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金剛山観光事業

 韓国の故金大中(キム・デジュン)大統領が進めた南北融和策「太陽政策」の象徴の一つで、南北軍事境界線から北へ約20キロの金剛山地区を舞台にした観光開発事業。金剛山麓出身の韓国最大財閥、現代グループの創業者、故鄭周永(チョン・ジュヨン)氏が1998年に訪朝して、故金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談し、観光開発の独占契約の見返りに、北朝鮮に9億4200万ドルを支払うことで合意。同年11月に第1陣の韓国人観光客が訪問した。
 朝鮮半島有数の景勝地で、仏教の聖地とも称される金剛山の観光事業は人気を集めたが、2008年7月に金剛山地区の海水浴場近くで韓国人の女性観光客が北朝鮮兵士に銃撃されて死亡した事件で南北が対立し、事業は中断。10年に北朝鮮が金剛山地区の韓国側の資産を没収した。
 統計庁によると、観光解禁中の11年間の観光客は約195万人。最も多かったのは、07年の約34万人だった。高城郡庁によると、事業中断の影響でこれまでに休業したり、廃業したりした郡内の飲食、宿泊施設などは414軒で、郡全体の20%近くに達するという。

※ワードの説明及び記事の内容は更新日のものです。

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分断の町 南北接近注視 金剛山観光事業中断10年 韓国・高城郡 再開期待 あきらめも

 平昌(ピョンチャン)冬季五輪を契機に急速に接近が進む韓国と北朝鮮。その動きを特別な思いで見守る人たちがいる。五輪会場となった平昌、江陵(カンヌン)と同じ江原道の北端にある高城(コソン)郡の住民だ。朝鮮半島の中東部に位置する同郡は朝鮮戦争後、軍事境界線によって南北に分断され、北朝鮮側にも同名の行政区域がある。郡内には北朝鮮出身者が多く住み、1998~2008年には南北経済交流事業の象徴として実施された北朝鮮南部の金剛山観光事業の拠点となり、多くの観光客でにぎわった。南北問題に翻弄(ほんろう)される辺境の町を訪ねた。 (ソウル曽山茂志)

 五輪閉幕直後の2月末。軍事境界線に向かって北へ延びる高城郡の国道7号をタクシーで走ると、食堂や土産物店の古びた看板が次々と目に入った。どれも、08年に金剛山観光事業が中断された後、廃業したまま放置された店だ。周囲には人けもなく、「ゴーストタウン」のような雰囲気が広がる。

 ようやく小さな雑貨店を見つけた。ミネラルウオーターと缶コーヒーを買って70代の女性店主に話を聞くと、「地元以外の客はめったに来ない。自宅を兼ねているから店を開けているだけだよ」と寂しげな表情を見せた。

 「あの頃は連日観光バスが押し寄せて、駐車場が足りないほどだった」。国道沿いのホテルで営業本部長を務める全熙瑞(チョンヒソ)さん(53)は振り返る。ホテルは金剛山観光事業を当て込み、1997年に開業。事業が始まると225室の客室は常に7割近くが埋まった。それも今は昔。最近の稼働率は年平均で4割に届かない。最大75人いた従業員は半分に減らした。夏場の海水浴シーズンの売り上げで何とかしのいでいる。

 平昌五輪に期待もしたが、観光客らの宿泊は平昌、江陵一帯が中心で、「恩恵はほとんどなかった」。むしろ、振り回された。

 五輪参加を表明した北朝鮮と韓国は1月中旬の協議で、五輪開幕前に金剛山で記念イベントを開催する計画を決定。ホテルにはすぐにイベント関係者から25室の宿泊と、500人規模のパーティーの予約が入った。その準備を本格化させようとした1月末、北朝鮮が一方的にイベントの中止を通告。予約はすべてキャンセルになった。

 全さんは落胆を隠さないが、それでも南北が4月末の首脳会談で合意するなど、盛り上がる融和ムードに期待を膨らませる。「文在寅(ムンジェイン)大統領なら必ず国際社会を説得して観光事業再開の道を開いてくれるはずだ」

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 高城郡は1945年の日本敗戦後、北朝鮮の統治下に置かれたが、朝鮮戦争が休戦となった53年に韓国が一部を取り戻し、南北に分断された。韓国で景勝地として知られる郡内の湖のほとりには故金日成(キムイルソン)主席の別荘跡があり、北朝鮮領だった時代の名残をとどめる。

 高城郡庁によると、郡内には朝鮮戦争時に北朝鮮から韓国に逃れた人が現在も2千人以上住む。戦時を知る「第1世代」は高齢化し、亡くなった人も多い。郡は2015年5月、江原道と協力し、故郷を失った「失郷者」の記録を後世に伝える記念館を建設した。

 「私の故郷はこんなに近い。車で行けば40分ぐらいで着くはずだ」。記念館で出会った崔永洙(チェヨンス)さん(67)は、軍事境界線が分断する朝鮮半島の地図を指でなぞった。

 崔さんは8人きょうだいの末っ子として、北朝鮮側の高城郡で生まれた。朝鮮戦争のさなかに家族とともに船で韓国に渡った時はまだ1歳。一家は5年ほど南部の釜山や巨済(コジェ)などを転々とした後、高城郡にたどり着いた。既に他界した両親がこの地を選んだのは、「故郷に一番近かったからだ」という。

 記念館には、北朝鮮から逃れて郡内に住む第1世代約40人分の名前が生年月日、出身地、家族構成とともに展示されている。多くは故人だが、北朝鮮にいる家族や親戚を子孫たちが確認できるよう、記録として残しているという。

 崔さんは第1世代の調査に携わっている。「もっと調査して、少しでも多くの名前をここで紹介したい」。こう決意を語った崔さんは、五輪を契機に久しぶりに高まる南北融和ムードによって、薄れつつある「失郷者」への理解が広がることにも期待を寄せている。

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 金剛山観光事業が中断して10年。突然はしごを外されたまま放置された格好の高城郡の住民は、南北間に立ちはだかる厳しい現実も受け入れようとしている。

 郡内の港近くでカラオケ店を経営する金栄姫(キムヨンヒ)さん(60)はかつて、国道7号沿いで海産物などを扱う土産物店を営んでいた。観光事業が中断すると客足はぱったりと途絶え、閉店を余儀なくされた。港で働きながら事業再開を待ち続けたが、「もう待てない」と約5年前に現在の店を開いた。観光客がめっきり減ったこの町でカラオケ店は大きな収入にはならないが、「北朝鮮に頼らずに生きていくしかない」との決意を新たにしている。

 「こちら(韓国側)に撃ってきたらまた戦争になるかもしれないと思って、ぞっとしたよ」。金剛山一帯を望む郡北部の「統一展望台」で約25年間、キーホルダーなどの土産物を売る金秋順(キムチュスン)さん(72)は数年前、北朝鮮領の山の裏側から海に飛び出す二つの光を見た。ミサイルか、ロケット弾か-。ガラス越しに見える美しい山の向こう側で軍事力強化に突き進む北朝鮮の実体を見たようで怖くなった。

 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長は3月初めの南北協議で、北朝鮮への軍事圧力の解消や自らの体制保障と引き換えに、初めて「非核化」の意思を表明した。だが、長く対立してきた韓国や米国との首脳会談に臨もうとうする北朝鮮の姿勢を、韓国の国民の多くは信じ切れないのが実情だ。

 「あんなにこだわっていた核を簡単に手放すとは思えない。金剛山観光が再開されれば、その収入をまた核やミサイルの開発に使うはずだ」。秋順さんは、展望台から見える北朝鮮に続く道が、以前より遠くなった気がしている。

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 【ワードBOX】金剛山観光事業

 韓国の故金大中(キム・デジュン)大統領が進めた南北融和策「太陽政策」の象徴の一つで、南北軍事境界線から北へ約20キロの金剛山地区を舞台にした観光開発事業。金剛山麓出身の韓国最大財閥、現代グループの創業者、故鄭周永(チョン・ジュヨン)氏が1998年に訪朝して、故金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談し、観光開発の独占契約の見返りに、北朝鮮に9億4200万ドルを支払うことで合意。同年11月に第1陣の韓国人観光客が訪問した。

 朝鮮半島有数の景勝地で、仏教の聖地とも称される金剛山の観光事業は人気を集めたが、2008年7月に金剛山地区の海水浴場近くで韓国人の女性観光客が北朝鮮兵士に銃撃されて死亡した事件で南北が対立し、事業は中断。10年に北朝鮮が金剛山地区の韓国側の資産を没収した。

 統計庁によると、観光解禁中の11年間の観光客は約195万人。最も多かったのは、07年の約34万人だった。高城郡庁によると、事業中断の影響でこれまでに休業したり、廃業したりした郡内の飲食、宿泊施設などは414軒で、郡全体の20%近くに達するという。

=2018/03/19付 西日本新聞朝刊=

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