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被爆体験者訴訟

 長崎原爆の被爆地域は被爆当時の行政区域に沿って線引きされ、爆心地から南北約12キロ、東西約7キロと細長い。原爆投下時に半径12キロ圏内にいても、国が定める地域外で原爆に遭った人は「被爆体験者」として区別され、被爆者健康手帳は交付されず、被爆者として認められない。
 被爆体験者の第1陣訴訟は2007年、長崎市などに手帳交付を求めて長崎地裁に提訴したのが始まり。長崎地裁では全面敗訴し、福岡高裁では控訴が棄却され、昨年12月の最高裁判決では入市被爆を主張した男性1人を除く387人が敗訴した。11年に提訴した第2陣は長崎地裁が原告161人中10人を被爆者と認めたが、原告、被告双方が控訴し、福岡高裁で係争中。

※ワードの説明及び記事の内容は更新日のものです。

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9割超が再提訴断念 被爆体験者訴訟 1陣で積極活動の嶋田さん、苦渋の決断 「もう体が動かん」

 昨年の最高裁判決で被爆者と認められなかった被爆体験者訴訟第1陣の原告387人のうち、21日に再び集団提訴したのは28人。残り9割超は見送った。病気や体力の衰え、司法への失望…。諦めた理由はさまざまだ。時津町子々川郷の嶋田サチ子さん(78)もその一人。1陣訴訟では、弁論の度に裁判所へ出向くほど積極的に活動したが「もう体が動かん」。この日は通院以外、自宅で静かに過ごした。

 5歳の時、爆心地から10キロ超の子々川郷で、強烈な光と爆風に襲われた。救援に向かった近隣住民が、畑の肥料として持ち帰った爆心地付近の灰からおはじきやビー玉を見つけて遊んだ記憶もある。被爆者として認められる要件の一つ「放射能の影響を受けるような事情」にあったと考える。

 異変は若い頃から表れた。20歳ごろで左目の視力が極端に低下。42歳で脳出血を起こした。原爆の放射性物質の影響だと確信し、県に被爆者健康手帳の交付を申請したが、却下された。当時の担当者は「灰は近所から持ってきたのでは」と信じてくれなかったという。

 2007年、被爆体験者訴訟の第1陣原告が提訴したと知り、翌年、原告団に加わった。同じ子々川郷で被爆した知人にも声を掛け、十数人の原告を集めた。長崎地裁では法廷で被爆状況を証言した。「絶対に勝てる」。自分にも周りにも言い聞かせてきたが、最高裁は被爆者と認めなかった。「司法は人を救うためにあるのではないのか」。強い憤りは今も消えない。

 再提訴した原告28人は、脳血管障害など11の特定疾患にかかれば、被爆者健康手帳に切り替わる「第1種健康診断受診者証」の交付を新たに求めた。原爆投下時、旧時津村にいた人は受診者証を取得できるが、嶋田さんが今も暮らす子々川郷は戦後に合併した地域という理由で対象外だ。

 再提訴を決意した仲間から「行政の一方的な線引きを浮き彫りにできる」と、改めて原告団に加わることを促された。嶋田さんも「線引きは間違っているし、闘うべきだ」と思うが、体調を崩して5月まで半年間入院していたこともあり、断念した。

 「私は被爆者」との思いは変わらない。再提訴した28人の勝訴が行政を変えると信じ、法廷の外から見守る。

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【ワードBOX】被爆体験者訴訟

 長崎原爆の被爆地域は被爆当時の行政区域に沿って線引きされ、爆心地から南北約12キロ、東西約7キロと細長い。原爆投下時に半径12キロ圏内にいても、国が定める地域外で原爆に遭った人は「被爆体験者」として区別され、被爆者健康手帳は交付されず、被爆者として認められない。

 被爆体験者の第1陣訴訟は2007年、長崎市などに手帳交付を求めて長崎地裁に提訴したのが始まり。長崎地裁では全面敗訴し、福岡高裁では控訴が棄却され、昨年12月の最高裁判決では入市被爆を主張した男性1人を除く387人が敗訴した。11年に提訴した第2陣は長崎地裁が原告161人中10人を被爆者と認めたが、原告、被告双方が控訴し、福岡高裁で係争中。

=2018/06/22付 西日本新聞朝刊=

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