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かくれキリシタン

 キリスト教が禁じられ、宣教師がいなくなった17~19世紀にひそかにキリスト教由来の信仰を続けた人を「潜伏キリシタン」と呼ぶのに対し、明治時代に信仰が自由になってもカトリックなどと一線を画し、先祖が守った独特の祈りを継承する信徒を「かくれキリシタン」と呼ぶことが多い。地域ごとに信徒組織を形成し、独自の行事を執り行う。研究者によって「隠れ」「カクレ」など表記は異なり、「昔キリシタン」「旧キリシタン」と言う信徒もいる。

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「独自信仰」次代につなぐ 「潜伏キリシタン」世界遺産へ 改宗し信徒責任者に 長崎・新上五島の坂井さん

 禁教が解けた後もカトリックに復帰せず、独自の「かくれキリシタン」信仰が受け継がれてきた長崎県・五島列島。信徒組織が今も残る新上五島町桐古里郷で、9代目「大将」(責任者)を務める坂井好弘さん(62)は、「かくれ」家系の女性との結婚を機に仏教から改宗し、組織を引き継いだ異色の指導者だ。「迫害におびえながら先祖が守り抜いた心を絶やしたくない」。信念を貫き、重責を担って12年目に入った。

 五島列島の北に浮かぶ小値賀島出身。21歳で妻鈴子さん(60)と結婚し、桐古里郷で暮らすようになった。義父の深浦福光さん(故人)が自宅で祈りをささげる姿を見るまで、かくれキリシタンの家系とは知らなかった。義父は信徒組織の7代目大将だった。

 大将は代々、深浦家直系の息子か男の親戚が務めてきた。男の子がいなかった福光さん方では組織継承のため、娘の鈴子さんが別の男性と結婚することになっていた。だが鈴子さんは坂井さんと恋愛結婚する道を選んだ。坂井さんは結婚後、義父となった福光さんに「洗礼ば受けれ」と促され、深く気にすることもなく「かくれ」となった。

 5人の息子に恵まれた。長男(41)が小学1年の頃、義父の養子とし、姓を坂井から深浦に改めさせた。いずれ後継者にすることを見据えてのことだったが、「なんで兄弟で自分だけ姓が違うとか」と反発されたこともあった。

 坂井さんが大将に就いたのは2007年12月。義父の後に8代目大将となった親戚が入院し、病床で「継いでくれ」と言われた。2回断ったが「長男が自分を継ぐまで」という条件で引き受けた。深浦姓ではない、初の大将となった。

 “よそ者”の大将を否定する信徒もいた。「あんたの祈りでは神様にゃ届かんよ」。組織を去る世帯が続々と現れた。それでも坂井さんはがむしゃらにオラショ(祈りの言葉)を覚え、年3回の大きな行事を執り行い、役目を果たした。離れていた信徒たちは今年に入ってようやく戻ってきてくれた。

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録が大きく前進し、潜伏期の名残をとどめるかくれ信仰にも注目が集まる。「冷やかしで見物されるのはちょっと…。ひそかに守ってきた先人に申し訳ない気がしてですね」。以前は祈りを観光客に実演してみせることもあったが、もうやめた。

 信徒はわずか27世帯。「かくれ」の家庭は子どもが生まれるとすぐ洗礼するのが通例だったが「強制は本意じゃない」。10人いる自分の孫にも、まだ授けていない。人口減が進む離島で、布教もしない独特の信仰を維持するのは簡単ではないが、息子は「深浦家の長男」の役割を理解してくれていると信じる。

 「私はあくまで長男が継ぐまでの中継ぎ。先祖の思いを引き渡す日まで、力を尽くしたい」

【BOXワード】かくれキリシタン

 キリスト教が禁じられ、宣教師がいなくなった17~19世紀にひそかにキリスト教由来の信仰を続けた人を「潜伏キリシタン」と呼ぶのに対し、明治時代に信仰が自由になってもカトリックなどと一線を画し、先祖が守った独特の祈りを継承する信徒を「かくれキリシタン」と呼ぶことが多い。地域ごとに信徒組織を形成し、独自の行事を執り行う。研究者によって「隠れ」「カクレ」など表記は異なり、「昔キリシタン」「旧キリシタン」と言う信徒もいる。

=2018/05/05付 西日本新聞朝刊=

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