長崎発・戦後75年「葉港の軌跡」
連載

「長崎発・戦後75年「葉港の軌跡」」

佐世保港は「葉港(ようこう)」と呼ばれる。ヤツデに似た形状だから、「葉」の字を崩すと「サ」「世」「ホ」になるから、と諸説ある。この港の軌跡を通して佐世保の戦後をつづる。

2020 7/22 15:44
長崎

「聖地」にも…観光でも経済潤す基地 共存の未来どう描く

朝鮮戦争時、佐世保の街は外国人兵士でにぎわった。その後も基地と経済は切り離せない(国書刊行会「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 佐世保」より)

 2019年11月、佐世保商工会議所の金子卓也会頭(77)は就任の記者会見でこう切り出した。 「佐世保は海軍鎮守府ができて生まれ、基地との共存共栄で大きくなった街。

2020 7/21 15:43
長崎

「命懸けの仕事」機雷を除去…海上自衛隊OBが語る“戦後処理”

海賊対処の任務でソマリア沖へ向かう護衛艦「はるさめ」。雨の佐世保港で多くの家族らが見送った=2019年11月

 海上自衛隊OBの中山英二さん(85)は、退職して長崎県佐世保市天神で暮らす。小高い場所にある自宅から少し登れば、佐世保港が見渡せる。

2020 7/20 6:00
長崎

「日章丸」の進水式、今も語り草に 荒波にもまれた造船

日章丸の進水式。ドックの周りは2万人の見物人でごった返した=1962年7月(佐世保重工業提供)

 高さ70メートルのやぐらを載せた奇抜な船が12日、長崎県佐世保市の佐世保重工業(SSK)の岸壁を出航した。 海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」。

2020 7/19 6:00
長崎

「前畑弾薬庫」返還の道険しく 進まぬ理由、市民に伝わらず

貴重な建築物が残る前畑弾薬庫。跡地利用を検討する佐世保市の有識者委員会が視察を許可された=2016年

 在日米海軍司令部がある横須賀基地(神奈川県)の一室。長崎県佐世保市長だった光武顕さんは海軍の幹部と向き合っていた。

2020 7/18 6:00
長崎

「ベールを脱いだ島」戦災復興かけた観光…受け継がれる先人の思い

九十九島を望む俵ケ浦半島で建設が進む観光公園。地元の大谷政輝さんは「多くの人に来てほしい」と期待する

 ベールを脱いだ島-。国立公園になる頃の九十九島をそう表現した人がいた。

2020 7/17 14:30
長崎

寂しさ覚える人も…様変わりした港町

上空から見た1961年の佐世保港。手前の鯨瀬で埋め立て工事が進んでいる(芸文堂の「地図でみる佐世保」より)

 1961年の佐世保港を上空から撮った写真。佐世保川の河口に向かって突き出した岩礁が見える。

2020 7/16 15:22
長崎

「事故が起きたら…」原子力艦入港467回 戦後75年、消えない核の不安

佐世保港に入る米原潜ソードフィッシュ(左)。港内の放射線監視装置が異常数値を検出した=1968年5月(佐世保市立図書館提供)

 佐世保海上保安部(長崎県佐世保市)には全国でも珍しい任務がある。原子力艦の放射能調査だ。

2020 7/15 15:55
長崎社会

「ここが日本よ」涙あふれ…11歳で引き揚げ 戦争の過酷な記憶

浦頭に引き揚げた人たち。ここから戦後の再出発をした=撮影時期不明(佐世保市提供)

 引き揚げ船のタラップを下りた母親は、脚を伸ばして、力強く地面を踏んだ。言葉に促され、娘もそれをまねた。

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