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信徒発見と浦上四番崩れ

 1865年の大浦天主堂の完成から1カ月後、長崎・浦上村の潜伏キリシタンたちが神父に「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)と告白した。沈黙を破ったキリシタンは、長崎奉行に改宗を迫られたが拒否。浦上村の約3400人が全国20藩に流され、約600人が命を落とした。この弾圧は「浦上四番崩れ」と呼ばれる。外国公使が抗議し、禁教令が解かれるきっかけとなった。

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「告白」と弾圧、語り継ぐ 「信徒発見」の子孫、先祖の誇り胸に 潜伏キリシタン世界遺産決定

 キリスト教禁制末期の1865年3月、完成直後の大浦天主堂(長崎市)を訪ねた潜伏キリシタンたちが神父に信仰を打ち明けた「信徒発見」。220年以上にわたる潜伏の歴史が終わるきっかけとなり、世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が紡ぐ物語を締めくくる。命を懸けた告白から150年余り。「信教の自由こそが、最も大切なこと」。告白した一行の子孫は信仰心を脈々と受け継いでいる。

 「ここにおります私どもは、全部あなた様と同じ心でございます」。長崎中心部から離れた旧浦上村で潜伏していたキリシタン十数人は、こう神父に告げた。その中に森内てるという女性がいた。「神父様の存在が確かめられれば殺されてもいい」。同行した姉と覚悟した。告白後、神父から親指大の聖母像を授かったと伝わる。

 5代目の子孫に当たる森内浩二郎さん(65)=長崎市=は「民衆のキリシタンからすれば、神父発見だったのでしょう」と語る。国内に最後まで残った宣教師が殉教したのは、禁教令から30年が経過した1644年。それ以降、潜伏した信徒の信仰心は、ある伝道師が残したとされる予言がよりどころとなった。

 「7代後に海の向こうから、告白を聞く司祭がやってくる」

 てるは禁教令が出されてから7代目。明治政府によって、てるを含む浦上の信徒は津和野(島根県)などに流刑となったが、授かった聖母像を髪や土中に隠し、信仰を守り抜いた。息子が役人から改宗を迫られる声が聞こえると「だまされるでないぞ」と大声で言い聞かせた。鉄の鎖を掛けられ、水責めに遭った手首の傷痕が死ぬまで残っていたという。

 森内家ではこうした苦難の歴史が代々、口述で伝えられた。てるが授かった小さな聖母像は家宝。戦時中も非常用袋に入れて守っていたが、混乱の中で行方不明になった。現在は父の秀雄さん(2010年死去)がフランスで購入した木製のマリア像が「2代目」として、浩二郎さん宅の祭壇に大事に置かれている。

 秀雄さんはよく「浦上キリシタンとしてのプライドを持ってくれ」と語っていた。命の危険を顧みず、果敢に行動した先祖がいる。その自負を持って生きろ、という伝言だった。

 兄の慎一郎さん(70)=佐賀県小城市=は、先祖の歴史を学ぶたびに「信教の自由が人間にとって最も大切なことだ」との思いを強くする。現代の世界にも、宗教対立による迫害や信教が国家管理されている地域がある。潜伏キリシタン遺産の世界文化遺産登録が「人間の心が誰にも侵されない世界が実現するきっかけになってほしい」と願う。

 信徒発見時の祖先の思いは、確かに胸に刻まれている。

【ワードBOX】信徒発見と浦上四番崩れ

 1865年の大浦天主堂の完成から1カ月後、長崎・浦上村の潜伏キリシタンたちが神父に「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)と告白した。沈黙を破ったキリシタンは、長崎奉行に改宗を迫られたが拒否。浦上村の約3400人が全国20藩に流され、約600人が命を落とした。この弾圧は「浦上四番崩れ」と呼ばれる。外国公使が抗議し、禁教令が解かれるきっかけとなった。

=2018/07/01付 西日本新聞朝刊=

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