死した島澄夫さん(享年24)の生涯を記録した冊子「刻」(A4判、80ページ)を、島さんのめい、前田優子さん(64)=神戸市=が宇佐市民図書館に寄贈した。戦後75年がたち、特攻隊員の生の記憶が薄れていく中、「伯父の心情にも迫った内容で、未来ある若者の命が戦争で奪われることを繰り返さないために、多くの人に読んでほしい」と平和への願いを託した。

2020 10/16 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/16【ありがとうフレンドパンの福田 たちまち治る脚気 解放米兵 報恩の留守宅慰問】西日本新聞の紙面から

1945年10月16日付紙面から

 文字通り「美談」の記事。9月1日、降伏文書の調印に伴い日本本土で収容生活を送っていた連合軍捕虜が解放された。

2020 10/15 8:00
社会

あの日、何を報じたか1945/10/15【ジャングルの秘薬「D.D.T」 独の発見を米で実用化 蚤や蚊の退治に福岡でも散布】西日本新聞の紙面から

1945年10月15日付紙面から

 〈連合国は今次大戦を通じて医学上、二つの偉大な発見をした。一つはズルファミンをはるかに凌ぐ「ペニシリン」剤であり、チャーチル前英国首相の肺炎をたちどころに快癒せしめ、(自殺未遂事件を起こした)東条大将の腹部に撃ち込まれた弾創さえ二、三日にして快方に向かわせた。

PR

PR

注目のテーマ