戦後75年
コーナー

「戦後75年」 (26ページ目)

今年は戦後75年。当時を知る人が少なくなる中で、戦争の現実と平和の尊さを後世に伝えようと模索が続いています。高齢を押して語り継ぐ戦争体験者。地域に残る戦の記憶をたどり重い事実を学ぶ現在の世代。私たちも共に、先人の歩みと、今の時代に向き合います。

2020 5/8 6:00
大分社会

【動画あり】恩讐越え…墜落のB29乗員を慰霊「米兵にも家族あった」

墜落したB29の搭乗員の遺影が並ぶ見星寺の本堂で手を合わせる新名正一さん。75年前、墜落を目撃した=7日午前11時ごろ、大分県臼杵市

 1945年5月7日、大分県の山中に墜落し、死亡した米爆撃機B29の搭乗員の慰霊祭が7日、同県臼杵市の見星(けんしょう)寺で営まれた。同寺は米搭乗員の遺骨を一時、安置していた経緯があり、米国の遺族からも感謝のメッセージが寄せられた。

2020 5/1 6:00
社会

首里城地下の壕を平和拠点に 火災から半年、識者「公開を」

沖縄戦の記録映像を収集する市民団体の学習会で、水がたまった第32軍司令部壕の坑道を歩く参加者=1992年7月、那覇市(琉球新報提供)

 昨年10月に焼失した首里城(那覇市)の地下にある旧日本陸軍第32軍司令部壕(ごう)の公開を求める声が高まっている。75年前の沖縄戦の軍事拠点は、かつて公開の方針が打ち出されたが、崩落の危険性があり実現していない。

2020 4/29 6:00
大分社会

「B29は舞いながら落ちた」さびた銃弾、朽ちた薬莢…今も残骸眠る山

墜落した米爆撃機B29の残骸を捜索する稲田哲也さん(左)や佐伯鶴城高の生徒ら=2月、大分県佐伯市

 航空戦史を調べている在野の研究者から、大分県内で墜落した米爆撃機B29の残骸の本格的な捜索を行うと西日本新聞「あなたの特命取材班」に知らせがあった。事前調査で金属片が多数見つかったという。

2020 4/23 6:00
社会

「生きるも死ぬも紙一重」 明暗分けた二つのガマ 沖縄・読谷村

約1000人が助かったとされるシムクガマで「自分たちが死んでいてもおかしくなかった」と語る知花治雄さん=2日午前、沖縄県読谷村

 75年前、米軍が沖縄本島で最初に上陸した沖縄県読谷村に、明暗が分かれた二つのガマ(自然壕=ごう)がある。約千人が助かったシムクガマと、83人が集団自決したチビチリガマ。

2020 4/22 6:00
鹿児島社会

海底の「紫電改」引き揚げ模索 「攻撃から集落守った」記憶を後世に

林喜重大尉の命日に慰霊碑を訪れ、手を合わせる後藤将之さん=21日午前、鹿児島県阿久根市

 鹿児島県阿久根市折口の沖合に旧日本軍の戦闘機「紫電改」が眠り、浜辺にはパイロットを弔う慰霊碑がある。パイロットは海軍航空隊407飛行隊長の林喜重大尉(死後昇進し少佐)。

2020 4/20 6:00
長崎社会

長崎と広島、異なる悩み 揺れる「被爆遺構」

原爆落下中心地の石碑を見上げる被爆者。この上空で原爆がさく裂し、広い範囲で多くが犠牲になった=長崎市松山町

 長崎と広島は今年8月、被爆から75年の原爆の日を迎える。被爆地はいかに復興を遂げ、平和と向き合い、核兵器廃絶を世に訴えてきたのか-。

2020 4/5 6:00
福岡社会

引き揚げ港・博多の苦難 継承の場限られ、進む風化

博多港への引き揚げ時に使われたトランクや柳行李(ごうり)。市民福祉プラザに展示された資料は、市収集分のごく一部だ=福岡市中央区

 「博多港への引き揚げの正しい史実が伝わっておらず、闇に消えようとしている」。元福岡市職員の堀田広治さん(82)は戦後75年の今、無力感にさいなまれている。

2020 4/4 6:00
長崎社会

「きのこ雲」映像、2機の撮影を編集していた 飛行ルートも解明

湧き上がるきのこ雲の映像のワンシーン。周辺の山の形状などから、2機から撮影し編集したと読み解いた

 長崎原爆のきのこ雲が湧き上がる状況を上空から捉えた米軍機撮影の唯一の映像は、爆弾を投下したB29と同型観測機の2機から撮影し、編集して1本にまとめたものだったことを長崎総合科学大(長崎市)の大矢正人名誉教授(73)らが突き止めた。どちらか1機からの撮影とみられていたが、雲の形状や背後の山容を解析し結論づけた。

2020 3/28 6:00
大分社会

縁のない陸軍中将の位牌、なぜ民家に? 手掛かり求め山あいの集落へ

井上利男さん宅にあった「殉国之英霊」と書かれた位牌。過去帳に長瀬武平陸軍中将の名を記し、弔ってきた=大分県日田市(撮影・柿森英典)

 富山県出身の陸軍中将の名前が記された位牌(いはい)が、大分県日田市の民家で見つかった。住民と中将の間には縁もゆかりもないという。

2020 3/26 6:00
鹿児島社会

「せめて最期の地を」硫黄島、遺骨眠る地下壕…父思う息子

石碑の前でしゃがみ込む三重東二さん。父がいた場所かもしれず、何度も四方を見回していた

 ごう音が響く自衛隊輸送機に揺られること約2時間。耳栓を取り機外に出ると、生ぬるい風が硫化水素のかすかなにおいを運んできた。

2020 3/18 19:09
社会

【動画あり】旧陸軍の地下壕跡を一般公開へ 防衛省、四半世紀ぶり

報道陣に公開された防衛省の敷地にある旧日本陸軍の大本営地下壕跡=18日午前、東京都新宿区

 防衛省は戦後75年の今年、東京・市ケ谷の同省敷地内に残る旧日本陸軍の大本営地下壕(ごう)跡の一般公開を四半世紀ぶりに再開する。壕には陸軍大臣室や通信室、便所、調理場などの跡が残っており、約1億円をかけて修復と耐震化の工事を実施。

2020 3/15 4:00
社会

出征で裂かれた妻恋…二十歳の青年が残した日記「二度と会ふまい」

三代徳重さんの両親が作った合成写真。陸軍の防寒帽などを身に着けた徳重さんと、着物姿の妻由美さんが並んでいる

 大分県南部にある豊後大野市緒方町。里山の風景が広がるこの町に、日記を付けた三代(みしろ)徳重さんの生家があった。

2020 3/15 4:00
社会

出征前の青年が綴った山の生活日記 「日米開戦状態」…突然の幕

1941年に三代徳重さんが付けていた日記。12月8日の欄には畑仕事などの記述の後に「日米開戦状態に成る」と書かれていた

 太平洋戦争が始まった1941年、山の暮らしをつづった日記がある。結婚を間近に控えた、出征前の二十歳の青年が付け始めたものだ。

2020 3/15 4:00
福岡社会

三代徳重さんの日記 1941(昭和16)年

三代徳重さんの日記

 太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年、山の暮らしをつづった日記がある。結婚を間近に控えた、出征前の二十歳の青年が大分県で付け始めたものだ。

PR

PR

注目のテーマ