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東京・水俣病を告発する会

 1970年6月、原因企業チッソに損害賠償を求めて係争中の水俣病患者、家族らを物心両面で支えようと、教員や学生、首都圏在住者などでつくった支援組織。前年4月に熊本で発足した「水俣病を告発する会」が結成を後押しした。2020年5月時点のメーリングリストには、長年の支援者をはじめ、大学や映画関係者、ジャーナリストなど37人が名を連ねる。年2回、都内でシンポジウムを開いており、今年は新型コロナウイルスの影響で12月5日を予定している。

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「患者の手足に」 水俣病被害者支え半世紀、東京の「告発する会」

 東京から長年、水俣病患者や被害者を支えてきた「東京・水俣病を告発する会」(約40人)が今月28日、結成50年を迎える。発足時、学生だったメンバーを中心に現地・水俣との交流、法廷で国や原因企業チッソと争う原告らの支援、季刊誌の発行を続けてきた。「患者の手足となり、力になる」-。その理念は揺らぐことなく、次世代に向けた取り組みも始まっている。

 13日、都内のビルの一室で月2回開いている例会に会員が顔をそろえた。会が5月、水俣の患者団体などに向け、新型コロナウイルス対策の使い捨てマスクを贈ったところ、現地から感謝のメールが届いたことを事務局の久保田好生さん(69)が報告。「われわれの原点に立ち返った有意義な活動になった」と表情を緩めた。

 久保田さんは1970年6月28日、東京大の大規模教室に数百人が詰め掛けた会の発足式に立ち会った一人だ。当時、東京大の1年生。故石牟礼道子さんの「苦海浄土」を手にし、水俣の惨状を知って突き動かされるように支援の列に加わったのだった。

 直前の5月には、一部の患者、家族に低額の補償金を提示しようとする国の補償処理委員会に抗議するため、熊本から駆け付けた支援者や東京の学生らが旧厚生省内に座り込んでいた。逮捕者も出たこの騒動を機に「東京にも支援態勢が必要だ」との声が高まり、後に水俣に移住し「ひとり芝居」を始める故砂田明さんが代表世話人となって、会は始動する。

 「とにかく患者さんのために動くんだ」。新たに患者認定された故川本輝夫さんらが上京し、東京駅近くのチッソ本社前で座り込みが始まると、久保田さんは事務所に寝泊まりしながらカンパ集めやビラ配りに奔走した。チッソ本社で交渉する川本さんらが社員に排除されないよう、階段で体を張って人垣を作ったこともあった。

 73年7月、患者とチッソは補償協定を締結。一つの節目を経て主なメンバーが水俣に移住する中、久保田さんは都立高教諭の道に進む。川本さんがチッソ社員への傷害罪で起訴された刑事裁判や、未認定患者の運動に携わり、東京に残った仲間と会を引き継いできた。

 水俣で、献身的に患者や被害者に接する同世代に勇気づけられ、97年4月には年4回の季刊誌「水俣支援」を発刊。薄れつつあった水俣病問題への関心をつなぎ留め、「一人でも理解者を増やす」との意気込みだった。水俣の近況や裁判の進展具合、集会の概要や関係者の寄稿など多彩な内容を盛り込み、毎号850部を届けて今年7月に通算94号を数える。

 東京にはチッソ本社や環境省があり、関係者の訪問が絶えない。「『東京・告発』は出張所。主役は現地の被害者」との思いから、久保田さんらは胎児性患者が東京観光をする際、世話役も買って出るという。

 「義によって助太刀いたす」のスローガンの下に結集し、半世紀。患者認定問題の是正も、不知火海沿岸住民の健康調査も、国が要求に応じる気配は見えない。それでも、「現地の役に立つ活動を」と前を向く。会はこれまでの書類資料や写真、映像をデータベース化して後世に残す作業と同時に、若い世代に芝居や演劇で水俣病を伝える試みも進めている。 (河合仁志)

【ワードBOX】東京・水俣病を告発する会

 1970年6月、原因企業チッソに損害賠償を求めて係争中の水俣病患者、家族らを物心両面で支えようと、教員や学生、首都圏在住者などでつくった支援組織。前年4月に熊本で発足した「水俣病を告発する会」が結成を後押しした。2020年5月時点のメーリングリストには、長年の支援者をはじめ、大学や映画関係者、ジャーナリストなど37人が名を連ねる。年2回、都内でシンポジウムを開いており、今年は新型コロナウイルスの影響で12月5日を予定している。

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