戦後70年 vol.1
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「戦後70年 vol.1」

「戦後70年へー証言をつなぐー vol.1 空襲の記憶」の連載記事を掲載しています。

2018 7/9 18:37
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児童が手作業で掘削 防空壕跡の無窮洞

 長崎県佐世保市の南部、川棚町との境界近くに旧国民学校の児童が手作業で掘った防空壕(ごう)跡「無窮洞(むきゅうどう)」がある。太平洋戦争中、この上空にも軍港・佐世保市街へ向かう米軍機が頻繁に来た。

2014 6/19 6:00
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福岡大空襲の記録引き継ぐ 博多小平和祈念室

 1945年6月19日夜から翌日未明にかけて、B29による焼夷弾投下を受けた福岡大空襲を記録する品々を展示している。  福岡市の博多部や天神を中心に多くの死傷者を出した空襲で、最大の被害を受けたのが旧奈良屋小学校校区。

2014 6/19 6:00
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犠牲者100人超、94年の調査で明らかに 藤田町被爆戦没者之碑

 その石碑は、福岡県大牟田市の熊本県境に近い天満神社の境内に立つ。  「藤田町被爆戦没者之碑」。

2014 6/19 6:00
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あどけない児童たちの遺影 大刀洗平和記念館

 旧陸軍の西日本最大の航空拠点で、太平洋戦争末期には特攻隊の中継基地ともなった大刀洗飛行場(福岡県)。その上空に、B29が襲来したのは1945年3月27日と同31日。

2014 6/19 6:00
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児童ら127人犠牲の悲劇伝える 保戸島学徒慰霊碑

 大分県津久見市の豊後水道に浮かぶ周囲約4キロの保戸島。1945年7月25日、米軍機が木造2階建ての旧保戸島国民学校に爆弾3発を投下。

2014 6/19 6:00
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【米軍関係者の証言】兵士の罪の意識 消した口実

 全国の大都市と同様に、九州各地でも大きな被害が出た空襲。当時、通常爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下した米軍兵士たちは、火の海が広がる地上の光景をどう見ていたのか。

2014 6/19 6:00
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徹底空爆 市民標的 米軍、冷静に攻撃目標分析

工藤洋三氏

 全国の大都市と同様に、九州各地でも大きな被害が出た空襲。当時、通常爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下した米軍兵士たちは、火の海が広がる地上の光景をどう見ていたのか。

2014 6/19 6:00
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<久留米大空襲>逃げ遅れた母と死別

辻美彌子(みやこ)さん

 食べ物がなくて、おかゆで朝食を取って間もなく、サイレンが鳴り響いた。町内会長の祖父が外で「早く逃げろ」と叫んでいる。

2014 6/19 6:00
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<熊本空襲>B29はどんな鉛筆?

片田喜久子さん

 熊本空襲の日、破傷風で発熱し、歩けなかった母を背負って防空壕へ逃げた。当時は満足な薬もなかった。

2014 6/19 6:00
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<筑紫駅機銃掃射>煙上げ列車蜂の巣に

沖幹雄さん

 けがをした右腕を手ぬぐいで縛った女学生らしき女性が、頭を打ち抜かれた母親の遺体にすがりついて泣いていた。列車は機銃掃射で蜂の巣状になり、紫色の煙が立ち上っていた。

2014 6/19 6:00
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<八幡大空襲>線路脇に黒焦げ遺体

恒成巧さん

 その日の午後、すすを含んだ黒い雨が降った。長崎市に原爆が落とされる前日の1945年8月8日。

2014 6/19 6:00
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<大刀洗飛行場空襲>近くの溝に身伏せた

手柴豊次さん

 終戦の年の3月27日は快晴だった。長姉と牛車を引き、畑に行っていた。

2014 6/19 6:00
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<大村大空襲>眼前で撃ち落とされ

中林菊代さん

 大村海軍航空廠(しょう)(長崎県大村市)で学徒動員中、昼間の空襲を受けた。最初はみんな防空壕に避難した。

2014 6/19 6:00
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【空襲体験者の証言】孤児に笑顔 希望だった

渡辺チヱ子さん

 あの空襲でいったい何人の子どもたちが親きょうだいを失い、孤児になったのだろう。戦後、焼け野原となった街中には「シューシャンボーイ」と呼ばれ、靴磨きで生計を立てる子どもたちがあふれた。

2014 6/19 6:00
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【空襲体験者の証言】迫る火の手 燃える頭巾

田島ミツ子さん

 サイレンの音で、自宅の縁側からのぞくと夜空に何十機もの機影があった。それまでも銀色のトンボほどに見えるB29が、毎日のように、どこの町を攻撃に行くのか上空を通り過ぎていた。

2014 6/19 6:00
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【空襲体験者の証言】地中へ アリになりたい

浜田芳子さん

 あの夜も今川の家で、義父母たちと暮らしていた。夫は陸軍軍人で関東にいた。

2014 6/19 6:00
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福岡壊滅 火の雨降る 死者・不明1100人超 B29、220機2時間爆撃

 「火の雨が降った」。生存者はそう語り継ぐ。

2014 6/19 6:00
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空襲 すべてを焼く 九州の傷痕に迫

※複数回の空襲の被害を累計(推計を含む)。数字は総務省の一般戦災ホームページと、自治体や民間団体などの資料を参考にした。自治体によっては判明する一部の記録のみを記載。大刀洗飛行場周辺、鳥栖市、大村市、宇佐市の被災戸数は記録がなく不明

 太平洋戦争下に、女性や子ども、高齢者たちを巻き込んだ米軍の無差別大量殺りく「空襲」。九州全体では、どれほどの命や家が失われ、都市や地方の町が壊滅したのか。

2014 6/19 6:00
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【空襲体験者の証言】真横に焼夷弾 父火だるま

 全身やけどの父が運ばれてきた。今の福岡市中央区今川で料理店を経営し、おとこ気があって一目置かれる存在だった。

2014 6/14 6:00
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【空襲体験者の証言】ウーウー警報音 本物だ

古野純一さん

 その夜、警戒警報は鳴ったが緊張感はなかった。旧制中学4年生の私は、福岡市下名島町(現在の中央区天神3丁目)の自宅から、学徒動員で近くの自動車整備工場に通っていた。

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