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新聞記事に使われた語彙(ごい)を説明した新聞用語ひと口メモ。このページでは新聞に掲載されたワードBOXとその関連記事をピックアップして紹介します。

京都大学火山研究センター

 1928(昭和3)年、日本初の火山研究・教育施設として設立された。29年に完成した建物は当時、まだ珍しい鉄筋コンクリート造りで、アールデコ調の内装を含め、国の文化財に指定されている。世界でも、米国のハワイ火山観測所(12年)などに次いで古い。8人が常駐し、研究を続けている。

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火山学者はあの時 熊本地震3年(上)ベッドごと、ドカーン 「阿蘇山が連動噴火か」

 熊本地震本震があったあの日、阿蘇山の「連動噴火」を懸念する火山学者がいた。京都大火山研究センター(南阿蘇村)の大倉敬宏教授(55)。施設は、大規模地滑りで5人が亡くなった高野台を見渡す高台にあり、大倉は前夜からただ一人、泊まり込んでいた。夜が明け、眼前に惨状が広がる中、中岳火口からたなびく異様な黒煙を観測した。それは素人にはピンと来ない異変なのだが、大倉を慌てさせた。危機感の背後には何があったのか。大倉の記憶をたどっていく。

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 本震(震度6強)があった2016年4月16日午前1時25分。大倉は6階建て施設の3階宿泊室で、ちょうど眠りに就いた頃に「簡易ベッドごと、ドカーンと吹き飛ばされた」。

 14日夜に前震(震度5弱)があり、阿蘇山にある観測機器の点検や、御嶽山(おんたけさん)(長野・岐阜両県にまたがり14年噴火、戦後最悪の噴火災害)への出張準備で遅くなり、泊まり込んでいた。

 「ジリリ」と非常ベルが鳴り響く中、階下へ急ぐ。非常用電源が作動して明るかったが、火災が心配だった。1階では書棚が壁を突き破り、水道管も破裂、床は水浸しだった。

 正面玄関の扉は開かず、裏口からガレージへ。まず電話したのは奈良県にいる妻。益城町が震源だと、テレビの速報が伝えていることを初めて知った。

 次に電話したのは九州大地震火山観測研究センター(長崎県島原市)。駆けつけていた准教授とつながった。「布田川断層が割れたらしい」。その言葉に「あーそうか」とふに落ちた。

 施設近くの立野峡谷は、少なくとも9万年前から繰り返される布田川断層地震による崩落と浸食で形成されたとされる。ただ、その地震は数千年周期で起こっていて「まさか自分が生きている間には起こらない」と思っていた。

 正常性バイアス(都合の悪い情報の過小評価)を痛感しつつ、まずは職員の安否確認と関係機関へ連絡。大津町にいた助教と手分けして対応に当たった。周囲は停電していて、施設だけが「灯台」のように明るかった。

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 「落ち着け」とポットで湯を沸かし、コーヒーを1杯飲んだ。午前3時前、1人の男性が着の身着のまま犬を連れて上がってきた。毛布とズボンを渡し、話を聞くと「まだ、家の中に90歳の母がいるんです」。

 夜が白み始めた午前5時ごろ、外の光景に「この世の終わりかと思った」。あったはずの道がなく、家々は60メートル流されていた。「阿蘇大橋が崩落したらしい」とのメールは既に入っていて、峡谷の大崩落斜面も確認できた。

 午前6時前、男性と一緒に家へ向かう。倒壊した家の前で「おーい」と呼び掛けると「おーい」と返事があった。のぞき込むと足が見え、がれきを取り除き、引っ張り出した。

 平時は白煙を上げている中岳火口から、灰交じりの黒煙がたなびく姿を観測したのは、その直前の午前5時半ごろ。気象庁からも「阿蘇が噴火しているらしい」と電話が入った。「これは大変なことになるかもしれない」。近くの避難所で一夜を明かした大倉は、翌17日から大急ぎで、火山観測態勢の復旧に追われることになった。 (敬称略)

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【ワードBOX】京都大学火山研究センター

 1928(昭和3)年、日本初の火山研究・教育施設として設立された。29年に完成した建物は当時、まだ珍しい鉄筋コンクリート造りで、アールデコ調の内装を含め、国の文化財に指定されている。世界でも、米国のハワイ火山観測所(12年)などに次いで古い。8人が常駐し、研究を続けている。

=2019/04/11付 西日本新聞朝刊=

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