戦後70年 vol.2
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「戦後70年 vol.2」

「戦後70年へー証言をつなぐー vol.2 特攻の記憶」の連載記事を掲載しています。

2014 7/29 6:00
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【海外の見方】韓国、痛恨の記憶 特攻隊員には朝鮮半島出身者も

 特攻隊員には日本統治下の朝鮮半島出身者もいた。その足跡を追った韓国紙記者の著書「私は朝鮮人カミカゼだ」によると、朝鮮人隊員の戦死者は17人。

2014 7/29 6:00
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【海外の見方】特攻、米兵士らは「狂信的な自爆戦術」と恐れる

 米国の研究者らの推定では特攻で約120隻の米艦船が沈没。約3千人の米兵が死亡し、約6千人が負傷した。

2014 7/29 6:00
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記憶遺産 鍵は「特攻」の時代背景

モーデカイ・シェフタル氏

 特攻隊員の遺書などの世界記憶遺産登録を目指す鹿児島県南九州市のアドバイザーを務めた。私は、窮地に追い込まれる中で「特攻」というコンセプトと作戦が生まれた時代背景を盛り込むべきだと主張したが、申請には反映されなかった。

2014 7/29 6:00
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特攻 戦術でなく「儀礼」  国民が期待、やめられず

有馬学氏

 昭和史について最も根源的な疑問は、「なぜ日本はあんな愚かな戦争をしたのか」ということだろうが、それは後になって歴史的な事実が分かっているから問えることである。後からさまざまな事象への解釈をつなぎ合わせ、あたかもさまざまな事柄が必然的に生じたかのように語るべきではないだろう。

2014 7/29 6:00
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【証言】恐怖心を表す抽象画 18歳で戦死、遺書破り捨てた兄

山下 昭さん

 10歳上の兄・正辰が、母に宛てた最後のはがきには、こんな短歌が添えられていた。「まさか、あなたたちの息子がこの若さで亡くなるとは思いもしなかったでしょうね。

2014 7/29 6:00
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やってはいけない作戦 人間魚雷「回天」元搭乗員の証言

手作りした回天の模型を見つめる元搭乗員の東努さん

 航空兵は敵を撃ち落とすのを目的に飛行機の操縦を覚える。一方、人間魚雷「回天」の搭乗員は自爆するために操縦法を数カ月かけて学ぶ。

2014 7/29 6:00
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【証言】特攻隊員から託された封筒 都城で機体を整備した男性

寺崎 昭之さん

 蜂の巣状に撃ち抜かれた機体の操縦席から、立ち上がれないほど疲弊した隊員が引っ張り出された。顔は排ガスや油で真っ黒。

2014 7/29 6:00
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【証言】「一足先に行ってくる」 特攻出撃直前に兄と面会

金子 寿美さん

 8歳上の兄・知雄は1945年4月2日、鹿児島県の知覧飛行場から飛び立った。22歳だった。

2014 7/29 6:00
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【証言】冷静な志願だったのか 当時19歳の兄が特攻で戦死

松井 靖之さん

 兄の素美(もとみ)は、神風特攻隊が編成された1カ月半後の1944年12月、特攻で戦死した。19歳だった。

2014 7/29 6:00
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【証言】万歳の中 母だけは反対 飛行兵学校に入学した男性

三浦 智弘さん

 大分陸軍少年飛行兵学校にいた1年4カ月間、飛行機には一度も乗れなかった。機材がなく、故障機を直す部品やガソリンもなかった。

2014 7/29 6:00
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【証言】勇ましい遺書は本心か 同郷の特攻隊員を調査した男性

椎窓 猛さん

 こんな山深い矢部村(福岡県八女市)からも、特攻に向かい亡くなった若者がいたのかと立ち尽くした。 2007年夏、同県筑前町を訪ね、立ち寄った大刀洗平和記念館(旧館)に、特攻隊員の遺影と遺書があった。

2014 7/29 6:00
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私が苦しんだのは、むしろ戦後だった 特攻隊員の遺影集め 慰霊の全国行脚

板津 忠正さん

 必ず死ぬ運命にある。だが、その日がいつ来るか分からない。

2014 7/29 6:00
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特攻「十死零生」の青春 戦局悪化1944年10月レイテ沖初編成

 太平洋戦争末期に編成され、爆弾もろとも敵艦に体当たりする特攻。隊員のほとんどは20歳前後の若者で、学徒兵の姿も目立った。

2014 7/29 6:00
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特攻6400人の悲劇 「戦争の不条理」伝え

出撃 九州の主な拠点

 彼らが乗り込み、南の空へと向かった戦闘機の一つ「飛燕(ひえん)」を囲むように、1036人の遺影と遺書などが展示されている。  鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館には、年間50万人を上回る見学者が訪れる。

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