ビートルズになりたくて
連載

「ビートルズになりたくて」

「ビートルズになりたくて」に関するこれまで扱われたニュース一覧を最新順に掲載しています。

2020 5/15 6:00
福岡

憧れいまも追い続け ビートルズになりたくて(14)

2019年12月に福岡市のライブハウスで演奏するザ・フライングエレファンツ

 中学生という多感な時期にビートルズに出会ったことが私の運命を決めました。今年で解散から50年ですが、今でも世界中から愛されるのは、ジョンとポールが出会った奇跡から始まり、ジョージとリンゴという4人のバランスのとれた個性が、プロデューサーのジョージ・マーティンさんらとの出会いによって爆発した結果でしょう。

2020 5/14 6:00
福岡

拠点は田川変わらず ビートルズになりたくて(13)

2003年8月、水害に遭った嘉穂劇場の復興支援ライブを飯塚市内のホールで行うザ・フライングエレファンツ。全国的なブームが落ち着いても九州を中心に演奏を続けている

 活動範囲は全国に拡大しましたが、私たちは相変わらず、活動が終われば田川へ戻りそれぞれの本業を続ける日々を送りました。取材ではよく「地元への特別な思いがあるんですね」と言われましたが、そうではありません。

2020 5/13 6:00
福岡

スターへの道を進む ビートルズになりたくて(12)

アビーロードスタジオで楽器を構える安部米央さん(左)と木村康治さん

 渡米直前からカーネギー公演まで、私たちはNHKに密着取材を受けていました。帰国後、それがドキュメンタリー番組「プライム10」で放送されると、エレファンツの名は全国にとどろき、次々に公演依頼が舞い込みました。

2020 5/12 6:00
福岡

鳴り止まない大声援 ビートルズになりたくて(11)

カーネギーホールで演奏するサ・フライングエレファンツ

 2曲目は木村のソロだったので、舞台袖から見守りました。木村も私と同様、喉がカラカラで、目が引きつっていました。

2020 5/11 6:00
福岡

世界の舞台、いざ開演 ビートルズになりたくて(10)

米国で作られたカーネギーホール公演のチラシ。「飛翔象」の字に「アジアっぽさを出したかったんでしょうね」と安部米央さん

 公演当日(1992年10月8日)の朝、滞在していたコンドミニアムには、音楽関係者やファン、取材のメディアなどが次々にあいさつに来て、せわしなく時間が過ぎていきました。そして、カーネギーでリハーサルを始めた昼すぎから「ビートルズと同じステージに立って、同じ事をやれるんだ」という期待や満足感、緊張が複雑に絡み合ったような状態になりました。

2020 5/10 6:00
福岡

異文化で不安の日々 ビートルズになりたくて(9)

ニューヨークのスタジオで練習するザ・フライングエレファンツ

 米国・ニューヨークには、カーネギー公演をはさみ3週間ほど滞在しました。本番までの約10日間、私たちはニューヨークのビル街の一角にあるスタジオで毎日5~6時間ほど、現地のスタッフや出演者とレッスンを重ねました。

2020 5/9 6:00
福岡

渡米前にハプニング ビートルズになりたくて(8)

1992年9月27日、福岡空港からニューヨークへ旅立つザ・フライングエレファンツの4人

 カーネギーの出演が決まると、バタバタの日々です。どこから情報を聞きつけたのか、メディアから取材を受けるようになりましたし、キングレコードからも「関係者に紹介したい」という要請があり、東京へ取材対応と演奏に行ったこともありました。

2020 5/8 6:00
福岡

カーネギー決まった ビートルズになりたくて(7)

ザ・フライングエレファンツのメンバーらに囲まれる当時のマネジャー中野貢さん(手前)

 メジャーデビューに至ったのはアルバム「コンフィデント11」の評判がきっかけですが、それをやろうと最初に私へ提案したのは当時マネジャーだった中野貢でした。 川崎町で電気屋を経営していた中野は、元々は私たちのファンの一人。

2020 5/6 6:00
福岡

メジャーからの誘い ビートルズになりたくて(6)

メジャーデビューの翌月、東京での公演を終え、キングレコードの担当者とレコード店周りで仙台市を訪れた安部米央さん(左)

 甘木(現・福岡県朝倉市)に通うこと半年、アルバムが完成しました。木村と「どの曲も良いね」という話になり、名前は自慢の11曲という意味で「コンフィデント11」に決め、私がアルバムジャケットを作り、1989年12月に発売しました。

2020 5/5 6:00
福岡

手作りのアルバム完成 ビートルズになりたくて(5)

フチガミレコーディングスタジオでレコーディングするザ・フライングエレファンツのメンバー

 キャバーンクラブの演奏は、午後7時半に始まり、最終ステージが終わるのは午前0時半。片付けを終え、田川に帰り着くのは午前2時や3時。

2020 5/4 6:00
福岡

同じ道を歩き始めた4人 ビートルズになりたくて(4)

キャバーンクラブで演奏するザ・フライングエレファンツ。右から安部米央さん、手島武文さん、林徳夫さん、木村康治さん

 結成の翌年、川崎町で開かれた音楽祭「第1回川崎ミュージック村」に呼んでもらいました。それを主催していたのが、ドラマーの手島武文でした。

2020 5/3 6:00
福岡

ポール木村と出会う ビートルズになりたくて(3)

1973年7月、田川市の丸山公園で練習する結成当初の「ザ・フライングエレファンツ」。木村康治さん(左)と安部米央さん(右)は楽器とボーカルを担当した

 運命の出会いは1970年でした。そのころ私はデザイン学校に通っていました。

2020 5/2 6:00
福岡

瞬く間にヒーローに ビートルズになりたくて(2)

高校3年の3月、友人宅でギターを弾く安部米央さん。当時、バンドを組んでビートルズの曲を演奏していた

 ラジオでビートルズに魅了された私は、すぐにレコード店に行きました。するとそこには、彼らの「抱きしめたい」のシングル盤もあったんです。

2020 5/1 6:00
福岡

「他の音楽とは違う」 ビートルズになりたくて(1)  

昨年12月のコンサートで演奏するザ・フライングエレファンツの安部米央さん

 「ワン モア タイム」「ワン モア タイム」。1992年10月8日、アメリカの音楽の殿堂「カーネギーホール」にはニューヨーカーからのアンコールの声が鳴り響きました。

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