戦後70年 vol.9
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「戦後70年 vol.9」

「戦後70年へー証言をつなぐー vol.9 学童集団疎開」の連載記事を掲載しています。

2015 7/17 10:21
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疎開、沖縄の悲劇 命懸け九州目指す

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 こんな絶望の七夕があっただろうか。太平洋戦争末期の1944年7月7日、サイパン島が陥落した。

2015 7/17 10:21
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「なぜ生かされた」9歳の重荷 

対馬丸沈没の夜の記憶をたどる平良啓子さん=沖縄県東村(撮影・岡部拓也)

対馬丸の平良啓子さん(80) 小さな頭が並び、あどけないまなざしが一心にこちらを見つめている。「あの夜」の話に耳を傾ける子どもたちを前にするといつも、暗い海にのみ込まれていったいくつもの幼い命を思い出さずにいられない。

2015 7/17 10:21
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いじめ止められず後悔 

河野雄三さん(80) 〈沖縄県糸満市から宮崎県都農町に学童疎開してきたうち9人が同級生。4人が同じクラスで机を並べた。

2015 7/17 10:21
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再会した父、白骨に

金城シヅ子さん(84)

金城シヅ子さん(84) 「帰りたいな、帰りたいな」って皆、泣くんです。私は5歳のときに母を亡くしていて慰められなかった。

2015 7/17 10:21
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兄の死嘆く暇なく 

山城光政さん(80) 乳牛を飼っていたので、父は疎開しませんでした。そうでなければ家族を率いて行ったでしょう。

2015 7/17 10:21
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恵子ちゃん、つらかったね

山中敬子さん(81) 〈沖縄から熊本県八代市に集団疎開した学童、教員たち約千人は45年6月、空襲激化に伴い、山間部の坂本地区などへ再疎開した。山中さんの実家は、疎開児童が寝起きする寺の近くにあり、子どもたちがよく遊びに来た〉 国民学校4年生でしたか。

2015 7/17 10:21
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南風原の学童疎開

疎開先で授業を受ける沖縄の子どもたち。1944年ごろ、宮崎県内で撮影(那覇市歴史資料室提供)

 太平洋戦争末期の1944年。沖縄県南風原町からは8月と9月の2回にわたり九州への学童疎開が実施された。

2015 7/17 10:21
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母に黙って手続き、最後の別れに

熊本・八代へ 赤嶺善助さん(83) 父を早くに亡くし、母と妹の母子家庭だった。私は当時、旧南風原(はえばる)国民学校高等科の1年生。

2015 7/17 10:21
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学童疎開は軍事戦略

いしはら・まさいえ1941年、沖縄県那覇市首里出身。70年大阪市立大大学院修士課程修了。旧国際大講師、沖縄国際大助教授、教授を経て2010年4月から現職。沖縄県史編集委員。主な著作に「ピース・ナウ沖縄戦」(法律文化社)、「沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕(ごう)」(集英社新書)など。

沖縄国際大学名誉教授 石原昌家氏 沖縄の地上戦突入前、学童疎開は老幼婦女子の避難というより、(1)戦闘の邪魔にならないようにする(2)食料確保のための口減らし(3)明確に示されていないが次の戦闘員確保-という軍事的な戦略として行われた。背景に1937年、日中戦争の本格化の中で改正された軍機保護法がある。

2015 7/17 10:21
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死を覚悟、弟4人のため

島に残留 古元タチ子さん(79) 疎開が始まっても私は種子島に残ったんです。兄は疎開したけれど、私も行ったら幼い弟4人の面倒を見る人がいなくなる。

2015 7/17 10:20
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「琉球難民」台湾で生活苦 終戦後も一時留め置かれ

沖縄からの疎開者たちが暮らしていたという建物。今は空き家が多いが、バロック風の装飾は日本統治時代のままだ=台南市佳里区

 日本が太平洋戦争に敗れるより前、台湾は長らく「日本」であった。1944年の夏以降、この地は九州と共に沖縄からの疎開先とされ、石垣島や宮古島から1万人を超える人々が身を寄せた。

2015 7/17 10:20
2015 7/17 10:20
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家族分断された沖縄

おおしろ・たつひろ1925年、沖縄県生まれ。43年に上海に留学し、戦時中は中国で過ごす。67年、「カクテル・パーティー」で沖縄県出身者初の芥川賞を受賞。「小説琉球処分」「日の果てから」など沖縄の歴史や苦悩を描いた作品を多数発表してきた。4月に「レールの向こう」で川端康成文学賞を受賞。

「対馬丸」執筆の作家 大城立裕氏 「行くも地獄、残るも地獄」。対馬丸事件について私が付けたキャッチフレーズだ。

2015 7/17 10:20
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汽笛が鳴る度に涙

学童疎開中にしばしば思い出した故郷の海辺に立つ古田フサ子さん

伊佐市へ 古田フサ子さん(78) 学童疎開の意味も、行き先の伊佐市のことも何も知らんまま、西之表港から船に乗った。鹿児島港に近づくと「あら富士山が見えた」とたまがった。

2015 7/17 10:20
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手助けできなかった 宮崎で迎え入れ

旧三財国民学校講堂前の疎開児童と関係者たち(南風原文化センター提供)

牧野田ミヨさん(93) 中山イワノさん(83) 橋口義弘さん(81) 沖縄の子どもたちには経験したこともない冬の寒さだったでしょう。校舎の南側に肩を寄せ合ってひなたぼっこする姿が今も目に浮かびます。

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