モノが語る戦争
連載

「モノが語る戦争」

戦地からの手紙、犬の毛皮で作った防寒着…嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する約8000点の戦争資料と向き合ってきた学芸員・青山英子さんが、「モノ」から見えてくる戦争の実相を紹介します。

2020 9/24 15:18
福岡

「仇は撃つぞ」日記につづった敗戦への怒り 1年後、変化した気持ち

勤労学徒として動員されていた小倉師範学校予科1年生、檜和田數俊の日記。敗戦後は、食糧難の苦しみや未来に向けての希望がつづられていた

 「聖断下る。大東亜戦争終結」「何時(いつ)か見ていろ、この米鬼。

2020 9/10 16:17
福岡

家は焼失、多くの死者…戦時下に15歳がつづった日記 激しい怒りも

書類の裏紙をとじたざら紙に記された学徒動員の日記

 書類の裏紙をとじたざら紙に「國福第七〇一一工場勤務日誌」と題した15歳の少年の日記がつづられている。1945(昭和20)年、小倉師範学校予科の1年生だった檜和田數俊(ひわだかずとし)(飯塚市)の三菱化成黒崎工場(北九州市黒崎)での学徒動員の記録だ。

2020 8/27 15:25
福岡

血で書かれた日の丸と“必殺” 出征する弟へ姉が渡した鉢巻き

海軍予科練習生として出征する3歳違いの弟に、姉が託した鉢巻きと封筒。姉は鉢巻きに自分の血を使って日の丸と必殺の文字を描いた

 「特攻隊として出動の時明なさい。それまで絶対あけてはなりません。

2020 8/13 17:52
福岡

90年間守られた青い目の人形「ペッギイ」 日米開戦の苦難乗り越え

旧大隈尋常高等小学校に送られた青い目の人形「ペッギイ」

 日章旗と星条旗を前に整然と並んだ小学生と先生たち。写真は90年以上も前の大隈尋常高等小学校(福岡県嘉麻市)の記念写真だ。

2020 7/30 16:07
福岡

命と引き換えの「名誉」 将兵に授けられた二つの勲章

日中戦争で戦死した兵士に与えられた功七級金鵄勲章

 弓にとまった金色の鵄(とび)をあしらった金鵄(きんし)勲章は、戦闘で特に優れた働きをした将兵に授けられる。神武天皇の交戦中に金鵄が現れ勝利に導いたという故事により1890(明治23)年に定められ、階級により功一級から功七級まである。

2020 7/16 15:11
福岡

町内の戦死者に最敬礼…夏祭りの記録

飯塚祇園山笠の記録帖(個人所蔵)の表紙

 「昭和十七年度 山笠記録帖(ちょう)」と題された冊子は、アジア太平洋戦争(1941~45年)開戦から7カ月が過ぎた夏、飯塚祇園山笠の福岡県飯塚市東町、東町内会の記録である。 江戸時代に由来する夏祭りの記録は、7月7日の町内山笠常会決定事項に始まり、役員や寄付者などの氏名、かかった費用の収支控え、準備から終了後の打ち上げまでの日記と続き、罫紙(けいし)に手書きで80ページを超える。

2020 7/2 14:55
福岡

戦場に不釣合いなバラの便箋 殺伐とした兵士慰めた女学生からの手紙

戦地の兵士に呼びかける少女たちの言葉がしたためられた慰問文

 木陰に座る女性のシルエット、伏し目がちな看護婦の肖像にバラの花の縁取り。戦場には不釣合いな便箋には、戦地の兵士に宛てた少女たちの言葉がしたためられている。

2020 6/18 14:39
福岡

軍隊見学や活動写真の上映 「在郷軍人会」が果たした総動員への役割

在郷軍人会二瀬町分解の活動を記録した冊子「歴史」の表紙

 「歴史 在郷軍人会二瀬町分会」の表題と、色鉛筆で「保存期間 永久」と記された冊子。中を開けば「明治四十四年三月九日旧来の在郷軍人団を解散し同日分会を組織し発会式を挙行す」と1911(明治44)年の発会式次第に始まり、日米開戦から4カ月が過ぎた42(昭和17)年4月までの二瀬町(現飯塚市)の在郷軍人会の活動がつづられている。

2020 6/4 16:11
福岡

インパール作戦では60キロに 白骨街道歩いた元通信兵が語る「装備」

戦場での生活に必要な品々すべてが入っている兵の装備

 携帯用の天幕、鉄兜(てつかぶと)、水筒などをくくり付けた大きな布製のかばん「背嚢(はいのう)」には、兵1人の戦場での生活に必要な品々すべてが入っている。飯盒(はんごう)、飯椀(めしわん)、汁椀(しるわん)等の食器類や炊事具、乾パン、乾飯(かれいい)などの携帯用の糧食、軍足(靴下)、襦袢(じゅばん)、三角巾などの衣類、衛生用品など日常の生活用具に加え、小円匙(しょうえんぴ)(小型のシャベル)など野営地や進路を切り開くための土工器材や兵器も持ち歩く。

2020 6/3 7:00
福岡

「死んではなりません」2万人戦死の硫黄島でまかれた、投降誘うビラ

硫黄島で見つかった伝単。表面(上)には日本兵に投降を促す文章が印刷され、裏面(下)には観音像が描かれている

 所々が破れ黄変したB5判ほどの紙面に、端正な文字で日本兵に投降を促す文章が刻まれている。 「君たちが圧倒的な米軍と優秀な兵器に対して愚かな抵抗をしている時に故郷の人たちは君たちの身の上をどんなに心配しているかわかりません。

2020 6/2 7:00
福岡

予期していた?1933年「少年俱楽部」の読み物、開戦後の状況に酷似

月刊少年雑誌「少年俱楽部」の表紙

 「少年倶楽部」は、人気の少年雑誌だった。満州事変の2年後、日本が国際連盟脱退を表明した1933(昭和8)年に発行された「愛国大会号」には、8年後に始まる欧米との戦争を予期するかのような読み物が掲載されていた。

2020 6/1 7:00
福岡

好奇心くすぐった「少年俱楽部」 “将来の兵士たち”を魅了

1933年5月に発行された「少年倶楽部」の「愛国大会号」の目次(一部)。盛りだくさんの内容だ

 大きなこいのぼりとたくさんの読み物が並ぶ紙面は、1933(昭和8)年5月1日発行の月刊少年雑誌「少年俱楽部」(大日本雄弁会講談社発行)、「愛国大会号」の目次である。今のA5判に近い菊版339ページの本編に広告を加え厚さ2センチ余り。

2020 5/29 7:00
福岡

2300人の名前びっしり…戦争推進の組織に動員された女性たち

「福岡奉公婦人会」設立の趣意や会員名などが記された文書

 日章旗と旭日旗の下、「祝凱旋(がいせん)」と大書された紙面に2300人を超す女性の名前がびっしりと並ぶ。「福岡奉公婦人会」設立の趣意と会員名が記された文書は、文面と枠外の「凱旋期急迫のため遽(にわか)に印刷に付したから会員名簿回送遅延の分は残念ながら省略することにした」との記述から、日露戦争終結直後の1905(明治38)年10月ごろに印刷されたと推測される。

2020 5/28 7:00
福岡

「桜が見たい」かなわず…絵手紙につづられた29歳兵士の思い

松隈清太郎が家族に宛てた、軍事郵便の絵はがき。表には赤い検閲印が押されている。裏にはロバにまたがる日本兵と中国人の子どもの絵が描かれている

 ロバにまたがる日本兵と中国人の子どもがにこやかに笑う絵はがきは、日中戦争に派遣されていた松隈清太郎が娘ハツ子に送ったものである。1931(昭和6)年に起きた満州事変以降、満州国建国の理念となった五族協和のスローガンの下、東アジアの民族の融和を唱え日本軍は支配を強めていった。

2020 5/27 7:00
福岡

玉砕の島で力尽きた父 70年後、娘が知った戦死の詳細

まな娘の人形を抱く金光九三郎伍長の写真

 ひげ面の海軍兵が赤ん坊を抱くように人形と納まった写真は、1940(昭和15)年、伍長室の机にいる金光九三郎伍長=旧嘉穂町(嘉麻市)出身=の肖像である。裏には、3年前に生まれたまな娘の京人形が届いたことと、「こんな形で良子を抱き上げる日が何日の日か来る事だろうと其(そ)の日を雲をつかむ様な気持ちで待って居ます 一五・三・二七 陣中にて」と記されている。

2020 5/26 7:00
福岡

戦時下、ペットにも及んだ供出…将兵の防寒着に使われた犬の毛皮

将兵の防寒着だった外套。内側の腰の部分に見えているのが犬の毛皮

 暖かそうな毛皮をたっぷり付けた外套(がいとう)は、中国東北部の満州など寒冷地に進駐していた将兵の防寒着である。幅50センチ、丈110センチほどの外套には、襟、袖口、内側の脇や腰回りにヒツジ、ヤギ、ウサギなどの毛皮が使われている。

2020 5/25 7:00
福岡

国民的英雄になった「爆弾三勇士」 “作られた美談”の真相

グリコのおまけだった爆弾三勇士の文鎮

 大きな爆弾を抱えて走る3人の兵は、昭和初期、旧日本陸軍の英雄として知られた「爆弾三勇士」(「肉弾三勇士」とも称された)である。台座に「肉弾三勇士之像」と浮き彫りされた長さ9センチ、高さ4センチほどの文鎮は、寄贈者によると昭和11年ごろのグリコのおまけであった。

2020 5/22 7:00
福岡

28歳のBC級戦犯が死刑囚に…家族に宛てた7千字の遺書

藤中松夫が息子たちに残した遺書(部分)

 終戦後5年近くが過ぎた1950(昭和25)年4月、28歳の元海軍一等兵曹が遺書をしたためた。21枚の便箋に残された両親、妻子らに宛てた約7千字の遺書は、BC級戦犯の藤中松夫がスガモプリズン(東京拘置所)で4月7日未明の処刑直前までの一昼夜をかけて書きつづったものだ。

2020 5/19 17:32
福岡

不本意に人を殺し、殺された…「モノが語る戦争」を発信

嘉麻市碓井平和祈念館に展示されている、兵士の遺書と肖像写真

 「新聞の究極の目的って何だと思う?」。30年以上前、ある先輩記者にこう尋ねられた。

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