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スイミングスクール

 日本スイミングクラブ協会によると日本最初のクラブは1965年3月に創立した代々木スイミングクラブ(東京)で、64年東京五輪の競泳日本代表でヘッドコーチを務めた村上勝芳氏が会場のサブプールを利用して開いた。同月には大阪に山田スイミングクラブが創設され、72年ミュンヘン五輪女子100メートルバタフライで金メダルを取った青木まゆみ選手らを輩出している。黒佐水泳学校は日本6番目で、九州では最古。現存では65年4月に誕生した名古屋スイミングクラブ(名古屋市)に次いで長い歴史を誇るという。

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九州最古の水泳スクールに幕 東京五輪元代表が指導 北九州「黒佐学校」

 九州のスイミングスクールの先駆けとして1965年に開校した北九州市の黒佐水泳学校が11月限りで閉校する。指導者の高齢化が理由。72年ミュンヘン五輪に女子背泳ぎで出場した青木(旧姓藤村)佳津選手ら国内外の大会で活躍する選手を輩出するなど競泳の普及と強化に尽力してきたが、2020年東京五輪を前に役目を終え、54年という九州最古のスイミングスクールの歴史に幕を下ろす。

 黒佐水泳学校は八幡製鉄水泳部の監督だった故黒佐年明氏が1965年6月に同市の大谷プール(99年閉鎖)で開校した。八幡製鉄からも6選手が出場した64年の東京五輪の日本勢は欧米の若手に完敗。当時の強化は学校の授業や部活動が中心だったが、若年層を育成する必要性を感じた日本の五輪関係者らが、年間を通じて泳げる施設を備える民間のスイミングスクールを全国各地につくった。九州でその先駆者となったのが、黒佐氏だった。

 66年からは温水設備がある同市の桃園市民プールを拠点とし、八幡製鉄の水泳部OBらがボランティアで主に小学生を対象に週4回指導。70年代以降は女性向けの教室や北九州市からの委託で小児ぜんそくの児童を対象とした教室も実施し、最大で約400人の会員を擁した時期もあった。85年からは、東京五輪代表だった吉無田(よしむた)春男代表(79)が黒佐氏から学校を継いで運営してきたが、指導者の大半が75歳を超えるなどし、指導が困難になりつつあった。

 桃園市民プールは来年3月に新施設が完成する予定だが、吉無田代表は「日本は今や一流の水泳大国になった。微力ながらも使命をまっとうしたと感じ、2度目の東京五輪を前に閉校を決めた」と説明する。

 黒佐氏の教え子で開校当初に学校を手伝ったローマ、東京両五輪代表の竹宇治(旧姓田中)聡子さん(77)は「高い志で始まったけど、今は企業として環境整備しているスクールじゃないとトップスイマーは育たない。時代の流れと思う」と寂しさを込めつつ閉校を惜しんだ。 (末継智章)

【ワードBOX】スイミングスクール

 日本スイミングクラブ協会によると日本最初のクラブは1965年3月に創立した代々木スイミングクラブ(東京)で、64年東京五輪の競泳日本代表でヘッドコーチを務めた村上勝芳氏が会場のサブプールを利用して開いた。同月には大阪に山田スイミングクラブが創設され、72年ミュンヘン五輪女子100メートルバタフライで金メダルを取った青木まゆみ選手らを輩出している。黒佐水泳学校は日本6番目で、九州では最古。現存では65年4月に誕生した名古屋スイミングクラブ(名古屋市)に次いで長い歴史を誇るという。

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